カテゴリー

二岡智宏はなぜトレード!巨人から日ハムに移籍した理由は??

こんにちは、管理人のよしです。

二岡は巨人での活躍もありましたが、マスコミ問題もあり、日ハムにトレードとなりました。それ以降は活躍をみることができなくなりましたが、日ハム時代の成績はどうだったのでしょうか。

二岡智宏はなぜ巨人から日ハムトレードされた理由は??評価は?

出身地 広島県三次市
生年月日 1976年4月29日(42歳)
身長 180 cm
体重81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手、三塁手、一塁手
プロ入り 1998年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 1999年4月2日
最終出場 2013年

なぜ日ハムにトレードされた

球界では異例の選手会長在任中の移籍でした。

「チャンスをいただいたことには感謝の気持ちでいっぱい。日本ハムでは実績がないのでゼロからの出発。頑張りたい」と会見では前向きな言葉を口にした二岡。

32歳の選手会長のトレードは選手たちへの「私生活を引き締めろ」という強烈なメッセージとなりました。

9800円のスキャンダル

二岡は開幕戦で故障し二軍で調整していたが、7月6日にアナウンサーの山本モナとラブホテルで密会する不倫が発覚。後日そのホテルが五反田の一泊9800円のホテルだったと発覚し、この蔑称が生まれた。

坂本勇人

故障、スキャンダル、そして若手の台頭…3つの要素が二岡に降りかかってのトレードと言っても過言ではないでしょう。

9月14日に右足首を捻挫して再び二軍落ちするとこれ以降一軍に復帰することはなかった。

 自己最少の31試合の出場に終わり、チームはリーグ連覇したもののポストシーズンにも出場することなくそのままシーズンを終えた。

二岡智宏の日ハム時代での活躍!

2008年

11月14日、マイケル中村・工藤隆人との交換トレードで林昌範とともに日本ハムへ移籍しました。なお、「選手会長の任期1年での解任」と「選手会長がトレードに出されたこと」は異例と騒がれましたね。

背番号は「(巨人時代の)7以外なら何でもいい」という本人の要望により23となりました。巨人の不吉な背番号といわれる7ですね。。。

2009年

この年は自身初となる指名打者枠でオールスターゲームのファン投票で出場しました。代打としても21回起用され、代打での打率は.400(20打数8安打)だった。

日ハムのショートには長年レギュラーの金子がおり、守備に関してはちょっと勝てませんでしたね。

2010年

4月15日から4月18日、5月16日から5月22日、5月29日から6月2日までと4番遊撃手・三塁手・指名打者で出場した。

2011年

シーズンを通しては様々な故障を抱えていることや、稲葉篤紀やマイカ・ホフパワーが一塁手で使われるようになったことなどがあり、守備には一度もつかず、出場数が減ることとなり、主に指名打者もしくは代打での出場が主となった。

2012年

打率.353と高打率を残し、特にスタメン時は打率.444、得点圏打率.343と勝負強さを発揮した。契約更改では球団からは前年まで三年連続ダウン提示を受けこの年もアップ提示はされず現状維持を提示されたが二岡は保留せずサインした。

2013年

シーズン序盤から代打要員として一軍に帯同していたが、両脹脛の不調もあって5月30日に二軍降格、10日間の調整を経て再び一軍に復帰するも本来の調子が取り戻せず、42打数3安打、打率.071とシーズンを通して不調に終わった。10月3日に球団から戦力外通告を受けたのでした。

二岡智宏の日ハム時代の成績は?

代打やDHでの活躍がふえましたね!成績を見てみますと結構打っていますね。

(2009)*69試合.253 4本 25打点 OPS.656
(2010)103試合.262 7本 47打点 OPS.672
(2011)*55試合.282 3本 14打点 OPS.750
(2012)*65試合.353 2本 14打点 OPS.840
(2013)*36試合.071 0本 *6打点 OPS.206

二岡智宏の日ハムで代打の神と言われていた

なんと、代打で出てきたときの日ハムファンの歓声は、巨人での全盛期より歓声でかかったそうです。もともと日ハムが札幌に移るまでは巨人ファンが多い土地であり、スカイハイって曲での登場シーンは引き継がれていましたからね。熱くなりますよね。

日ハムでの引退試合を拒否していた

関係者は下記のように話しています。最後までマスコミ問題を悩み続けていたのでしょうか。プロ野球選手であそこまで叩かれる選手もなかなかいません。

「日ハムでは笑ったところをほとんど見たことがない。サヨナラ打を打っても、いつも仏頂面。球団は本来、二岡ほどの選手に戦力外通告をするのは忍びなく、引退試合を打診していた。が、二岡はこれを拒否。」

まとめ

この人気は巨人ブランドによるものもあったのかもしれませんね。ただ、巨人で守備が上手いと言われていた二岡が金子には勝てなかったのは印象的でした。

シェアする