巨人・井上真二監督の現在・今は?スカウトなイケメン!なぜ引退?死球!キーオ!

こんにちは、yoshiloverです。井上真二を覚えていらっしゃいますでしょうか。

長距離打法の若手で同じ熊本工業の緒方と熊本工業といわれていました。

華やかなレビューとは一瞬であり、なかなか怪我もありレギュラーを掴むことが出来ませんでした。

巨人・井上真二監督の現在・今は?スカウトなイケメン!なぜ引退?死球!キーオ!

出身地 熊本県玉名郡南関町
生年月日 1966年7月12日
身長181 cm
体重 85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 ドラフト5位
初出場 1985年10月9日
最終出場 1997年8月20日

熊本県立熊本工業高等学校

四番打者、中堅手として活躍します。
1983年春の選抜に出場。夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、東海大二高に惜敗してしまいす。
翌1984年夏は、決勝で鎮西高に抑えられ敗退、甲子園出場を逸します。

巨人時代は?

ファームで2年連続本塁打王

1984年ドラフト5位で巨人に入団します。

1年目から一軍で起用され、10月には右翼手として初の先発出場を果します。2年目の1986年と3年目の1987年に2年連続でイースタン・リーグの本塁打王に輝くなど大器の片鱗を見せていました。

1989年

5年目右翼手に定着し、6月半ばまで打率は4割を超え、2か月足らずで11本塁打を放ちました。

 しかし6月下旬あたりから大きく失速し、最終的に打率.298、12本塁打、38打点と自己最高の成績を残しました。

1990年

それぞれレフトとセンターのレギュラーに元々定着していた原辰徳とクロマティのほか、吉村禎章の復活や左投手対策で獲得した西岡良洋、新外国人マイク・ブラウンの加入や内外野兼任の緒方耕一の存在、大森剛の入団など、外野手の層がかなり厚くなったことから一軍定着もままならなくなってしまいました。

その後は?イースタン記録の通算125本塁打を残したが

他球団からはトレード移籍話が絶えませんでしたが、かつての爆発力を知っている球団としては、復活を辛抱強く待ちました。常勝を義務付けられた巨人では、その後も毎年のようにFAなどで大物が加入し、徐々に井上真二の存在感は薄れてしまいました。

二軍では活躍するものの、一軍では8年間で1本塁打と振るわず、1998年を最後に現役を引退することになりました。

引退のきっかけは?頭部への死球!キーオ

 1989年8月31日の阪神23回戦(甲子園)でマット・キーオ投手の投球が左側頭部を直撃。その後、めまいなどの症状が治まらなかったため、二軍降格となりました。 三半規管に障害が残ってしましました。

死球の後遺症などともいわれたが「それは関係ない。実力がないだけ」「流れが大きく変わったかもしれないが、それを克服できなかった僕が悪い」とはなしています。

井上 真二の現在は?コーチだったりスカウトだったり

 引退後は巨人で球団職員を経た後、2001年から二軍で打撃コーチや外野守備コーチを歴任、2004年と2005年は一軍打撃コーチとなり、2006年に再び二軍打撃コーチをしていました。

2007年からは巨人のスカウトを務めていたが[3]、2016年は二軍打撃コーチに復帰いましたが、2軍監督の斎藤雅樹の代わりに監督代行を務めたほか、11月25日から台湾で開催されたアジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBイースタン選抜の監督を務めています。

2017年からはスカウトに戻り、チーフスカウトを務めます。

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