小学生時代に伊丹市立昆陽里小学校の少年野球チーム「昆陽里タイガース」で共にプレーした坂本勇人と田中将大(マー君)の関係です。
仲良し不仲?小学校から幼なじみ?少年野球同級生バッテリー!中学?と田中投手のエピソードをおつたえします。
二人とも後に日本球界を代表する存在へと成長しましたが、その原点を知ることで、選手としての魅力や人間性、さらには野球というスポーツが秘める可能性をより深く理解できると考えています。
今回は、私自身が収集してきた情報やスポーツライターとしての経験、そして純粋な野球ファンとしての視点を交えながら、彼らの出会いから現在に至るまでの道のりを振り返りたいと思います。
ここでご紹介する彼らの少年時代の物語が、皆さんにも野球の奥深さや夢の大切さをあらためて感じさせてくれることを願っています。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 坂本勇人 |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 伊丹市 |
生年月日 | 1988年12月14日 |
年齢 | 35歳 |
身長 | 186cm |
体重 | 83kg |
ポジション | 内野手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
所属チーム | 読売ジャイアンツ |
年俸 | 6億円(2024年) |
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 田中将大 |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 伊丹市 |
生年月日 | 1988年11月1日 |
年齢 | 35歳 |
身長 | 188cm |
体重 | 97kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
所属チーム | 東北楽天ゴールデンイーグルス |
年俸 | 9億円(2021年) |
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坂本勇人と田中将大(マー君)のバッテリーの仲良し?不仲?関係?中学は?
バッテリーになる前
坂本選手は当時から俊足で、どんなポジションもこなせる選手でしたが、チーム事情でピッチャーを務めることになりました。
そして、その時にキャッチャーとしてバッテリーを組んだのが、強肩でキャッチングが上手かった田中投手でした 。
田中投手は当時を振り返り、坂本選手について「何をやらせてもできてしまう選手だった。僕は動きも俊敏ではないしどんくさい感じだったので、全然、勇人のほうが良い選手だったと思う」と語っています 。
小学校時代のバッテリー
2人は兵庫県伊丹市の少年野球チーム「昆陽里(こやのさと)タイガース」で出会い、小学6年時には坂本が投手、田中が捕手としてバッテリーを組みました。
当時から互いに「負けず嫌い」で、遠投や打撃練習で競い合い、チームを牽引しました
打撃練習では校舎の左翼方向にボールを当てる回数を競い、遠投では勝つまで延々と投げ合ったとされています。
坂本は「やんちゃなガキ大将」、田中は「寡黙で努力家」と評され、互いの個性がチームのバランスを支えました
仲は?
二人は幼なじみであり、長い付き合いがあります。坂本は田中を「特別な存在」と表現し、一緒にプレーできることを嬉しく思っていると語っています。
彼らの友情は、プロ野球選手としてのキャリアを通じても続いており、互いに励まし合う関係にあります。
2人は幼少期から互いの自宅でゲームをしたり、家族同士の交流も深いとされています。坂本は田中のことを「特別な存在」と公言し、田中も坂本を「ずっと刺激し続けてくれる存在」と評しています
坂本選手は2006年に読売ジャイアンツに、田中投手は2007年に東北楽天ゴールデンイーグルスにそれぞれ入団し、プロ野球選手としての道を歩み始めました。
プロ入り後も2人の交流は続いており、田中投手は自身のYouTubeチャンネルで坂本選手との思い出を語ったり 、オフには一緒に食事に行くなど 、良好な関係を築いているようです。
2021年には、田中投手が楽天に復帰した際、巨人の公式インスタグラムが2人の幼少時代のツーショット写真を公開し、大きな反響を呼びました 。この写真は、2人が小学生時代に所属していた「昆陽里タイガース」で撮影されたもので、賞状を持った田中投手とトロフィーを持った坂本選手が写っています。
ライバルでもある
坂本と田中は、文字通り切磋琢磨し合うライバル同士でした。
遠投ではお互い自分が勝つまで際限なく競い合い、バッティングでは一方がホームランを打つと、一方はムキになって大振りし、しばしば三振した。
田中選手は黙々と練習した。当時は捕手で、帰宅後も指先を鍛えるため、あおむけに寝て、天井に向かってボールを投げ続けました。
田中選手の父親が山崎さんに、「天井に跡がつくから、やめるように言ってほしい」と頼むほど熱心だったそうですね。
二人とも驚くべき身長の高さなのでお互いを意識してしまいますよね。
昆陽里タイガースの山崎三孝氏が当時を回想して話しています。
「田中の野球の才能はAクラスでしたが、私は坂本にそれ以上の才能を感じましたね。足が早いし、内野守備が抜群にうまい。ショートを守ると三遊間の深いゴロにも追いつき、強肩で一塁アウトにしてしまう。相手チームからは『あそこに打ったらヒット1本損する』と恐れられていました」
彼らのバッテリーは、当時からの競争心と友情の象徴でもあり、今でもその関係は続いています。
特に、東京五輪では侍ジャパンの一員として共に戦い、金メダルを目指す姿が注目されました。彼らのバッテリーは、当時からの競争心と友情の象徴でもあり、今でもその関係は続いています。
特に、東京五輪では侍ジャパンの一員として共に戦い、金メダルを目指す姿が注目されました
小学校の同級生
坂本と田中は同じ小学校に通い、同じクラスに在籍していました。
彼らは共に野球を通じて成長し、互いに切磋琢磨してきた仲間です。坂本は、田中が小学生の頃から素晴らしい選手だったと振り返っています。彼らの関係は、単なるチームメートを超えた深い絆で結ばれています。
二人の関係は、野球だけでなく、プライベートでも非常に親しいものであることが知られています。
坂本は田中のことを「寡黙な田中」と表現し、田中は坂本を「やんちゃな勇人」と称しています。彼らは互いに異なる性格を持ちながらも、共に成長してきたことが、彼らの絆をより強固なものにしています。
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坂本勇人と田中将大のバッテリー関係

坂本勇人選手と田中将大選手は、兵庫県伊丹市の少年野球チーム「昆陽里タイガース」で小学校時代にチームメートでした。彼らは同じクラスに在籍し、特に小学6年生の時には坂本が投手、田中が捕手としてバッテリーを組んでいました。この時期、坂本はエースとしてチームを引っ張り、田中は捕手兼4番打者として活躍していました
また、田中は小学校時代から捕手としての役割を果たし、坂本はその投球を受けることで、互いに信頼関係を築いてきました。

坂本がピッチャー、田中がキャッチャーとしてバッテリーを組んでいたことはよく知られていると思います。
妻の母が、小学校の時に、ジャイアンツの坂本(勇人)選手とバッテリーを組んでいたのを見たことあるんですが、坂本君はすごいいい選手で、こういう選手がプロ野球選手になるんだと思ったけど、マー君は全然思わなかった。キャッチャーとして動くも鈍くてプロ野球選手になるイメージはなかった
と話しています。
中学校は?
同じ伊丹市立松崎中学校に進学しましたが、野球では別々の道を歩み始めました。田中は捕手として黙々と練習を重ね、坂本は遊撃手や投手として活躍しました
幼少期の田中将大(マー君)と坂本勇人の膝カックン
最近では、田中が坂本に「膝カックン」を仕掛けるという微笑ましいエピソードもありました。このようなじゃれ合いは、彼らの親しい関係を象徴しています。このような軽快なやり取りは、彼らの友情の深さを示す一例です。
2024年3月23日の巨人対楽天のオープン戦で、楽天の田中将大投手が面白いいたずらを仕掛けました。試合前練習中、打撃ケージ付近にいた巨人の坂本勇人選手に背後から近づき、「ひざかっくん」をして驚かせたのです。突然の出来事に、振り返った坂本選手の目は驚きで大きく見開いていたそうです
楽天・田中将大投手が同級生の巨人・坂本勇人内野手に“奇襲”を仕掛けた。巨人の試合前練習中、打撃ケージ付近にいた坂本に対し、背後から密に忍び寄る田中将。背中側に立つと「ひざかっくん」を仕掛け、後ろを振り返った坂本の目はまん丸に。まさかの襲撃に驚いた様子だった。
2024年3月のオープン戦で、田中が坂本の背後から忍び寄り、膝の裏を軽く蹴る「膝カックン」で驚かせる一幕が話題に。このいたずらは2人の親密さを象徴するエピソードとしてファンの間で「エモい」と反響を呼びました
坂本勇人と田中将大(マー君)の2025年・巨人での再共闘
そして2025年、田中投手が巨人に移籍することが決定しました。
再びチームメートとして共に戦うことになりました 。坂本選手は田中投手の巨人入りについて、「僕にとって特別な存在。2人で活躍してチームに貢献できれば一番」と語り 、田中投手も「想像もしてなかったですけど、一緒のチームでプレーできることは嬉しく思います」と喜びを語っています 。
36歳で小学生以来の「同僚」として再び同じチームでプレーすることに。坂本は「彼は僕らの世代のナンバーワン。一緒に戦えるのは誇り」と期待を語っています。
田中は日米通算200勝達成(あと3勝)、坂本は打撃の復活を目指し、「2人でV字回復し、日本一に貢献したい」と意気投合しています
2025年シーズン、坂本選手と田中投手は共に巨人のユニフォームを着て戦います。2人の活躍は、チームの勝利に大きく貢献することでしょう。
2人が一緒にお立ち台に上がる日も、そう遠くはないかもしれません 。かつて、巨人の桑田真澄氏と清原和博氏の「KKコンビ」が一緒にお立ち台に上がり、東京ドームが沸き上がったように、坂本選手と田中投手も、新たな伝説を築き上げてくれることでしょう
坂本勇人と田中将大(マー君)の対談
田中将大チャンネルで坂本勇人と田中将大の関係を退団しています。
坂本勇人は器用な遊撃手で、教えられたことはすぐにできたそうです。
元々、左利きだが、兄にもらった右利き用グラブでも難なくプレー。いつも5、6人の友達を引き連れ、チームの中心だったようです。
共通点は、負けず嫌い。打撃練習ではどちらが遠くに飛ばせるかを競った。坂本選手は一時、両打ちに挑戦したが、左打ちでは田中選手に飛距離で負けるため、すぐにやめて右打ちに専念しました。
田中将大(マー君)と坂本勇人の関係はウサギとカメ
坂本勇人が投手を任されたのは、運動能力が高いからという理由からでした。ショートでありながらピッチャーも努めていたということで、今の活躍からも考えて天才タイプの選手だったそうです。
対する田中将大は、努力型の選手であり、日々の鍛錬を怠らないそんなイメージです。童謡のウサギとカメのような2人であったようです。
まとめ:坂本勇人と田中将大(マー君)の関係?仲良し不仲?小学校から幼なじみ?少年野球同級生バッテリー!中学?膝カックン?
今回の記事は坂本勇人と田中将大(マー君)のバッテリー!仲良し?膝カックン?小学校の同級生?についておつたえしました。
田中将大と坂本勇人は幼少期でお互い影響が与えた存在なのは間違いないのですが、清原桑田とおなじくらいの関係でお互いに大きな影響を与えているのでしょうね。
坂本選手と田中投手は、幼少時代からの深い絆で結ばれた盟友と言えるでしょう。
小学校時代、同じチームでバッテリーを組み、共に汗を流した2人。その後、別々の道を歩みながらも、プロ野球選手として、そして侍ジャパンのメンバーとして、再び同じ舞台に立ちました
。そして2025年、ついに巨人で共に戦うことになります。2人のこれまでの道のり、そしてこれからの活躍に、多くのファンが期待を寄せています。
坂本勇人と田中将大は、「幼なじみ」「ライバル」「盟友」という3つの顔を持つ稀有な関係です。少年時代からの絆はプロ野球での厳しい競争を経ても変わらず、2025年の巨人での共闘は「漫画のような再会」として注目されています。
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