金田正一の伝説!息子!金田賢一や娘!本当の球速?在日韓国人!結婚と妻!兄弟!離婚!

巨人
この記事は約5分で読めます。

金田正一の伝説!息子!金田賢一や娘!本当の球速?在日韓国人!結婚と妻!兄弟!離婚!

評論家やタレントとして有名ですが、もともとはプロ野球選手でとてつもない記録を出した人として伝説となっています。

日本プロ野球史上唯一の通算400勝298敗という最多敗戦記録を持っています。

引退後、ロッテオリオンズの監督や、日本プロ野球名球会の初代会長を務めていました。

2019年10月6日、急性胆管炎による敗血症のため惜しまれつつこの世を去っています。

[ad2]

金田正一のプ金田正一の伝説!息子!金田賢一や娘!本当の球速?在日韓国人!結婚と妻!兄弟!離婚!

生年月日 1933年8月1日
身長 184 cm
体重 73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1950年
初出場 1950年8月23日
最終出場 1969年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
名古屋電気学校
享栄商業高等学校 (中退)
国鉄スワローズ (1950 – 1964)
読売ジャイアンツ (1965 – 1969)

日本プロ野球史上唯一の通算400勝を達成、298敗の最多敗戦記録を持ちます。

[ad2]

金田 正一の伝説は凄い

前人未踏の400勝も達成しているが、黒星の数も日本記録の298敗で、シーズン20敗も6度記録しているのが伝説です。

長嶋茂雄デビュー時、初対決でいきなり4打席4三振と、完全にキリキリマイに抑えた。

監督時代は、乱闘時に近鉄のジム・トレーバーの顔面にケリを入れたり、ほかにも退場がかなり多かったりと、かなりの熱血漢。

巨人時代の背番号34は永久欠番。

1.在籍していたチームが弱すぎるため、先発しない日でもベンチ入りして代打要員でベンチにはいっていた。

2.長身だったため小柄のバッターが苦手だった(特に阪神一番吉田義男には3割以上打たれていた)

3.ロッテ監督を辞めてキャンプを見に来ていたとき ロッテに入団してきた落合博満の神主打法を批判してやめさせようとしたが、最後ロッテに在籍していた張本勲にあのままでいいといわれて渋々あきらめる。その後落合は3度の三冠王に輝く、そのときの出来事で落合は2000本安打時でも名球会の会長が金田氏だったので名球会入りを拒否!まあいろいろまだありますがこの辺で!!

[ad2]

金田の本当の球速?

松坂が西武に入団して2年目のオフに大学で過去の映像から解析がおこなわれた結果は

金田→159.8km/h

残された映像のみでの最速なので今のように全球スピードガンで計っていたら最速はもう少し速かったかもしれません。

170キロはさすがに嘘です。 金田さんに限らず、沢村投手なんかでもそうですが、伝えられている事を言葉通りに受け取る事は出来ません。

もちろん、突然変異でその様な人物が出現する可能性も否定は出来ませんが、もしそうならそれなりの成績が残っているハズですです。

例えば70年前の投手の球速は平均130㎞/hくらいだったそうですが、もしこの時代に160㎞/hを超える速球に鋭いカーブ(ドロップ)も持っていて、コントロールも抜群と言う投手が出現していたとしたら、彼らの様な成績になるでしょうか?

まともなバッティングマシーンも無く、同等のボールを投げる投手もいない時代、相手は有効な対策を取る事が出来ませんので、もっと凄い成績(防御率0.00~0.30辺りで、奪三振が1試合平均25個前後と言ったような)になると思います。防御率2点台とかあり得ないですよ。

速球といえば速球ですが長身の左腕という意味では打ちにくい投手ですしダテに400勝していないと思いますしとにかくタフでした。

[ad2]

在日韓国人

そんな金田正一さん、実は在日韓国人ということを明かしています。

金田正一さんは在日韓国人として愛知県に生まれていますが、1959年に日本に帰化しているので国籍は日本です。

韓国名は金慶弘(キム・ギョンホン、김경홍)といいます。

[ad2]

結婚と妻!離婚

私生活では結婚を2回、離婚を1回しているようです。

最初の妻である榎本美佐江さんとは1955年3月から同棲生活をしており、榎本さんが芸能活動を引退して金田正一さんが日本国籍を取得してから1960年に正式に結婚しました。

[ad2]

兄弟は!家族

年齢が上の順から、金田高義(たかよし)さん、星雄(ほしお)さん、留広(とめひろ)さんで、このうち1軍経験があるのは留広さんだけです。

国鉄スワローズに在籍していました。現役時代は右投げ右打ちの投手として活動するも、3年で引退しています。

高義さんが入団した経緯について徳永喜男さんの「ヤクルトスワローズ球団史」では、正一さんの給料を成績相応に上げることが周囲の状況から難しかったため、給料の一部として高義さんを入団させ契約金を払うことになったと伝えられています。

星雄さんは1960年〜61年の2年間、国鉄スワローズに在籍していました。

引退後は歌手となり、「初恋岬」でデビュー。

小宮恵子さんとのデュエット曲「幸せを掴んじゃおう」がヒットして、日活映画「さすらいのトランペット」に二人で共演しています。

[ad2]

息子の金田賢一と娘

息子は賢一さん!他に2人の娘がおり、そのうちの一人である金田幸子さんは1980年代にタレントとして活動していたそうです。

1961年8月22日生まれです。

成城学園中学の時代には野球をやっていたそうです。

1978年に正一さんの友人で俳優の長門裕之さんが製作にかかわっていたという映画『正午なり』で俳優デビュー

その後も映画やドラマに出演し、近年では単発ドラマの脇役として深みのある演技を披露しています。父とは『関口宏の東京フレンドパーク』や、神奈川県警のポスター『金田さんは、カネ出さん!』で親子共演を果たしました。

[ad2]

まとめ

プロ野球界の天皇といわれるだけあります。成績ではなく、行動も伝説ですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました