こんにちは、管理人のよしです。
王貞治元監督が、勝っていても負けていも抑えでも「ピッチャー、鹿取!」と話し、流行語大賞にも選ばれるかというくらい、投げていました。
1980年代後半の巨人は陰ながら、支えたひとりですよね。
そのあとは西武にもいくのですが、現在は何をしているのでしょうか。
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鹿取 義隆のプロフィールは?
国籍 | 日本 |
---|---|
出身地 | 高知県香美市 |
生年月日 | 1957年3月10日 |
身長 体重 |
174 cm 78 kg |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
初出場 | 1979年4月7日 |
最終出場 | 1997年10月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴
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コーチ歴
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鹿取 義隆の成績は?
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
勝
率 |
打
者 |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1979 | 巨人 | 38 | 0 | 3 | 2 | 2 | .600 | 244 | 24 | 22 | 3.36 | 1.19 |
1980 | 51 | 0 | 4 | 3 | 3 | .571 | 336 | 18 | 17 | 1.78 | 1.03 | |
1981 | 22 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 148 | 12 | 10 | 2.37 | 0.96 | |
1982 | 21 | 5 | 3 | 2 | 0 | .600 | 243 | 30 | 29 | 4.50 | 1.20 | |
1983 | 38 | 5 | 5 | 2 | 1 | .714 | 396 | 41 | 38 | 3.64 | 1.34 | |
1984 | 48 | 1 | 4 | 3 | 6 | .571 | 345 | 27 | 24 | 2.45 | 1.07 | |
1985 | 60 | 0 | 4 | 5 | 4 | .444 | 350 | 33 | 33 | 3.52 | 1.23 | |
1986 | 59 | 0 | 4 | 3 | 4 | .571 | 398 | 29 | 26 | 2.32 | 0.99 | |
1987 | 63 | 0 | 7 | 4 | 18 | .636 | 366 | 23 | 20 | 1.90 | 0.87 | |
1988 | 45 | 0 | 8 | 4 | 17 | .667 | 271 | 25 | 23 | 3.20 | 1.16 | |
1989 | 21 | 0 | 2 | 1 | 3 | .667 | 142 | 12 | 12 | 3.15 | 1.14 | |
1990 | 西武 | 37 | 0 | 3 | 1 | 24 | .750 | 179 | 15 | 15 | 3.00 | 1.16 |
1991 | 34 | 0 | 7 | 1 | 8 | .875 | 287 | 15 | 14 | 1.78 | 1.16 | |
1992 | 38 | 1 | 10 | 1 | 16 | .909 | 302 | 21 | 21 | 2.47 | 0.99 | |
1993 | 42 | 1 | 5 | 4 | 16 | .556 | 274 | 21 | 17 | 2.25 | 1.09 | |
1994 | 40 | 0 | 7 | 3 | 5 | .700 | 305 | 29 | 29 | 3.40 | 1.10 | |
1995 | 43 | 3 | 6 | 3 | 2 | .667 | 344 | 24 | 23 | 2.42 | 1.09 | |
1996 | 47 | 0 | 7 | 3 | 2 | .700 | 317 | 22 | 20 | 2.40 | 1.29 | |
1997 | 8 | 0 | 1 | 1 | 0 | .500 | 35 | 8 | 8 | 9.82 | 2.18 | |
通算:19年 | 755 | 16 | 91 | 46 | 131 | .664 | 5282 | 429 | 401 | 2.76 | 1.12 |
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読売ジャイアンツ時代の経歴は?王貞治が信頼
1979年
開幕戦となる4月7日の対中日戦でいきなり登板しその後も、6月9日の対中日戦で初勝利を挙げるなど、38試合に登板して3勝を挙げた。秋には若手中心の伊東キャンプでギリギリのところまで自分を追い詰めるほどの猛練習を積んだ。
1980年
51試合に登板して防御率も1点台と翌年への手応えを感じた。
1981年
ベンチ入りはしていない。
1982年~1983年
主に中継ぎや抑えを務め、一方でローテーションの谷間の先発も任された。
1983年8月21日の横浜での対大洋戦では、164球を投げて2点に抑えプロ唯一の完投勝利を挙げている[7]。同年の日本シリーズでは4試合に登板して4回1/3を投げ、自責点0の成績を残した。
1984年
王貞治はリリーフとして自分の立場を確立し、48試合に登板して自己最多の10SPを挙げた。その後も勝ち試合など重要な場面での起用が増えました。
1986年
サンチェが加入すると角三男と翌年まで3人で競争しながらお互いを信頼し、強力なリリーフ陣を形成しました。
1987年
シーズン序盤のサンチェに代わる抑えの切り札としてリーグ最多の63試合に登板して防御率1.90を記録した。
1989年
長年の疲労や、藤田監督による先発完投のチーム方針の下で登板間隔が開きがちになる調整の難しさから調子を落とした。同年は2勝3セーブに終わり、シーズン終盤に構想外となりました。
鹿取 義隆のフォームと球速・球種は?
右サイドスローからの140km/h台のキレの良いストレートと多彩な変化球が持ち味で、キレの良いスライダーとシンカーに加え、1989年頃からはチェンジアップも持ち球に加えていた。
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鹿取 義隆の現在・今は?
巨人のGMへ
鹿取義隆さんの現在は読売ジャイアンツのGMに就任しましたが
その前は、読売ジャイアンツのGM特別補佐に就任していました
GM特別補佐ですが、2017年4月1日に就任したばかりでしたので急なGM昇格にも戸惑っていると思われます
鹿取新GMになりどう体制が変わって行くのかが見ものでしたが現在は退任しています。
まとめ
とにかく王貞治のお気に入りでした。
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