立浪 和義(たつなみ かずよし、1969年8月19日 – )は、大阪府摂津市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投左打)・コーチ・監督。日本プロ野球名球会理事。
立浪監督はとにかくイメージですが良い車でよいところに住んで、野球選手らしさを貫ているイメージです。今回の記事では立浪和義の自宅・家の場所が名東区や愛車は?についてお伝えしhます。
出身地 大阪府
生年月日 1969年8月19日
身長 173 cm
体重 70 kg
投球・打撃 右投左打
守備位置 二塁手、三塁手、遊撃手、外野手
プロ入り 1987年ドラフト1位表彰
・1988年新人王
・ベストナイン:2回
・ゴールデングラブ賞:5回
・月間MVP:3回
・全農Go・Go賞:1回
中日・立浪和義の自宅の住所・場所は名東区
立浪和義さんの自宅の住所についてですが名古屋市名東区の閑静な住宅街に一軒家を建てたようです。
住所は愛知県名古屋市名東区とネットでは噂されていました。
閑静な住宅街で、大豪邸を建てているということです。
明らかに頑丈な壁で、セキュリティの機器も設置されておりセキュリティ対策もしっかりしていることがわかります。
ドアや表札の大きさからして、全体像はかなり大きそうです。
また監視カメラの数が半端ないそうで大豪邸であるが故にセキュリティ対策にも抜かりなく対応していることがわかります。
愛車は?
立浪さんはベンツにのっています。
ドラゴンズにはかつて球団内に暗黙のルールがあったそうです。
「ベンツは1軍に上がらないと乗ってはいけない」という内容で、山崎さんが現役時代、2軍のときにベンツを購入すると、兄貴と慕っていた当時のエース・小松辰雄さんに「10年早い、売ってこい」と叱られたとか話があります。
中日ドラゴンズの選手にしたらベンツは特別の車なんですね。
立浪和義の生い立ち!父親!幼少期!実家は大阪!両親が離婚
1969年8月19日に大阪府済生会吹田病院(大阪府吹田市)で次男として生まれました。
同府摂津市鳥飼で育ちました。
立浪和義は父親を右打ちにされた
本来は右打ちだが、幼いころに父親(元社会人野球選手)によって左打ちに矯正されたました。
幼少期は王貞治に憧れていました。
両親が離婚
摂津市立鳥飼小学校および摂津市立第五中学校出身で、小学校2年生の時に両親が離婚したのです。
立浪はこれ以降、母親の元で2歳年上の兄とともに育てられていた。小学校4年生の時に兄から誘われ、兄が加入していた硬式少年野球チームの「茨木ナニワボーイズ」に加入し、野球に打ち込んたのです。
小学校6年生の際、作文には将来の夢について「野球選手」と書いていたが、このころから「野球選手になってお金を稼ぎ、母親に楽をさせる」という目標を思い描いていました。
なお6年生の春までは投手だったが、肘を痛めて野手に転向し、同期の橋本清が代わってエースとなりました。
化粧品店を営んでおり、閉店後もしばしば配達に出かけるなど忙しい毎日を送っていたため、息子・和義の野球をほとんど見に行くことができず、甲子園の決勝戦しか見に行くことができなかった
まとめ
立浪和義さんは幼少期は両親が離婚したり、苦労した人生であったんですね。
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