佐々木 朗希(ささき ろうき、2001年11月3日 – )は、岩手県陸前高田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
ドラフト会議においては、千葉ロッテを含め、4球団が競合しましたからね。佐々木朗希選手の両親はどのような方なのでしょうか?!父親についてお伝えします。
今回の記事では佐々木朗希の父親!両親!家族!死因や発見で見つかった?実家や出生地?ろうきについてお伝えします。
小学校3年時に岩手県陸前高田市で東日本大震災に被災したロッテ・佐々木朗希投手は10日、少年時代の記憶を振り返っています。
国籍 | 日本 |
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出身地 | 岩手県陸前高田市 |
生年月日 | 2001年11月3日(19歳) |
身長 体重 | 190 cm 85 kg |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2019年 ドラフト1位 |
初出場 | 2021年5月16日 |
年俸 | 1,600万円(2021年) |
【佐々木朗希の父親】家族構成!両親!職業!実家や出生地?ろうき
親が野球をしていて、子供も野球好きになるってよく聞く話です。佐々木朗希選手も両親が野球好きのため、昔から野球をやっていたのかなと思います。
佐々木朗希の実家や出生地
佐々木朗希の実家や出生地は岩手県陸前高田市です。
陸前高田市は、岩手県南東部にある、太平洋に面する市です。
旧陸前国気仙郡に属し、隣接する同県大船渡市や宮城県気仙沼市とともに、三陸海岸のうち陸前海岸北部の中核を成します。
東日本大震災による津波で大きな被害を受け、復興や内陸への市役所移転など将来に備えた防災・減災に取り組んでいます。
佐々木朗希の家族の構成は4人家族
佐々木朗希投手の家族構成はお母さん、お兄さんと弟さんの4人家族です。なんと佐々木は、9歳のときに東日本大震災で被災した。実父と祖父母を亡くしている。
噂通り母子家庭ですね。
佐々木朗希選手の父親は、佐々木功太さん。
佐々木朗希選手の母親は、佐々木陽子さん。(2021年現在48歳)
佐々木朗希の父の職業?
佐々木朗希選手の父親の職業は、葬儀屋さんだったということが分かりました。佐々木功太さんで、葬儀屋に務めるサラリーマンでした。
功太さんは身長181㎝あり、野球経験者ではなくバスケットボール経験者でしたが、よくキャッチボールをしてくれてたとか。
キャッチボールをしてくれた父・功太さんは、「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言していたと言います。
父親の身長を多く超えて190㎝まで伸びた佐々木朗希選手は、毎朝、父と祖父母の写真に向かって、「行ってきます」と声をかけて、学校に行っていたそうです。
【佐々木朗希の父親】死因や発見で見つかった?
佐々木朗希の父の震災で死因は
父・功太さん(享年37)ら家族を津波で失ないました。大好きな野球をやることで勇気と希望をもらったといいます。2011年3月11日の東日本大震災の津波で、祖父母と共に37歳で亡くなっています。
佐々木朗希選手の父親と祖父母は、残念ながら東日本大震災の犠牲者になってしまいました。当時佐々木朗希選手は9歳、功太さんは37歳でした。計り知れない悲しみ、苦しみだったでしょう。
「家では、お父さんが毎日のようにキャッチャーをやっていたようです。震災後の大変な時期でも野球を続けたのは、お父さんとの思い出もあるんじゃないかな」
佐々木朗希の父の発見
悲しいお話になってしまうのですが、佐々木朗希選手の出身である岩手県陸前高田市は8年前の東日本大震災の時に、被害が最も酷かった地域だったのです。
電話が鳴り、「見つかりました。」と伝えられた時、佐々木朗希選手は、見つかった⁉」と、目を見開いて驚いたそうです。
「見つかりました」の真意を、当時9歳だった佐々木朗希選手には、察することが難しかった。
父・功太さんは、いつもニコニコと朗らかで、子煩悩で優しい人だったそうです。
小学校3年時に岩手県陸前高田市で東日本大震災に被災したロッテ・佐々木朗希投手は10日、少年時代の記憶を振り返っています。
大人となった佐々木朗ならば、父・功太さんを亡くした9歳の朗希少年に、どんな言葉を掛けるのだろうかとのことで下記のコメントをしています
「あんまり、くさいことを言うのが好きじゃないので…。まあ、楽しいときは楽しんで、悲しむときは悲しんで…。好きなようにやっていいのかなって思いますね」
まとめ:【佐々木朗希の父親】両親!家族!死因や発見で見つかった?実家や出生地?ろうき
いかがでしたでしょうか。
佐々木朗希の父親!両親!家族!死因や発見で見つかった?実家や出生地?ろうきについてお伝えしました。
今後の期待が気になりますね。
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