桜井俊貴のドラフト評価!高校時代や立命館大学時代も!

2015年ドラフト1位の桜井俊貴についてです。

高校時代や立命館大学時代はどのような活躍をしていたのでしょうか。

巨人に入団してからは、なぜドラフト一位で指名したんだ。大学野球よりもレベルが低いぞと散々に言われていましたね。

巨人・桜井俊貴のドラフト評価は?立命館大学時代や高校時代の成績も!

桜井俊貴選手は兵庫県出身です。

出身地

兵庫県神戸市垂水区

生年月日

1993年10月21日

年齢

24歳

身長

181 cm

体重

82 kg

高校

兵庫県立北須磨高等学校

大学

立命館大学

幼少期は?

桜井俊貴選手は兵庫県出身です。

野球を始めたのは、小学生の頃でした。

当時は中学生まで軟式野球をしており、小学校は「多聞東小学校」、中学校は「多聞東中学校」に在学していました。当時から投手をしており、神戸市内の大会で準優勝します。

桜井俊貴の北須磨高校時代は?

 高校進学時には地元の強豪私学からも勧誘されたが、「途中まで勉強を頑張っていたし、野球だけに切り替えたら後悔するなと。高校は勉強で入って、勝負しようと思った」ことから無名に近い公立の兵庫県立北須磨高校に進学したそうです。

 高校当時の球速は130キロ台が最速でした。在学時の成績は県大会ベスト8が最高成績で、甲子園での出場経験はありません

桜井俊貴の立命館大学時代は?

北須磨高校からは珍しいスポーツ推薦で立命館大学に入学します。

肉体改造なども行い、球速も大幅にアップ。直球は150キロ台まで伸び、多彩な変化球を駆使して三振の取れるピッチャーにまで成長しました。キレのあるカープやチェンジアップなどの変化球・ノビのある直球どちらでも素晴らしい投手となりました。

高校時代は130キロ台にしか満たなかったストレートも大学ではメキメキと力をつけていき、150キロの直球を投げれるほどに。

一年の頃から活躍を見せます。初年度では4勝、三年時には6勝を挙げ、防御率も0点台と安定感抜群です。大学最終年には、自己最高の7勝を挙げます。大学野球のリーグ戦でも安定した成績を収めました。通算成績は56試合に登板し、28勝8敗。防御率1.10の好成績を記録しています。

体力もつけて1試合を完投できるほどのタフな投手へと成長していった姿を見て、巨人球団も桜井選手の成長を感じ取っていました。

桜井俊貴のドラフト評価は?

ドラフトを決めたのはスカウト会議前

それだけ期待の大きさがわかるが、巨人が最終的に桜井を1位指名に決めたのは、ドラフト直前のスカウト会議でした。

そして、大阪商業大の岡田明丈(広島)、仙台大の熊原健人(DeNA)、そして桜井らが1位候補として浮上した。

1位指名を誰にするのか――最終的な絞り込みをするため、山下スカウト部長は自ら視察を行ない、10月14日の立命館大と関西大の試合を観戦。

立命館大が勝てば優勝に王手がかかる大一番で、桜井は素晴らしい内容のピッチングを披露した。

延長14回をひとりで投げ抜き、206球、1失点完投勝利という見事な内容で、視察に訪れていた山下スカウト部長の心を奪ったようですね。

評価は?

そんな桜井を高校時代から巨人はドラフト候補としていました。

桜井を高校時代から巨人のスカウトはリストアップしていた選手でようです。「公立の星」立命館大に進学してからは、益田明典スカウトが4年間マークし、ネット裏から視線を送っていた。

巨人以外の球団も桜井選手には目を付けていましたが、獲得には消極的で「2位までには消える選手」といった意見も多かったです。

華のある巨人がドラフトで1位指名した際には、「華が無い」とか「地味」といった酷評も見受けられましたが、巨人は桜井選手を高い評価をしていました。

背番号21

桜井の背番号は「21」でした。

Ⅴ9時代を支えた高橋一三氏や今季限りで現役を引退した高橋尚成氏に代表されるように左投手の印象が強いが、かつてはエースとして活躍した藤田元司氏や堀内恒夫氏が新人時代につけており、2003年に新人王を獲得した木佐貫洋も背負っていた番号です。

まとめ

ブレイクまで時間がかかりましたが、巨人のローテーションピッチャーになるまで成長しましたね。菅野を追い抜くエースになることを期待します。

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