中日ファンの特徴!レジェンド立浪和義と落合博満との仲が原因?派閥争いで人気ないが優勝できるか2022

立浪和義
この記事は約6分で読めます。

中日ファンの特徴!レジェンド立浪和義と落合博満との仲が原因?派閥争いで人気ないが今後は優勝できるか2022

 

10年くらいまでは愛知県民で中日以外のファンは非県民扱いされてた

しかし今では愛知県内はおろか、名古屋市内ですら中日ファンよりアンチ中日の方が多い・・・

今の中日では「落合」が禁句となっている。

ドラゴンズに落合さんのことを尊敬している選手は数多くいるが、現在のチームにおいてはそんなことを言おうものなら微妙な立場に追いやられてしまう危険性がある」

と中日OBは打ち明けた。

派閥争いですね。中日のレジェンド立浪の監督はなぜもっと早くなれなかったのか

多くの中日ファンからしてみれば『なぜもっと早く監督にならなかったのか?』と思っているはず。じつは、過去にも立浪氏が次期監督の有力候補として浮上したことはありました

中日ファンの特徴!レジェンド立浪和義と落合博満との仲が原因?派閥争いで人気ないが優勝できるか2022

中日ファンが望んでいた立浪が監督に戻り増した。

出身地 大阪府
生年月日 1969年8月19日
身長 173 cm
体重 70 kg
投球・打撃 右投左打
守備位置 二塁手、三塁手、遊撃手、外野手
プロ入り 1987年ドラフト1位

中日ファンの特徴!怖い?民度は?あるある!

中日ファンの特徴

昔からドラゴンズファンは大人しく穏やかで温かいと言われています。

もちろん、一部に過激的な人もいますが多くは違います。

タイガースファンのように熱狂的ではないので悪く言えばチームが不振でも集団で抗議することなくチームがぬるま湯体質になりやすい面があります。

また根っからのジャイアンツ嫌いが多い。 

中日ドラゴンズに人気ないの?

世論を味方につけて主役扱いされる年が中日にはない気はします。人気はあったのでしょうか。

まあ星野いなくなったからなそれを落合が強さで引き留めたが勝つことしか取り柄がない球団になってしまった。で勝てなくなった結果が

人気あった時期は?野武士軍団?星野仙一監督時代

1982年近藤貞雄監督を中心として「野武士軍団」といわれる個性豊かな選手たちの活躍により、優勝。ただし、西武ライオンズとの日本シリーズでは投打共に不発に終わった。

星野仙一監督時代

ちなみに現役時代の星野は名古屋限定の人気者です。

星野体制は当初最下位予想がなされ、実際4月を6位で終わるものの、夏場から破竹の快進撃で広島東洋カープとの最大8ゲーム差を逆転して優勝(当時のセリーグ新記録)。逆転やサヨナラ勝ちが多く、サヨナラ勝ちは11回を数えた。ルーキーだった立浪和義が2番としてフル稼働した


ローカル気質をきにした星野仙一が、積極的に銀座や六本木に宇野や大島を参加させ、そういう所でも打倒巨人を意識させたでも結局は勝てなかった

落合博満時代

落合監督人気

落合監督人気あった?

守備攻撃ともにかみ合い、途中から首位を独走して優勝。この年の打撃三部門のタイトル(首位打者・最多本塁打・最多打点)はウッズ、福留と中日に在籍する2人で独占された。

そこでミスタードラゴンズの立浪が中日ドラゴンズの人気を復活させることができるかどうか。

中日ファンにとっては何をやっても白井、落合の暗く陰湿なイメージが消えないらしいです。派閥争いですかね。

立浪和義と落合博満との仲? 不仲?なぜ立浪監督にならなかった理由?

落合博満とは仲悪い?

現役時代は何かと落合さんと立浪さんはあまりが良くない と言われていました。

中日の皇帝と言われた星野監督が去ったからです。

落合博満監督は星野派を一掃しました、それにより立浪の目は無くなりました。


 さらに、立浪は最後の3年半、落合監督とはあまり関係が良くなかった」と衝撃の事実を暴露しています。

引用元:スポニチ立浪氏 殿堂入りを祝う会で衝撃発言「最後の3年半、あまり関係が良くなかった」監督とは…

 星野さんがいつまでも生え抜きのロートルを使うからです、落合博満監督になり立浪さんは即代打へ降格しました。

それにより若手が頑張れば俺らもレギュラー取れると勢いを増しました。

森野とのレギュラー争い

 2006年シーズンから立浪と森野がレギュラー争いとなりました。

オープン戦最初がいきなり9番DHとなりました。

2004年から8年間にわたった落合博満監督の時代、新たにレギュラーの座を勝ち得たのはただ一人、森野さんだけです。

中村紀の入団

翌年には育成選手として中村が加入をしたことにが、決定打となったようです。

落合博満は白井文吾派閥で立浪を評価していない

2000年3月から務めてきた白井オーナーは、03年オフに当時は周囲を驚かせた落合博満氏を監督として招へいしています。

評論家活動をしていた落合氏は、監督をやるまでコーチなど指導者としての実績はありませんでした。そんな人物を監督にさせたことは、当時の中日にとって大英断だったようにも思えます。

全幅の信頼を寄せ、04年から11年まで8年間にわたって指揮を執らせました。

 落合氏もオーナーの期待に応えるように8年間で4度のリーグ優勝に輝くなど中日黄金時代を構築します。

白井オーナーは13年オフには落合氏を今度はGMとしても招へいしました。

「2013年オフのことです。次期監督探しが始まったのです。 そこで浮上したのが、立浪氏の就任と落合博満氏の再任でした。じつは、このときに落合氏と立浪氏の間には因縁が生まれたんです

白井文吾は立浪を評価していない

だが、 白井オーナーは立浪さんのことをあまり評価していない です。

球界のみならず地元財界関係者の間でもささやかれていたのが「白井オーナーの目の黒いうちは立浪がドラゴンズの監督になることはないだろう」ということだった。

立浪氏は中日の白井文吾オーナーとも折り合いが悪いようで、立浪氏は周囲に、 「『白井オーナーがいるかぎり監督にはなれない』と漏らしていた」という。

以前、中部財界の大物が間に入って立浪監督就任への道筋をつくろうとしたことがあったが、そのことが逆に白井オーナーを怒らせることにつながったという話もあります。

立浪監督誕生

白井氏も2020年2月に「名誉オーナー」になり、チームの現場から離れた。“反対派” の力も弱まり、立浪新監督が誕生しました。

まとめ

監督になるにも派閥争いですね。中日はとても強いイメージはあるんですが。

コメント

野球ブログ

error:Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました