【佐々木朗希はなぜ甲子園出てない】甲子園出場?高校時代? 球速落ちたや成績!ろうき

々木朗希の甲子園?決勝登板回避問題!國保陽平!大船渡高校時代野球部監督批判も佐々木朗希
々木朗希の甲子園?決勝登板回避問題!國保陽平!大船渡高校時代野球部監督批判も
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佐々木 朗希(ささき ろうき、2001年11月3日 – )は、岩手県陸前高田市高田町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。

佐々木朗希投手は甲子園に出場していません。県大会で起用しなかった大船渡の國保陽平監督の采配を批判する前に、高校球児に過度な精神的肉体的疲労を強いる過密日程を改善しない高野連の体質を問題視すべきなどいわれました。

佐々木郎希凄すぎる件。 そして大船渡高校國保陽平監督の登板回避の判断が間違いじゃなかったと世間に証明されて本当良かった。

陸前高田市立高田小学校3年生の時、地元の高田スポーツ少年団で野球を始めました。

 2011年3月11日の東日本大震災の津波で父と祖父母を亡くし、実家も流されたため4年生時に大船渡市に移り住み、大船渡市立猪川小学校に転校し、地元の軟式少年野球団「猪川野球クラブ」に入部

 2013年12月7日には、後に入団する千葉ロッテマリーンズの本拠地・QVCマリンフィールドで開催された、岩手三陸沿岸の少年野球チームによる大会「リアスリーグ」の決勝戦に出場した

大船渡市立第一中学校野球部(軟式)では2年生時にエースナンバーを背負うが、3年生になる直前の2016年初春に腰の疲労骨折が判明します。

 痛みを訴えた当初、地元の病院では「身体が硬いだけ」と診断されたが、釈然としなかった指導者が私立花巻東高校の佐々木洋監督に相談します。

出身地 岩手県陸前高田市
生年月日 2001年11月3日(20歳)
身長
体重 192[1] cm
85 kg

佐々木朗希はなぜ甲子園出てない?

佐々木朗希の甲子園?決勝登板回避問題!
佐々木朗希の甲子園?決勝登板回避問題!

なぜ甲子園出てない?

3年夏の県大会ではエース兼4番打者を務め、4回戦の盛岡四戦では公式戦での高校生投手史上最速タイとなる160km/hを計測しました。

 選抜大会出場の盛岡大附を破った一関工業に準決勝で完封勝ちを収め、チームは決勝へ進出。

 7月30日に行われた花巻東との決勝戦では國保陽平監督が「故障予防のため」という理由で投手・打者とも佐々木を出場回避させ、チームも敗れました。

 これに対して佐々木の大船渡高校には苦情の電話が殺到し、野球関係者や評論家の間でも議論となり、メディアでも取り上げられるほど社会問題へ

 2019年8月にはU-18代表に選出されたものの、大会前に右手の中指に肉刺(まめ)ができたため、登板したのは対韓国代表戦の1イニングにとどまった

高校野球選手権岩手大会決勝戦において、佐々木は登板することなくチームも花巻東高校に2-12で敗れ、大船渡高校はあと一歩のところで35年ぶりの甲子園出場を逃しました。

関連記事:國保陽平監督(元大船渡高校野球部監督)の現在?退任?批判クビ・無能が完全試合で英断の声

佐々木朗希の高校時代?球種・ 球速 落ちた・成績は?

県立大船渡高校高校時代は?

佐々木朗希の大船渡高校時代野球部1年時代

高校進学に当たっては県内外から声がかかったが、地元で甲子園を目指したいという思いから県立大船渡高校に進学します。

 1年夏の県大会で公式戦デビューを果たし、147km/hを計測します。

 同大会はこの1試合の登板のみでチームは3回戦で敗退しました。

佐々木朗希の大船渡高校時代野球部2年時代

 2年夏の県大会では初戦に154km/hを計測したが、外野手として出場した3回戦の西和賀戦でチームは敗退します。

 2年秋の県大会では高校2年生史上最速タイとなる157km/hを計測。

2019年4月6日、佐々木は高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、球場の表示ではなく非公式ながら中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで163km/hを計測したとされています。

 これは大谷翔平が持っていた当時の高校生最速記録である160km/hを3km/h上回るもの

 このように速球で大きな注目を集めた佐々木は『令和の怪物』と称され、また奥川恭伸・西純矢・及川雅貴と共に、この年の『高校BIG4』と呼ばればした。

佐々木朗希の高校時代の球種・球速落ちた・成績は?

成績は?

高校時代に岩手県大会・盛岡四高戦の延長12回に、決勝本塁打を打つなど打撃センスもひかりました。

50メートル走5秒9です。甲子園の成績は後述します。

球速

佐々木は高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、球場の表示ではなく非公式ながら中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで163km/hを計測したとされています。

これは大谷翔平が持っていた当時の高校生最速記録である160km/hを3km/h上回るものでした。ストレートの平均回転数は2450rpmを計測し、NPBの平均値(2200~2300rpm)より上だった

ちなみに球速は先日165キロをだしていますので落ちていませんね。

球種は?

持つ球種として、スライダー、フォーク、カーブがある。

フォークはスカウトから高く評価されていました。。また、フォークも最速150km/hを計測していました。

佐々木のストレートの握りは中指と人差し指をくっつけた独特な握りであり、過去に藤川球児らがこの握りでストレートを投げていました。

 この握り方はいわゆる一般的なストレートの握りと異なるもので力を集中させやすい反面、制球をしにくい握り方であるとされています。

まとめ:【佐々木朗希はなぜ甲子園出てない】甲子園出場?高校時代? 球速落ちたや成績!ろうき

いかがでしょうか。

【佐々木朗希はなぜ甲子園出てない】甲子園出場?高校時代? 球速落ちたや成績!ろうきについてお伝えしました。

ピッチャーは大衆娯楽の為の消耗品じゃないんじゃないんですね。

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