吉岡雄二はリアル野球盤とんねるず?近鉄と巨人で活躍?帝京高校のヒーロ!

最近の野球ファンには『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』のリアル野球BAN企画で、石橋貴明率いる帝京チームの一員として、現役選手顔負けの打球を次々とかっ飛ばす白髪の温厚そうなおじさんというイメージが強いかもしれない。

吉岡雄二はリアル野球盤とんねるず?近鉄と巨人で活躍?帝京高校のヒーロ!

国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都足立区
生年月日 1971年7月29日(46歳)
身長  189 cm
体重  90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手、三塁手、外野手
プロ入り 1989年 ドラフト3位

帝京高校時代は??

高校時代はエース投手であった。1989年の第61回選抜高等学校野球大会では同校は優勝候補の筆頭に挙げられたが、1回戦で報徳学園高校に敗退します。ただ、夏の甲子園ではでは優勝の立役者となった。全5試合に先発し、3完封でした。41回を投げて失点はわずか1だった。

また、高校通算で51本塁打を放っており、打者として注目したプロ球団も多数あった。

巨人時代は?

入団早々右肩を手術して2年間はリハビリ期間。復帰後は1年だけ投手をするも、1992年のシーズン終了後に内野手になりました。

身長189cmの大型スラッガーは、「右の吉岡、左のゴジラ松井」と元甲子園のヒーローコンビとして球団からも期待されました。できたばかりのFA制度でレギュラー1塁手の駒田徳広が移籍した93年オフには、その背番号10が吉岡に継承されるほどだった。

原辰徳の晩年にプチブレイク

1994年はイースタン・リーグで本塁打と打点の二冠王に輝く。1995年にチームが優勝戦線から脱落すると三塁手としてスタメンの機会を与えられ、短期間で満塁本塁打2本を含む4本塁打を放ち翌年のレギュラー候補となる。原が引退秒読みとなった95年後半戦にプチブレイクしました。

仁志敏久が入団し、レギュラー獲得できず

1996年の開幕一軍入りを果たす。しかし、その年はジェフ・マントが開幕から三塁手でスタメン出場していたため、吉岡はベンチ入りしていながら落合博満の代走・守備固めのみでの出場機会であり、打席の機会がしばらくない状態が続いた。マントは開幕9試合でスタメンを外されたが、開幕10試合目からは長嶋一茂が一軍に昇格してきて9試合連続の三塁スタメンとなり、吉岡自身はやはり打席の機会がなく、シーズン初打席は開幕18試合目での代打となりました。新人王を獲得したアマ全日本の4番打者仁志が入団、サードに定着したため出場機会を奪われてしまった。

結果として、1997年1月に石井浩郎との交換トレードで石毛博史とともに近鉄バファローズへ移籍することになりました。

近鉄時代

中長距離砲という感じでは。おもいっきりのホームランバッターではなかったです。印象としては、パワーヒッターとアベレージヒッターの中間でしょうかね。

近鉄に移籍して「いてまえ打線」の一人として活躍し、優勝に貢献されました。いてまえ打線の6番バッター。飛ぶボールもあったが、あの頃の近鉄は長打力が凄まじかったですね。

その時は、ローズ、中村紀、というホームランバッターがいましたが、彼らと比べると、チャンスに強いアベレージヒッターという印象が強かったです。

まとめ

帝京時代、予選から甲子園優勝まで見てましたが、本当にすごい投手でした。

高校時代で投手としては潰れてしまいましたが。

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