趙成珉ってご存知ですか?顔もイケメンで剛速球も投げるし、今後の巨人を支えていくものだと思っていました。
韓国のプロ野球選手、趙成珉(チョ・ソンミン)氏の突然の死は、韓国社会に大きな衝撃を与えました。
1990年代後半、読売ジャイアンツで活躍した元スター選手は、2013年1月6日、ソウル特別市江南区のマンションで恋人の女性宅で縊死体で発見されました。享年39歳。
一体、彼を死に追いやったものは何だったのでしょうか?本稿では、趙成珉氏の事件について、その詳細な経緯、死因、遺書の内容、家族への影響、そして事件から得られる教訓や社会への影響について考察していきます。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 趙 成珉(チョ・ソンミン) |
漢字表記 | 趙成民とも表記される |
生年月日 | 1973年4月5日 |
没年月日 | 2013年1月6日 |
出身地 | ソウル特別市 |
国籍 | 韓国 |
職業 | プロ野球選手(投手)、野球指導者 |
経歴 | 韓国アマ球界のエースとして活躍 |
1996年に異例の抽選指名で巨人に入団 | |
2000年のオールスターゲームで肘に異変を起こす | |
2013年1月6日に自殺 |
趙成珉の死因と遺書や事件の陰謀論

自殺の状況
2013年1月6日、ソウル市江南区の知人のマンション浴室で、ベルトを首に巻いた状態で発見されました。前夜に交際女性から別れを告げられていたことが引き金とされ、警察は自殺と断定しました
警察の公式発表では、趙成珉氏の死因は自殺と断定されています。 交際相手の女性と別れる直前だったこと、遺書が見つかったこと、そして解剖の結果から、警察は自殺と判断しました。
遺書の内容
遺書は家族などに向けて書かれたもので、1月中旬に発見されました。 具体的な内容は公開されていませんが、報道によると、家族への謝罪と、自らの死によって更なる傷を与えてしまうことへの苦悩が綴られていたとされています。
また、法的紛争を避けるため、自身の財産は姉に相続させるという内容も含まれていたようです
事件に関する憶測や陰謀論
趙成珉氏の死をめぐっては、様々な憶測や陰謀論が飛び交いました。
特に、チェ・ジンシル氏との離婚や、その後の親権問題に関するものが多く、趙成珉氏に対する批判的な意見も少なくありませんでした。
例えば、趙成珉氏がチェ・ジンシル氏を中傷し、離婚を有利に進めようとしたという説や、 子供たちの遺産を狙っていたという説などがあります。 しかし、これらはあくまでも憶測の域を出ず、確かな証拠はありません。
趙成珉と前妻チェ・ジンシルとの関係?娘と息子と子供

結婚と離婚
2000年に韓国人気女優チェ・ジンシルと結婚し、1男1女をもうけました。
趙成珉氏は、2000年に女優のチェ・ジンシル氏と結婚し、一男一女をもうけました。
息子の환희(ファンヒ)氏は2001年生まれ、娘の준희(ジュンヒ)氏は2003年生まれです。 娘の준희(ジュンヒ)氏は、後に조수민(チョ・スミン)に改名しています。
チェ・ジンシル氏との離婚後、子供たちは母親に引き取られましたが、チェ・ジンシル氏の死後、祖母に育てられました。
私生活では、チェ・ジンシル氏との関係が悪化し、2002年には激しい口論の末に睡眠薬を服用し自殺を図ったこともありました。 幸い一命を取り留めましたが、この事件は彼の精神的な不安定さを物語るものでした。
2008年10月、チェ・ジンシルはネット上の誹謗中傷や金銭トラブルに苦しみ、自宅で首を吊って自殺。その後、チェ・ジンシルの実弟も2010年に自殺し、一家に悲劇が連鎖しました
子供娘たちのその後
趙成珉氏の死後、子供たちは母親のチェ・ジンシル氏の母親に引き取られました。 しかし、その後、祖母との確執や健康問題など、様々な困難に直面したことが報じられています。
兄の환희(ファンヒ)氏は、現在Z.flatという名前で音楽活動をしています。
妹の준희(ジュンヒ)氏は、体重が96kgから47kgまで減量したことでも話題になりました。 彼女は現在、インフルエンサーとして活動しており、YouTubeやInstagramで自身の経験や考えを発信しています。 また、作家としても活動しており、出版契約を結んだことも報じられています。
娘の준희(ジュンヒ)氏は、自身のYouTubeチャンネルで、ルーパス病を患っていることや、過去の辛い経験、そして現在の状況について発信しています。
趙成珉(チョソンミン)の巨人入団の経緯?オールスターで権藤に潰された
趙成珉(チョソンミン)の巨人入団の経緯?
韓国アマ球界のエースとして活躍していましたが、1996年に異例の8年契約で読売ジャイアンツへ入団します。2年目の1997年後半から一軍に昇格となります。
1996年に読売ジャイアンツに入団し、1998年には防御率2.75の好成績を残しました。しかし、同年のオールスター戦で右肘を故障し、復帰後は成績が低迷。2002年に巨人を退団後、韓国プロ野球での復帰も失敗し、事業に転身しました
1998年は先発に転向し開幕からローテーションの一角に入り、好投しても負ける不運等があったが前半だけで6完投3完封で7勝を挙げエースの座を掴みかけたが、オールスターゲームの登板で右ひじを故障してしまいます。
オールスターゲームに投げさたため野村に非難があった
ライバル関係にあった巨人の投手を“つぶした”として、野村監督にも疑念の目が向けられました。続投させたのは権藤です。
趙成珉(チョ・ソンミン)投手は1998年のオールスターゲーム第2戦で登板し、1回を投げ1失点という結果でした。この試合で、全セの野村克也監督と権藤博コーチ(当時横浜監督)との意思疎通がうまくいかなかった、もしくは無理に投げさせられたと証言は食い違っています。
横浜権藤につぶされた?
趙成珉(チョ・ソンミン)に続投させたのはその年優勝した横浜権藤だったそうです。オールスター戦は3人まで監督が入れますが、前年の1~3位のチームの人ですね。自軍の長嶋監督は巨人が前年4位だったので、その場にいなかったのです。
趙成珉(チョ・ソンミン)によると「権藤に『肘が痛いので交代したい』と日本語で申し出たが、権藤は『こいつ何言ってるんだ』としらを切った」との事でした。
1998年のオールスター戦での肘の故障以降の低迷の原因は、当時の横浜ベイスターズ監督の権藤博(全セコーチ)のせいだと宝島社『巨人軍タブー事件史』内のインタビュー「憎んで愛したジャイアンツ」の中で語っています。
ヤクルト・野村克也監督(全セ監督)付の広報だった杉村繁は、再度マウンドに登る際に猛然と腕立て伏せをする姿を見て大丈夫だと思った、トレーナー室に入った趙と権藤のやり取りは見ておらず、「謎」のようです。
もし、オールスターゲームに投げていなければどうなっていたのでしょうかね。
肘の故障の原因が権藤氏のせいだとする趙成珉投手自身の発言もありますが 、真相は不明です
趙成珉(チョソンミン)巨人退団後
野球選手としての道を断たれた趙成珉氏は、韓国でシュークリーム(ビアード・パパ)のチェーン店事業を起こしますが、これも失敗に終わります。 さらに、事業投資資金の名目でチェ・ジンシル氏の母親と弟から借金をし、後にこれが訴訟に発展。裁判所は趙成珉氏に1億8750万ウォンの賠償を命じました。
2004年8月、妻への暴力容疑で逮捕されたたりと、大変な人生を歩んでいたんですよね。
まとめ
巨人での活躍する姿をもっと見たかったです。。。
趙成珉氏とチェ・ジンシル氏の事件は、韓国における有名人の自殺問題を改めて浮き彫りにしました。 韓国では、近年、多くの芸能人やスポーツ選手が自殺で亡くなっており、その背景には、過酷な競争社会、プライバシーの侵害、インターネット上の誹謗中傷、そして精神的なケアの不足など、様々な要因が挙げられています。 有名人たちは、常に世間の注目を浴び、大きなプレッシャーの中で生きています。彼らの心の健康を守るためには、社会全体でサポート体制を整えていく必要があると言えるでしょう。
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