落合博満はロッテ時代には史上4人目かつ日本プロ野球史上唯一となる3度の三冠王を達成し、NPB史上最高の右打者の一人とされる。 また20世紀最後・昭和最後・右打者最後の三冠王達成者でもある。
落合博満は次期監督として阪神があったりしますが年齢的にきびしいのではないのでしょうか。それでも名監督名将でした。振りかえってみます。
出身地 | 秋田県南秋田郡潟西村(現:男鹿市) |
生年月日 | 1953年12月9日(68歳) |
身長体重 | 178 cm 82 kg |
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落合博満の監督時代の成績?評価も高い
監督としての実績は中日ドラゴンズで監督を務めた8年間のみだが、監督在任期間中は全ての年でAクラス入りを果たし、リーグ優勝4度(うち2010年と2011年にセ・リーグ連覇)、日本一1回の実績を残した。
落合博満の監督時代の成績が名将・名監督!
就任一年目に優勝しており、日本一が1回リーグ優勝4回、2位が2回、3位が1回です。
凄まじい記録です。間違いなく名将ですね。評価も高いのですが日本ハムとの日本シリーズ第5戦で、球団として53年ぶりの日本一を成し遂げた。その一方で8回表まで完全試合投球を続けていた先発の山井大介を、9回表に岩瀬仁紀へ交代させた采配には、賛否両論が巻き起こりました。
2004 優勝 勝率 .585
2005 2位 勝率 .545
2006 優勝 勝率 .617
2007 2位(日本一)勝率 .549
2008 3位 勝率 .511
2009 2位 勝率 .566
2010 優勝 勝率 .560
2011 優勝 勝率 .560
落合名選手が監督で成功できた理由は?
落合は三冠王を3回とっており、プロ野球史上でも長嶋茂雄や王貞治でも達成できなかった記録です。それでも中日をFAに頼らず、優勝させ日本一にもなっており、名将といわれています。
2004年監督就任1年目の春季キャンプ初日から紅白戦を実施。また、キャンプ中はペナントシーズンでの日程を考慮して、移動日にあたる月曜日をオフにした6勤1休制のキャンプを実施した。
投手起用に関しては、自身が野手だったことから、信用を置いているヘッドコーチの森繁和に任せて一切口出ししませんでした。
「(下手に口を出すと)大抵それで失敗する」と発言している。
攻撃面ではサインはほとんどなく、基本は選手のやりやすいようにやらせていたという。甘い球や狙い球ならどんどん打っていけ、という考え方で、「狙いがあるなら、全員が初球打ちで3球でチェンジになっても構わない」とも言っていたとされる
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落合博満の監督しての評価は?
山本昌は引退後、名球会の公式YouTubeチャンネルの動画で落合を「予言者」とはなしていました。
2003年の日本シリーズ前に「両チームがホームで全勝して、ダイエーが勝つ」と予想して当てる、2004年に補強を凍結して優勝する公約を達成するなど、洞察力に定評があったとしている
2007年11月13日、中日球団からは初となる、正力松太郎賞を選考委員会の満場一致で受賞した。その際、座長であった川上哲治は「強い信念と、選手の上手い育て方。自分の野球観を持って強いチームを作った。立派な功績」とコメントがありました。
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落合監督はファンサービスが悪い
監督在任中の末期はナゴヤドームの観客数が減少しており、ファンサービスの足りなさや落合野球のつまらなさが観客数減少の原因としてマスコミやメディアに度々指摘されていました。
マスコミや球団内からは「ファンサービスが足りない」と批判を受けていた。こうした批判に対し、落合は「勝てばファンはついてくる」と口にしているひとも多かったです。
監督に在任した8年間の間に名古屋の街事情が様変わりしたことが観客数減少に大きく影響しているといわれています。
2008年当時の応援団の出禁処分やWBCボイコット事件で球団に対するネガティブなイメージが定着したことに加えて、ほぼ同時期に起きたリーマンショックやトヨタショックに代表される不況が観客数減少もあったといわれています。
つまりは落合博満の「勝てばファンはついてくる」はあたっていたのですね。
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落合博満の次期監督復帰はないのか?
巨人の次期監督ともいわれる落合博満
ナベツネさんと落合の関係や良好のようです。
以前は星野仙一を監督にしようとして、直前まで決定していたものの、OBの反感が大きく原辰徳二次政権が生まれた経緯があります。
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阪神の次期監督ともいわれる落合博満
落合博満がテレビ番組などマスコミへの出演が増えています。
また関西ローカルの阪神タイガース系の番組にも出演し、
外様でも人気が有名人にしてでも、阪神フロントは監督にしたいとの考えもあるようですね。
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中日復帰を願うファン多し落合博満
中日ドラゴンズは森監督の続投が白紙となりました。
次期監督候補として期待が寄せられる上、本人も著書にて将来的に中日で監督を務めることに意欲を示している一方、白井文吾オーナーや落合博満GMとの不仲説やが監督就任を妨げているといわれています。
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まとめ
落合博満の人生を学ぶと名選手でも人生は苦労しないといけないと思います。決して天才ではないのですね。
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