2018年7月9日にDeNAとオリックスでトレードがありましたね。ロッテマリーンズのレジェンドである元サブロー(大村三郎)選手は176日間だけ巨人に在籍していたのは覚えていますか?私もすっかり忘れていましたが、どんな理由でトレードされたのでしょうか。
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サブロー(大村三郎)のプロフィール
大正義PL学園出身で、松井稼頭央さんは1つ上だったそうですね。現在はスペシャルアドバイザーとなっています。
PL学園から1994年ドラフト1位でロッテ入団。1999年から高い守備力と勝負強い打撃を武器に一軍へ定着すると、2005年は“つなぎの四番”として日本一に大きく貢献。2010年にも“史上最大の下剋上”で日本一に輝いた。05、07年にはゴールデン・グラブ賞に輝く。2007年の北京五輪予選(アジア選手権)では日本代表に選出され、五輪出場権獲得に貢献。2011年途中に巨人へ移籍するも翌年ロッテに復帰(176日間)。長年にわたりロッテの顔としてファンに愛された。16年限りで現役を引退。17年にロッテのスペシャルアシスタントに就任
トレードの経緯
2011年に電撃トレードとなったサブローですが、どんな経緯があったのでしょうか。前々年から追ってみます。
2009年
「生涯ロッテ宣言」発言をしロッテファン歓喜。一方チームはというと、ダイエーのレジェンド井口資仁がMLBからロッテに移籍。井口はその人柄から人望も厚く、瀬戸山隆三球団社長と石川晃球団運営本部長ともダイエー時代から親交があったこともあり勢力を拡大していく。ファンの間で「外様の井口派・生え抜きのサブロー派で派閥がある」と噂が飛び交い始める。西岡の応援ボイコット騒動、バレンタイン監督辞任も。
2010年
ロッテはその年リーグ3位の成績ながらCSから日本シリーズへ出場し日本一となる。リードオフマンとして活躍したチームの顔西岡剛がMLBへ挑戦することに。
2011年
主軸の移籍と怪我でチームは低迷。6月29日にサブローと巨人工藤+金銭のトレードが発表される。報道によると「低迷する打線のテコ入れを目指す巨人と俊足の外野手を求めていたロッテの思惑が一致」とされていました。サブロー移籍後初打席でホームランで活躍する一方、ロッテはその後チームは低迷。9月18日には瀬戸山隆三球団社長と石川晃球団運営本部長の退任を発表。ロッテ重光昭夫オーナー代行は、両氏の解任発表後、チームの編成部門を痛烈に批判しサブローについても言及し「編成から強い要望があったが今思うと間違いだった」。FA権を取得したサブローはロッテ復帰。
結論?
瀬戸山隆三球団社長と石川晃球団運営本部長に反発するサブローを放出したという見方が強いですが謎のままです。井口ともその後チームメイトとして6年間プレーしてますから井口との不仲ということはなさそうですが…
サブローのエピソード
引退試合のゲストが豪華
引退試合にはビデオメッセージを含めると豪華と話題に。
元巨人のチームメイトの阿部慎之助、坂本勇人、クルーズ、長野久義、内海哲也、山口鉄也、高橋由伸。PL繋がりでは宮本慎也さん、松井稼頭央、今江敏晃。他も稲葉篤紀、西岡剛、ボビーバレンタイン、ベニー、初芝清、ボーリック、薮田安彦(解説)、藤田宗一、里崎智也、小林宏之、橋本将、塀内久雄、早坂圭介、中後悠平さんなど。凄いメンツだ。
つなぎの四番
「4番と言えばホームランが打てて打点を稼げるパワーヒッター。僕は違う。何番でも自分の仕事は一緒と言い聞かせた」と語る。あくまで4番目の打者で回の先頭ならまず出塁、走者がいれば本塁に返す。状況に応じて結果を出すことを考えていました。
初打席と最終打席(CS)でホームラン打って消えた
巨人に移籍後の初打席でホームランをうち、CSの最終打席ではホームランでした。
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なぜサブロー
イチローが由来ですが発案者はボビーバレンタイン監督。ロッテ入団時に同姓の大村巌が在籍していたことと、同年に史上初のシーズン200安打を達成したイチローにあやかったそうです。
なぜ巨人ではサブローと名乗れなかったのか
巨人では大村三郎と名乗っていました。原則として巨人はファーストネームやニックネームなどでの選手名登録を認めないというチームの事情があったそうです。
坂本のロッカーを掃除
坂本、長野、谷のロッカーが汚いため掃除をしていたそうです。
まとめ
現在はロッテのスペシャルアドバイザーとして活躍中。井口監督とは不仲説も出ていましたが、ロッテを日本一にするという夢をかなえて欲しいですね。
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