ジャイアンツの最大の課題であるセカンドについて述べてこうかと思います。代表的なセカンドであった仁志敏久選手を振り返ってみましょう。守備力を振り返ってみましょう。
目次
仁志敏久の守備がうまい驚き!現役時代を振り返る
仁志敏久氏のプロフィールです。
出身地 | 茨城県古河市 |
生年月日 | 971年10月4日 |
年齢 | 46歳 |
身長 | 171 cm |
体重 | 80 kg |
高校 | 常総学院高等学校 |
大学 | 早稲田大学 |
社会人 | 日本生命 |
常総学院→早稲田大学→日本生命と野球エリートですね。
高校時代
仁志敏久は、茨城県うまれであり、甲子園で名門であり、地元の常総学院高校では1年生からレギュラーを務め、エースの島田直也とともに同校の初出場で準優勝しました。甲子園では、ランニングホームランもうっているんでるよね。3年連続で出場。高校通算28本塁打を打ちました。とにかく有名な選手でしたね。
大学時代
早稲田大学では、主将としてチームを君臨し、高校と同じで遊撃手として活躍しました。4年の六大学春季リーグではシーズン6本塁打を記録するなど活躍します。結果として、ベストナインを3回獲得しました。早慶戦史上初のサヨナラ満塁本塁打は衝撃的です。リーグ通算79試合出場、280打数91安打、打率.325、11本塁打、40打点です。
1995年のドラフト会議で、逆指名を受けてジャイアンツに入団し、前年に引退した原辰徳の背番号「8」となる。原の大ファンであった仁志は大きく、喜び「自分も引退試合をしてもらう選手になりたい」と感じるようになりました。そもそも仁志はジャイアンツしか興味がなく、プロ野球選手にはまったく興味がなかったため、遅めプロデビューとなっています。
巨人時代現役
1996年
三塁手としてデビューし、打率.270、7本塁打、24打点を記録し、セ・リーグ新人王受賞を獲得しました。日本シリーズではチームは敗れ日本一を逃したものの敢闘賞を受賞しました。
1997年
二塁手に転向します。同年は打率.242と前年より下がりましたが、10本塁打、39打点と本塁打と打点は前年より上がりました。土井正三の熱心な指導もあり、二塁手としての地位を確立し引退後も土井正三に感謝していると話をしております。
1998年
106試合に出場し、打率は2割7分台.ホームランは11本塁打でした。セカンドでの守備が向上した年でした。
1999年
打率.298を記録しました。そのうえ、守備では、初のゴールデングラブ賞を受賞しました。
2000年
打率.298を記録しました。本塁打も20本をマークし、他の球団であれば3番バッターですね。
2001年
1999年から4年連続で ゴールデングラブ賞を二塁手として受賞、巨人の二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞したのは、仁志が最後です。
仁志敏久の生涯成績
仁志敏久選手は、小柄でありながら、筋肉質のためパワーがあったため、ホームランすうが多いですね。
打率 | ホームラン | 打点 |
268 | 154 | 541 |
巨人時代を振り返り
過去にジャイアンツでも、3割で20本のホームランが打てるセカンドがいるのです。篠塚と同じで、セカンドはバッティングも良かったです。ゴールデングラブ賞も4年連続取得し、セカンドを主とする巨人の選手で、通算100本塁打を超えたのは仁志しかいません。
松井や清原、由伸が居たたため、脇役のイメージが強いですが、他の球団に在籍してなくてよかったと思えるバッターです。
仁志敏久の守備の凄さは?
仁志は、「良い二塁手」の条件として「送球を考えて、あらゆる打球を捕球できること」でした。
難しい打球をいかにアウトにするか。そのための選択肢の多さが良い二塁手といいます。確かに、仁志は広島の菊池涼介のように華麗な守備ではなかったです。
ただ、「今なぜそこに居座っているのでしょうか」のという、普通にプレイしているように見せて、ポジショニングの上手さには驚きが多かったです。特に、送球を考えた体勢で捕球することを最も意識していたとのことです。
仁志を目指せ
巨人にセカンドが居ないと言われ、何年たつのでしょうか。クルーズや西武からFAで獲得した片岡など補強をしているのですが、この10年セカンドを固定できていません。
ここにきて、セカンドでレギュラー候補に吉川尚輝と山本泰寛がいます。正直なところ、どちらがレギュラーをとるか分からないです。どちらも、ポテンシャルが高いので、来年で勝負つけほしいですね。