【落合博満と清原和博の関係】巨人移籍・退団?対談

【落合博満と清原和博の関係】巨人移籍・退団?対談落合博満
【落合博満と清原和博の関係】巨人移籍・退団?対談
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落合 博満は、日本の元プロ野球選手・監督、野球解説者、タレント、YouTuber。 秋田県南秋田郡潟西村出身です。

こんにちは、管理人のyohiloverです。

落合博満と言えば、中日での監督や選手時代がピックアップされることもあり、生涯中日の選手と思っている若い方々もいるのではないでしょうか。

ただ、長嶋茂雄終身名誉監督のために巨人に在籍していたのです。松井秀喜は長嶋茂雄の指導で選手として、大活躍はしましたが、落合博満の指導にも感謝をしています。

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今回の記事では【落合博満と清原和博の関係】巨人移籍・退団?対談についてお伝えします。

落合博満のプロフィール

血液型はO型。 選手時代は1979年から1998年にかけてロッテオリオンズ・中日ドラゴンズ・読売ジャイアンツ・日本ハムファイターズの計4球団に在籍した。

出身地 秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)
生年月日 1953年12月9日
身長 178[1] cm
体重 82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手、三塁手、二塁手
プロ入り 1978年 ドラフト3位
初出場 1979年5月29日
最終出場 1998年10月7日

【落合博満と清原和博の関係】巨人移籍・退団!

ロッテから中日にトレード移籍!

ひとつの新聞記事が“三冠王・落合博満のトレード”に火をつけました。

1986年11月5日付の毎日新聞。前日の4日、福岡市内で行われた「落合選手を励ます会」で、その年限りでロッテ監督を辞した稲尾和久氏は「去年のオフに巨人から落合トレードの話があったが、条件が折り合わずに蹴った」と語り、「原(辰徳)以外ならだれでも出すからトレードしてほしい」との申し入れがあったことまで明かしたのだ。

落合は稲尾さんがいないとロッテにいる理由がないとのことでトレードとなるl.

「稲尾さんがいないのなら自分がロッテにいる理由はない。来年どこのチームにいるかは契約が済んでみないと分からない。もし、稲尾さんと自分をセットで雇ってくれるチームがあるなら、どこへでもついていく

ロッテ・落合博満⇔中日・牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂

巨人のFAの移籍について

「長嶋監督を男にしたい」「当時巨人が落合を評価していた」ということもありますが、それ以前に、落合さんは長嶋監督の大ファンで、長嶋監督の現役引退試合に会社を休んでまで行ったほど、長嶋さんに憧れていたそうです。

そして長嶋監督もアマ時代の落合さんを評価しており、ドラフト2位指名を予定していましたが、有名な空白の1日事件で、その年のドラフトをボイコットし、落合さんの巨人入りがなくなってしまったのです。

、憧れの監督から評価が高いと聞けば、FA移籍にも当然手を上げることでしょう。ある意味、相思相愛だったのです。

落合博満の巨人時代

落合が巨人に在籍した1994年 – 1996年の3年間でした。尊敬する長嶋茂雄を2度も優勝できたとことは落合の野球人生でも大変に嬉しいことだったのではないでしょうか。

落合博満の巨人での成績です。

1994 落合博満(41).280(447-125) 15本 68打点 OPS.815 
1995 落合博満(42).311(399-124) 17本 65打点 OPS.895 
1996 落合博満(43).301(376-113) 21本 86打点 OPS.924

1995年のシーズンは首位打者争いを繰り広げ8月31日時点では打率.332、最終的にシーズン打率.311(リーグ4位)を残し、17本塁打、65打点も残しています。

また、巨人では通算2000本安打や500号ホームランを残しておりますが、名球会には入りませんでした。

1995年のシーズンは首位打者争いを繰り広げ8月31日時点では打率.332、最終的にシーズン打率.311(リーグ4位)を残し、17本塁打、65打点も残しています。出塁率も4割はありました。驚くことが40歳を超えての成績です。

また、巨人では通算2000本安打や500号ホームランを残しておりますが、名球会には入りませんでした。

【落合博満と清原和博の関係】清原和博のFA!対談

清原和博のFAで関係が悪化?対談

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清原和博がFAするまえは師弟関係のような落合が清原をいじるような関係でしたが、マスコミが清原がFAで巨人に移籍すると噂されるとファーストのポジションもあり、仲が悪い関係が報道され始めました。

1996年で、落合博満が巨人に別れを告げました。

当時の渡辺恒雄社長が落合夫妻同席の会見を開き、「落合君と話し合ったうえ、感情的に、なんのわだかまりもない。ただボタンの掛け違いがあって自由契約選手になりました」

とのことです。

落合としては、巨人にきたときから、「長嶋(茂雄)監督を胴上げするために来た」の公言どおり、3年間で2度のリーグ優勝、1度の日本一の中心選手でした。

ただ、退団理由は、清原和博がフリーエージェントで巨人に入団することで、清原とのファースト争いもあり、レギューラーは確保できなかったからです。

第1回の交渉の際には、獲得の場合、居場所を空けるため、落合を退団させると清原にほのめかしたらしいです。

これがなぜか落合の耳に即座に届き「俺は清原待ちか。失礼な話だ」と怒りを爆発させ、その後、「フロントの誰かのクビが飛ぶぞ」とフロント批判もした。これに対し、「余計なお世話だ。フロントのクビを決めるのは俺だ」と激怒する“らしい”一幕もあったといいます。

落合博満が巨人を退団した理由も!

中でも最大の騒動となったのは1996年の西武・清原和博内野手の巨人移籍を契機とした、落合博満内野手の退団劇だ。1人の選手の権利行使が、他の選手の人生を大きく変えてしまう。それはFA移籍の持つもう1つの闇をクローズアップする事件だった。

引用元:【24年目の真相】落合博満が雲隠れした“空白の1日”…清原和博の巨人FA移籍の裏で何が起きたのか

ただ、長嶋茂雄への尊敬は忘れておらず、「長嶋監督の言い訳は聞きたくない。あの人はさんさんと輝いている人だから」と話をしていました。

結果として、下記のコメントを残して巨人を退団しています。

「監督は小さいころからのあこがれだった。自分が野球を始めたころ、監督は光り輝いていた。(来季は)どうしても清原との競争になる。(自分が)ベンチに座る機会も多くなるだろう。その監督の苦労する顔、私と清原君の問題でこれ以上、悩む顔は見たくない。身を引こうと思ったんです」

この清原君の問題で、これ以上長嶋監督が悲しむ顔を見たくない発言を聞いて、多数の巨人ファンが去ったとも言われています。ただ、落合もプロ野球選手としてのプライドも垣間見せており、下記のようなコメントも残しているのです。

「清原君にはまだ負ける気がしない。だからよそに行ってやらせていただきます」

まとめ:【落合博満と清原和博の関係】巨人移籍・退団?対談

いかがでしょうか。

【落合博満と清原和博の関係】巨人移籍・退団?対談につていおつたえします。

お互いパリーグを80年代を支えたスーパースターでした。その清原を落合も認めてはいたのですが、まさかこんな結果に終わるとは思いませんでしたね。巨人として監督で戻ってきてもおもしろいですね。

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