2024年12月19日、日本のメディア界に絶大な影響力を持った「ナベツネ」こと渡邉恒雄氏が98歳でこの世を去りました12。読売新聞グループ本社代表取締役主筆として長年君臨し、読売ジャイアンツのオーナーとしてもプロ野球界に大きな足跡を残した巨人が、その生涯を閉じたのです。
今回は、そんな渡邉恒雄氏の家族構成に焦点を当て、息子の現在の状況、妻との愛の物語、そして孫たちの存在について詳しく探っていきます
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 渡邉恒雄(わたなべ つねお) |
生年月日 | 1926年5月30日 |
職業 | 新聞記者、実業家 |
会社 | 読売新聞グループ本社、代表取締役兼編集長 |
受賞歴 | 旭日大綬章 |
ニックネーム | ナベツネ |
渡辺恒雄の子供息子は渡邉睦の現在?孫は?妻の篤子の若い頃女優だった?

渡辺篤子さん:若い頃元女優、
渡邉恒雄氏の妻は、渡辺篤子(旧姓:鍋島篤子)さんです。
1930年生まれで、恒雄氏より4歳年下でした。篤子さんは若い頃、女優として活動しており、もともとは左翼系の「新協劇団」に所属していましたが、新劇だけでは生活が成り立たず、東宝のオーディションを受けて女優の道に進んだとされています。佐賀藩鍋島家の血を引く家柄とも言われ、その立ち居振る舞いには気品があったと伝えられています。

子さんは肺結核を患い、体調を崩したことから女優業を断念せざるを得ませんでした。その後は、体への負担が少ないモデルに転向し、著名な写真家(木村伊兵衛氏とも伝えられています)の専属として商業写真のモデルなどを務めていた時期がありました。
渡邉恒雄氏と出会ったのは、モデルをされていた頃とされています。恒雄氏は、篤子さんについて「もともと左翼系の『新協劇団』の女優だったが新劇では食べていけず、母との生活のためにオーディションを受けて東宝の女優になった。その後肺結核にかかったため、体が楽なモデルに転じていた」と回想しています。
なお、新国立劇場のオペラ『魔笛』の公演情報に「渡辺敦子」という名前の出演者(侍女III役)がありますが、これは渡邉恒雄氏の妻・篤子さんとは同名の別人と考えられます。
篤子さんの女優としての活動時期や年齢を考慮すると、2006年のオペラ公演に出演していた可能性は低いと思われます。また、プリンセスプリンセスの元メンバーである渡辺敦子さんや、市議会議員の渡辺あつこ(渡辺厚子)さん、女優の渡辺えりさん、渡辺真起子さん、渡辺有菜さん、渡辺典子さんなども、それぞれ同姓あるいは同名の別人です。
二人の出会いは知人の紹介がきっかけでした。恒雄氏は篤子さんの誠実な人柄に強く惹かれ、1954年3月に宇都宮徳馬夫妻の媒酌のもと結婚しました。結婚後、篤子さんは表舞台に出ることは少なくなり、恒雄氏の多忙な生活とジャーナリストとしての激務を陰で献身的に支え続けました。
篤子さんは晩年、クモ膜下出血を患い、その後認知症を発症しました。恒雄氏は自ら篤子さんの面倒を見るようになり、その中で妻への愛情を再認識したと自伝で記しています。2017年10月20日、篤子さんは肝硬変のため87歳で亡くなりました。恒雄氏の悲しみは深く、その愛妻家としての一面が報じられています。1997年に恒雄氏自身が前立腺がんを患った際も、篤子さんの支えが大きかったと言われています。
渡辺 恒雄(なべつね)の息子は渡邉睦
渡辺恒雄さんには息子さんが1人いて、お名前は陸さん。
名前の由来は、渡辺恒雄さんが親しかった政治家の大野伴睦さんから、一文字授かったものです。
渡辺恒雄さんの息子の年齢ですが、1959年生まれということですから、渡辺恒雄さんが34歳のときの子供です。当時としては、わりと年齢差のある親子だったのですね。
渡辺家の跡取り息子としてかなり厳しく育て上げられたようで、少年時代から大量の家庭教師を付けられて勉強の日々を送っていたようですね。特に教育熱心だった渡辺さんは、時として自ら睦さんに勉強を教えながら鉄拳制裁を下したこともあったとか。
息のつまる環境に育った睦さんでしたが、息子と裸で向き合うために、毎日のお風呂は可能な限り息子と一緒に入っていた渡辺さんの愛情を感じていたためか、特にグレることもなく育つことになりました。
中央大学付属高校から青山学院大学経済学部に進学しています。渡辺恒雄さんは、とても子供思いの方でして、
息子さんの受験勉強を指導していたそうです
息子・睦さんの教育や成長を何より大切
父・恒雄氏もまた息子を人一倍気に掛けていました。恒雄氏は巨人軍オーナーやメディア界の重鎮として多忙を極める中でも、睦さんの教育や成長を何より大切にしてきました。
幼少期の教育熱心さはもちろん、睦さんが社会人になってからも折に触れて助言を与えていたようです。
例えば、睦さんが銀行員として読売グループ企業と取引する際には、父である恒雄氏の名前が影響力を持つこともあったとされます。
事実、一部の報道では「渡辺睦さんは親の威光を背にグループ会社で営業を行い、日本テレビの不動産開発に進言した」といった指摘もあります。
これが事実ならば、睦さんは父の力を背景にグループの経営案件に関与していた可能性があります。
ただし、こうした話はあくまで取材班のレポートであり公式に確認されたものではありません。読売新聞社自体には睦さんは在籍しておらず、あくまで銀行マンとして外部から関わった程度とみられています。
渡邉恒雄氏は自身の後継に息子を指名することもなく、読売新聞グループの経営はプロパー人材に託されています。そのため、「ナベツネ帝国」を子息が引き継ぐような世襲は行われませんでしたが、睦さんは良き理解者として父を陰で支える存在であったと言えそうです。
息子は渡邉睦は三井信託銀行に入行
金融マンとしての睦さんは順調にキャリアを重ね、業務の中で企業買収(M&A)や行政対応など重要分野を担当し成果を上げたとされています。
30代後半には早くも頭角を現し、同期トップのスピード昇進で法人営業部門の部長職に就いたとのことです。実際、2005年の報道によれば睦さんは45歳で中央三井信託銀行の法人営業第一部長を務めていたと伝えられています。
以降も出世街道を歩み、2009年に中央三井信託銀行の執行役員(本店法人営業部長)に昇格。
2012年の3行合併後は三井住友信託銀行の執行役員、2014年には常務執行役員、2017年には専務執行役員へと要職を歴任しました。
2019年に同行のエグゼクティブアドバイザーに就任した後、2021年4月より関連会社である三井住友トラスト不動産株式会社の会長に就任しています。
さらに同年6月には東急不動産の社外取締役にも迎えられ、不動産業界でも経営に関与する立場となりました。このように睦さんは金融・不動産分野で豊富な実績を持つエリート実業家として活躍しており、現在もいくつかの企業で要職を務めています
項目 | 詳細 |
---|---|
氏名 | 渡辺睦 |
読み方 | わたなべ むつみ |
生年月日 | 1959年7月25日 |
年齢(2024年現在) | 65歳 |
出身高校 | 中央大学附属高等学校 |
出身大学 | 青山学院大学経済学部 |
卒業年 | 1982年 |
初職 | 三井信託銀行株式会社(1982年4月入社) |
主要経歴1 | 中央三井信託銀行株式会社執行役員本店法人営業部部長(2009年7月) |
主要経歴2 | 法人営業第一部長・資産金融部担当部長歴任 |
主要経歴3 | 東急不動産株式会社社外取締役(2021年6月退任) |
主要経歴4 | 三井信託銀行社外取締役(2024年6月退任) |
現職 | 三井住友トラスト不動産株式会社会長 |
結婚歴 | 既婚 |
子供 | 複数人(詳細非公開) |
住居 | 父・恒雄の隣に居住 |
特記事項 | 名前の由来は政治家・大野伴睦から一字を取って命名 |
息子は渡邉睦の現在は?
渡辺恒雄さんの息子、渡辺睦さんは、現在では三井住友トラスト不動産の会長をされております。かなりのエリートのようですね!
渡辺睦さんは、中央三井信託銀行㈱の執行役員を経て、三井住友トラスト不動産㈱の会長に就任したとされています。
どうやら東急東急不動産株式会社の社外取締役に就任していることがわかります。
社外取締役は、企業の業務執行に関する意思決定をする重要な役割を担い、社外から招いた取締役のことです。社内で昇格した人材ではないため、社内の利害関係にとらわれずに任務を遂行することが可能です。
社外取締役の役割としては、株主と経営者らとの利益が相反しないことを監視・監督することが挙げられます
1982 年 4 月 | 三井信託銀行㈱ 入社 |
2009 年 7 月 | 中央三井信託銀行㈱ 執行役員 本店法人営業部 部長 |
2010 年 11 月 | 同社 執行役員 |
2012 年 4 月 | 三井住友信託銀行㈱ 執行役員 |
2014 年 4 月 | 同社 常務執行役員 |
2017 年 4 月 | 同社 専務執行役員 |
2019 年 4 月 | 同社 エグゼクティブアドバイザー |
2021 年 4 月 | 三井住友トラスト不動産㈱ 会長(現) |
渡辺睦氏は結婚しており、複数の子供(渡邉恒雄氏の孫)がいることが確認されています。興味深いことに、睦氏は父・恒雄氏の隣に住居を構えており、物理的にも心理的にも近い距離を保った親子関係を築いていました。この住環境により、日常的なコミュニケーションが取りやすく、互いに支え合う関係が維持されていたと考えられます。
父と息子は良好な関係?
渡邉恒雄氏と息子・睦さんの関係は、良好で深い親子の絆に彩られています。
渡邉氏は若い頃こそ仕事一筋の厳格な父親でしたが、晩年になると息子に対する感謝と信頼の言葉をたびたび口にしています。
渡邉氏自身、「一人息子は非常に親孝行でね、毎晩僕の家に来て肩や身体を揉んでくれる」と語っており、睦さんは多忙な父に代わって晩酌の相手やマッサージをするなど、献身的に父親を支えていた様子が窺えます。睦さんは結婚後、両親の自宅の隣に住んでいたとされ、母・篤子さんの介護の際にも父と二人三脚で協力するなど、家族思いの一面を見せています。
渡邉恒雄氏の葬儀では長男の睦さんが喪主
実際、渡邉恒雄氏の葬儀では長男の睦さんが喪主を務めています。2024年12月、98歳で逝去した恒雄氏の最期を看取ったのも睦さんでした。渡邉氏は存命中、「家族っていうのは本当に良いものだ。最期の時もそばにいてもらいたい」と語っており、その願いどおり晩年は息子や孫に囲まれて穏やかに過ごしたようです。伝えられるところによれば、渡邉氏は孫が高校進学を迎えた際にも大変喜び、教育熱心だった若き日の自分を思い出しながら目を細めていたともいいます。睦さんにとっても偉大な父は誇りであり、最期まで親子の絆は強く結ばれていました。
渡辺 恒雄(なべつね)の孫は?

渡邉恒雄氏には複数の孫と、ひ孫もいるとされています。しかし、具体的な人数や性別、名前などは、ご家族がプライバシーを非常に重視しているため公表されていません。
恒雄氏は生前、孫たちとの交流について触れることがありました。2019年の文春のインタビューでは「孫は今(2019年)高校生でしばしば僕の家に来てくれている」と語っています。また、恒雄氏が85歳の時に10歳だった孫がピアニストを目指しているというエピソードも伝えられています。息子・睦さん一家が隣家に住んでいることから、日常的に親密な交流があったことがうかがえます
渡辺恒雄の家系図は?

続柄 | 名前 | 生年月日 | 没年月日 | 職業・備考 |
---|---|---|---|---|
本人 | 渡邉恒雄(ナベツネ) | 1926年5月30日 | 2024年12月19日(98歳) | 読売新聞グループ本社代表取締役主筆、読売ジャイアンツ元オーナー |
父 | 渡辺平吉 | 不明 | 1934年(47歳) | 不動貯金銀行(現りそな銀行)勤務、胃癌で早世 |
母 | 花 | 不明 | 101歳で死去 | キリスト教徒、101歳まで長寿 |
妻 | 渡辺篤子(旧姓:鍋島) | 1930年頃 | 2017年10月20日(87歳) | 元東宝女優、佐賀藩鍋島家の子孫、クモ膜下出血後認知症 |
息子 | 渡辺睦 | 1959年7月25日 | 存命 | 三井住友トラスト不動産元会長、東急不動産元社外取締役 |
孫 | 複数人(詳細非公開) | 不明 | 存命 | 恒雄の孫世代、一人は23歳(2024年現在)でピアニスト志望だった過去あり |
渡辺 恒雄の家族の構成や家系図
渡辺 恒雄の家族の構成は3人家族です。娘はいません。
渡邉恒雄氏の家系図は、父方の銀行系エリート家系と母方の長寿家系、そして妻方の佐賀藩鍋島家という三つの血筋が合流した興味深い構成となっている。
五人兄弟の三番目の長男として1926年5月30日に東京府豊多摩郡(現在の杉並区)で誕生した渡邉恒雄氏は、幼少期に父を失いながらも母の献身的な支えのもとで成長した
本人 | 渡辺恒雄 |
---|---|
妻 | 渡辺篤子 |
長男 | 渡邉睦 |
父方の家系:銀行エリート一族
渡邉恒雄氏の父・渡辺平吉氏は不動貯金銀行(現在のりそな銀行)に勤務する銀行マンであった。
1934年、恒雄氏がわずか8歳の時に胃癌により47歳の若さで急逝している。平吉氏の死は突然で、自宅の玄関で吐血し、診断から1週間後に他界するという悲劇的なものであった。
注目すべきは、母・花の実兄である柳井信治氏が同じ不動貯金銀行で重役を務めていたことである4。これにより渡邉家は銀行業界に深いつながりを持つエリート家系の一面を持っていた。
平吉氏が遺した11軒の貸家からの家賃収入により、一家は経済的困窮を免れることができた
母方の家系:長寿と信仰の家系
母・花は101歳まで生き抜いた長寿の人物で、キリスト教を信仰していた。
夫を失った打撃から立ち直るのに時間はかかったものの、息子の恒雄氏に対して常に勉学を重視し、「総領だから偉くならなければならない」と叱咤激励し続けた。花の教育方針と信念
鍋島直孝さんの末裔
肥前藩(ひぜんはん)ともいう。 鍋島家が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもあります。
明治維新を推進した薩長土肥のひとつです。 現在の佐賀県、長崎県の一部にあたります。
佐賀藩の9代目藩主・鍋島斉直さんの五男であり、後に分家の1つであった餅木鍋島家に養子へ出された鍋島直孝さんの末裔の1人が篤子さんだという話となっています。
鍋島直孝は江戸時代後期の1809年生まれですので、、鍋島直孝の玄孫にあたるのが、渡辺恒雄さんの妻なのでしょうか。
本家の佐賀藩主、鍋島家は皇族とも親戚関係にある家系ですから、渡辺恒雄さんの家系図はとても華麗ですね。
餅木鍋島家は5000石の大旗本ということもあり、鍋島直孝さんは町奉行や大番頭といった大役を歴任している結構な大物だったとか。
渡辺恒雄氏の訃報ニュースは、妻・篤子さんが2017年10月20日に亡くなっているので、その影響が懸念されていました。
妻・篤子さんの死因は肝硬変のためと発表されています。(享年87)
まとめ:渡邉恒雄の息子陸の現在や家系図?孫?妻が若い頃?子供?渡辺篤子?ナベツネ子供?
渡邉恒雄氏の98年の生涯を振り返ると、常に家族が彼の人生の中心にあったことがわかります。8歳で父を失い、母の期待を背負って勉学に励んだ少年時代。元女優の篤子さんとの運命的な出会いと60年以上に及ぶ愛の物語。一人息子・睦さんへの教育熱心な父親としての姿。そして、孫やひ孫たちへと受け継がれる渡邉家の血筋。
「メディア界の帝王」「球界のドン」として君臨した渡邉恒雄氏でしたが、その根底にあったのは家族への深い愛情でした。2024年12月19日、98歳でこの世を去った恒雄氏の遺志は、息子・睦さんを通じて次世代へと確実に受け継がれていくことでしょう。渡邉家の物語は、一人の男性が家族の絆に支えられながら日本の政治・経済・メディア界に大きな影響を与え続けた、まさに現代日本史の縮図と言えるのではないでしょうか
コメント