王 貞治(おう さだはる、繁体字: 王貞治; 拼音: Wáng Zhēnzhì、1940年5月20日 – )は、日本の元プロ野球選手、監督です。
東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)出身。中華民国国籍。愛称は「世界の王」「ワンちゃん」となっています。
王貞治の現在や今は
福岡ソフトバンクホークスの代表取締役、副社長、会長、球団特別アドバイザーを勤めている。
2021年8月7日、2020年東京オリンピックにおいて正式競技に復帰した野球で日本が全勝優勝を果たし金メダルを獲得した際、野球日本代表の特別顧問を務める王は「僕は野球が国技だと思っている。五輪の金メダルというのは特別。これまでチャレンジしながら取れなかったものを、自国開催で取れたのは本当に嬉しい」と述べています。
2021年10月29日、取締役会長に加え、特別チームアドバイザーを兼務することを発表し、王は会見で、「監督・コーチとの接触を含め、選手たちにも今まで以上に気がついたことを色々と声をかけていきたい」と語っています
王貞治の国籍は台湾?
国籍は中華民国(いわゆる台湾)ですが、日本生まれの日本育ち。 お父さんが中華民国の人で、日本で日本人の女性と結婚して王さんが生まれました。
日本では特に選択しなければ父親の国籍を継ぎますし、お父さんもそう望まれたので、中華民国の国籍を継いだわけです。
なお、よく「台湾人」と称されますが、これは正しくありません。
王さんのお父さんが日本に来たころは、まだ中国大陸の覇権を国民党(中華民国)と共産党(中華人民共和国)が争っていたころで、お父さんは中華民国支配下の中国で生まれ育ち、日本に移り住んだんです。
その後、中国内戦は共産党の勝利に終わり、国民党は台湾に逃れました。
日本も後に共産党政府を正当政府と認め国交を樹立、台湾にある国民党政府とは断交しましたので、中華民国を「中国」とは呼ばなくなり、中華民国国籍の人も「中国人」ではなく「台湾人」と呼ぶようになったため、王さんも便宜上「台湾人」と呼ばれるようになったわけですが、王さん本人は勿論、お父さんやその祖先も台湾とは何の関係もありません
王貞治の死亡説は?
王さんはソフトバンクホークスの監督時代の2006年に胃がんの手術を受けていました。
年2回ある定期健診の胃カメラ検査で発覚したらしく、シーズン中でしたがチームを離れ治療を受ける事になり、7月18日に慶應義塾大学病院で腹腔鏡下手術により胃を全摘出しました。
これにより食事量が減り痩せて行ったそうですが、元々は大食いだったそうです!
2009年9月21日には腸閉塞と胆嚢摘出手術を受けていました。
さらに、2018年の夏には肺炎で極秘入院していたと報じられ心配されましたが、大事を取って入院しただけで症状としてはそれほど重くなかったので安心しました!
王貞治の記念館がある
ポケモンで有名な錦糸公園に隣接している体育館のホール内にあります。
住所 東京都墨田区錦糸4-15-1(錦糸公園内)
アクセス 錦糸町駅」北口より徒歩約3分、錦糸公園内
場所 2階エントランスホール内
展示物は?
区のホームページによると以下のような展示物があると書いてあります。
墨田区で過ごした幼少期の着物
卒業アルバム
現役時代のユニフォーム・グローブ
親族、友人の方からご提供いただいた貴重な品々と写真
ジャイアンツ時代のユニフォーム
永久欠番となっている背番号1のユニフォームが錦糸町にあります。
記念すべき800号ホームランを放った時のサインやチケットも!
プライバシーの関係上卒業アルバムは撮影できませんでしたが、卒業アルバムも展示してあります。無遅刻無欠席の表彰状も展示。
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なぜ王貞治会長はソフトバンクホークスに!
内川に対しては「今の君を必要としているんだ」という言葉を投げかけハートをつかんだ。
監督時代の06年オフ、小久保が巨人から復帰する際は、園遊会出席後というハードスケジュールの中、「また一緒に戦おう。ぜひ帰ってきてほしい」と熱い思いを伝えた。
94年オフ、工藤現監督が西武からFA移籍する際も直接思いを伝えた。
そのことを工藤監督は今も深く感謝している。
王貞治といえば、巨人のメンバーだっただけに残念です。
巨人の監督をやりたかったと思います。
でも、長嶋がいましたから、泣く泣く誘いに乗ったのです。
同じように掛布も岡田によって、阪神監督の可能性がなくなりましたよね。
ただ、王貞治も、あれだけの人格者だし、ダイエーからソフトバンクに変わっても球団は手放したくなかったのでしょうね。
巨人との関係も、監督辞任後、OB会長も努めていたし関係は悪くないと思います。
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王貞治もソフトバンクでは苦労し常勝軍団を作った
ダイエーホークスの監督に就任してからは、全く勝てませんでしたね。
球場から出てきたナインの乗ったバスに、「お前らプロか?」と言う罵声を皮切りに次々と生卵がぶつけられる事件が勃発したりもしました。生卵事件といわれてます。
巨人監督を辞任する際にV逸の責任を「球団フロントから問われた」のとは違い、「チームのファンから」心無い仕打ちを受けるという、スター街道を進んできた王にとっては今まで味わった事のないほどの苦しみを浴びました。
まとめ
王はそれらに対し、ひたすら「俺は辞めない」「我々は勝つしかない。勝てばファンも拍手で迎えてくれる」と発言しながら耐え忍び続けた。
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