【巨人】原辰徳はなぜ名球会に入れなかったのか?

こんにちは、yoshiloverです。

打者に課された名球会への入会条件は「2000本安打」です。ジャイアンツのスーパースターであった原辰徳は名球会に入っているのでしょうか。

原辰徳は名球会の条件を満たしているか?

  • プロ年数:15年
  • 通算安打数:1675本
  • シーズン最多安打数:151本

2000本安打していないので名球会には入っていません。

大前提として、なぜか昭和生まれ以降というのがあり大正生まれの人は2000本安打などの条件をクリアしても名球界には入れません。

なぜ2000本に達しなかったのか?

監督が交代し干された

93年のオフには、中日から落合博満がFA移籍。出場機会も激減しました。監督が代わってから、干されて?しまい、引退が早まった気がするのは自分だけでしょうか?

津田恒美との真剣勝負での怪我

1986年のシーズン終盤に、広島の津田投手(故人)の直球を強振した際に手首を骨折してしまった事が、後々まで響いた、という事は言われていますね。もっとも、原本人は、真剣勝負だから、津田投手を恨む様な発言はしていませんが、そこは偉い所でもあります。

巨人の4番のプライド

原さんは最後まで巨人の4番のプライドを持っていました。
ONの後でしたし、現在よりも大変重荷だったし、プレッシャーもあったでしょうね。
巨人の4番=全日本の4番ぐらいに言われてた時代です。6番や7番セカンドでも試合に出ていれば達成できたかもしれませんが、原さんのプライドが許さないでしょう。
すっごい叩かれ方でしたもんね。凡退すると。

指導者タイプだった

原辰徳は下記のような傾向があったかもしれませんね。
「孤独になれない」
「まわりを見すぎる」
「自分のことだけを考えられない」

アキレス腱の怪我

92年までデビューから12年連続で規定打席に到達し、この時点で1511本打っていましたが、93年にそれまで抱えていた故障が一気に出て打てなくなりました。

階段の登り降りなど日常生活にも影響が出るほど、実際には酷い状態だったそうです。

引退を決めた理由を聞かれて「レギュラーとして130試合(当時)出場できる身体(アキレス腱の状態)か?と自問して、出した答えはNOだった」「自分はあくまでレギュラーとして試合に出る選手」と答えています。

シーズン130試合制

143試合の現在と比較し約10試合も少なかったのも理由の1つ。大卒で2000本安打を達成したのが、当時では長嶋、山本、谷沢ぐらいしかいなかったのではないでしょうか。原じゃなくても非常に難しい事だったということがまず一つ言えます。

まとめ

巨人では晩年は干されてしまった感がありました。ただ、とても人気のある選手でしたので他のチームでじっくりリハビリを行い、怪我の回復を図れば達成は可能だったのではないかと思います。40歳手前頃には2000本安打に到達していたのではないでしょうか。

コメント

  1. 原さんは手首の故障以降は、ほぼ毎年故障していました。
    規定打席になんとか到達という感じで、88年以降は万全の状態で出たほうが少なかったと思います(手首の故障で自分のバッティングではなくなったと本で語っています)。
    藤田監督時代には足の負担を考慮してレフトにコンバートされたけれど、当時の東京ドームの人工芝はすごく堅くて、むしろ内野の方がよかったのではと個人的には思います。
    干されたというよりも93年の成績(駒田、篠塚など主力の打率がひどかった)がすごく悪くて、落合が入ってきたこともあって、出場機会が減ったのだと思います。
    干されたというイメージはおそらく原さんの代打に一茂が出されたことがあるからではないでしょうか?

  2. 金田正一 より:

    名球会は昭和生まれしか入れないと書いてありますが、間違いですよ。
    訂正しましょう。