巨人・栄村忠広の現在は?吉村が怪我がなければ・原因!手紙

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栄村 忠広(さかえむら ただひろ、)は、鹿児島県枕崎市出身の元プロ野球選手(外野手

栄村忠広氏覚えていますか。プロ野球史上最悪ともいわれるほどのケガを
チームメイトの吉村さんに負わせてしまいます。

栄村忠広のプロフィール

出身地 鹿児島県枕崎市
生年月日 1961年9月10日
身長
体重 174 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1982年 ドラフト外
初出場 1988年4月9日
最終出場 1991年6月28日
経歴
鹿児島実業高等学校
日本専売公社鹿児島
読売ジャイアンツ (1983 – 1990)
オリックス・ブルーウェーブ (1991)

巨人・栄村忠広の現在は?吉村禎章 が怪我・事故で人生変わる!

栄村忠広の引退後の厳しい生活があった

吉村さんにケガをさせてしまい、あまり表に出ることなく
ひっそりと生活したいと語っていた栄村さんです。

メディアの取材などは受けず
引退後は何をしているのか不明だったようです。

が、しばらくしてから
テレビやインタビューなどの取材に応じており、
現在でも草野球を楽しんでいるようです。

営業に行って「“あの吉村をケガさせた栄村です”って言えば誰だってわかるでしょ?」などと心ない言葉をかけられたという栄村氏はアルバイト生活で食い繋ぐようになり、収入はピーク時の10分の1になったばかりか、結婚を機に再就職をするも自分を知られることを恐れて満員電車に乗ることができなかったり、長男が学校でいじめを受けないかと不安に苛まれたりと罪悪感を抱き続ける人生となった。

辛いですね。

1982年

オフに入団テストを経てドラフト外で読売ジャイアンツに内野手として入団。当初右打であったが、俊足を生かすためにスイッチヒッターへの転向を経て左打になりました。

1987年にイースタン・リーグで盗塁王のタイトルを獲得しています。

1988年

初めて一軍に昇格。また、同年の11盗塁はチーム最多盗塁だった。

巨人・栄村忠広の吉村禎章が怪我がなければ!怪我の原因!手紙

人生を変えた吉村禎章 の激突

1998年7月6日、札幌市円山球場で8回表から中堅手の守備に入り、中尾孝義の打球を捕ろうとした左翼手の吉村禎章と衝突。吉村は左膝靭帯断裂の重傷を負い、そのまま担架で運ばれ退場し、北海道大学付属病院に搬送されました。

また、栄村は無傷でそのまま試合に続けて出場しました。ただ、栄村は、翌年から一軍出場なし。1990年オフにオリックスへ無償トレードで移籍するも、1年で解雇された。

あらためて、栄村のプロ野球人生を振り返ってみよう。

栄村は取材を断り続けいていた!

スポーツドキュメンタリー「石橋貴明のスポーツ伝説・・・光と影」では、当時の様子を振り返った他、栄村氏は明確に伝え切れなかった吉村氏へ謝罪の気持ちを手紙に綴ったそうです。

栄村は、将来の4番候補とも言われていたスター選手、球界のスター選手にケガをさせた彼に待っていたのはファンから執拗な嫌がらせや罵声を浴び続ける日々だったそうです。

味方であるはずの巨人ファンから「悪魔」と言われるなど、批判や罵声を浴びせられることにも

辛いですね。

栄村泣きじゃくる

吉村氏も先の見えない苦しいリハビリに心が折れていた。それでも病院で出会った障害児達に励まされたことから一念発起すると、足首を固定する器具をつけて走ることができるようにまで回復、翌年9月には代打で復帰を果たすに至った。

その姿を2軍の遠征先で観ていた栄村は、須藤豊2軍監督(当時)の元で泣きじゃくったという。

番組カメラにコメントした須藤氏は「泣きじゃくるっていうのはこのことかもわからないですね。長い道のりだったですから。栄村の精神的な辛さっていうのは計り知れないものがあったでしょうね。吉村もしかり」

吉村と栄村の手紙

栄村は吉村宛に下記のメッセージを送ったそうです。

「人間的にもすばらしい人で、なおかつ野球人としても最高の選手に大ケガをさせてしまった事に大変申し訳なく思っています」

吉村も栄村に下記のコメントをしたそうです。

「栄村さんの気持ちも今まで以上に分かったと思います。ケガあって成長したと私自身も思ってます。もう私のことというよりも栄村さんも一切そういう(罪悪感といった)気持ちを持たれないで、とにかく頑張って頂きたい思います。今までこんなに気を遣って頂いて本当にありがとうございました

まとめ:巨人・栄村忠広の現在は?吉村が怪我がなければ・原因!手紙

いかがでしたでしょうか。

巨人・栄村忠広の現在は?吉村が怪我がなければ・原因!手紙についてお伝えします。

吉村は将来原辰徳をぬいて4番をうつという活躍をしていました。まだ若い頃の天才的な成績をのこっしていました。

当時は吉村を怪我をさせてしまい、栄村のブーイングがひどかったのを覚えています。

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