坂本 勇人(さかもと はやと、1988年12月14日 – )は、兵庫県伊丹市出身[のプロ野球選手(内野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
坂本はジャイアンツを代表するバッターであり、歴代NO1になるほどのショートになりそうな勢いであります。ドラフトで外れ1位であります。高校時代の評価はどうだったのでしょうか。
ドラフトで外れ1位であります。高校時代の評価はどうだったのでしょうか。甲子園での活躍はどうだったのでしょうか?それほど評価は高くなかったのが事実です。今回は坂本勇人の高校の時代は!ドラフトで堂上直倫の評価なの?金沢監督!甲子園!なぜ青森についてお伝えします。
出身地 兵庫県伊丹市
生年月日 1988年12月14日
身長 186 cm
体重 83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手、一塁手、二塁手[1]
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2007年7月12日
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坂本勇人の高校時代は!!甲子園!青森!金沢監督!甲子園!昔
坂本勇人は青森の光星学院出身です。現在は八戸学院光星に名前が変わっています。
八戸学院光星は関西からの野球留学の選手が多く大阪第2代表なんて揶揄されることもあります。
八戸学院光星高校では1年秋からショートのレギュラーとなります。
坂本勇人は高校で金沢監督に出会う
金沢監督が坂本勇人を初めてみたのは中学時代だそうです。
当時から将来的にプロにいける才能があると実感したという。
「打撃はティーしか見られなかったんですけど、そのティーを見た瞬間やサイドノックを見た時のハンドリングの良さ。それを見て、必ずプロにいくなというのは瞬間で感じたことはよく覚えています」
そして光星学院に進み、金沢監督はますます坂本の打撃の才能に惹かれる。
「本当に体の線は細かったんですけど、リストが柔らかく、体には似つかわしくない飛距離がありました。教えたのは、タイミングのとり方は教えただけ。あとは彼の感性に任せました」
坂本といえば、インコース打ちの上手さだ。
その点について金沢監督は当時からあった癖が生かした事が大きいという。
「彼の場合、左の肘が空く癖があって、本来であれば、直したほうがいいと見る人がいると思います。私はそれを彼の特徴として捉えて、アッパースイングに近かったので、それを壊さずに指導していたら、たまたま肘が空くことバットを入れられる長所になったのではないかと思います」
坂本勇人はヤンチャな高校時代
順調に成長を遂げる坂本だが、ある事件が起こる。これは有名となった退部事件だ。2月冬でのこと。金沢監督は坂本の異変に気づく。
「彼は高校生の時から先を読んだり、大人たちの人間性を見たりすることができる選手。ミーティング時、いつも彼は後ろにいるのですが、私の目の前にいるんですよね。見たら、鼻にピアスをしていたんです」
本来であれば、怒鳴り散らす場面。だが、金沢監督はなにかあると思い、坂本に帰宅を命じた。坂本を留めるために、金沢監督は動く。
「私は坂本に特に怒ることなく、部屋に呼んで、「辞める気なのか?」と「はい」と。それで帰させたのですが、彼が飛行機で伊丹に向かっている間。彼の家族や知り合いにお願いをして、『まだこんなところで終わる選手ではない』と説得をお願いしました。そうすると1週間後に彼は戻ってきました」
2006年3月25日、選抜高校野球1回戦で岡山県代表の関西高校と対戦し、3年生の坂本は4番・遊撃手として出場した。
1打席目は左適時打。2打席目はファウルフライ。3打席目は右安打を放ち、盗塁に成功する。4打席目はセンターフライ。5打席目は左安打で出塁して、再び盗塁に成功。5打数3安打1打点の活躍を見せたが、チームは4-6で敗れている。
高校時代は、不動の4番ショートとして活躍していましたが、甲子園出場は選抜1回だけであり、全国に「坂本勇人」の名前は広まらなかったかもしれないですね・・
堂上直倫(愛工大名電)・野原将志(長崎日大)が注目を浴びていた年ではあるが、坂本の評価はどうだったのでしょうか。
坂本勇人は甲子園での活躍は一回だけ
06年の春の選抜で初めて甲子園に出場しました。
初戦でダース・ローマシュ匡(元・日本ハム)擁する優勝候補の関西(岡山)と対戦。このプロ注目の好投手から1回裏にいきなりレフト前へ先制タイムリーヒットを放ちます。
初球の甘いカーブを見逃さない思い切りのいいスイングで勝負強さを見せつけた。5回裏の第3打席ではライト前ヒット、9回裏の第5打席ではショートへの内野安打と猛打賞の活躍。さらに2盗塁も決めている。試合は4-6で敗れはしたが、プロ注目の投手からチームが放った6安打のうち半数が坂本。その存在感を示してはいました。
ただ、坂本にとっての甲子園はこの1回だけに終わっていたのです。
坂本勇人のドラフトレポートの評価で外れ一位?なぜ堂上直倫を指名
坂本勇人の高校時代を動画とともに振り返ってみましょう。
坂本勇人の高校時代のドラフトの評価:走塁面
秋の新チーム結成から選抜の39試合で16盗塁。夏の青森大会決勝戦までに5盗塁など、積極的に盗塁を試みる選手である。
選抜で計測出来なかった一塁までのタイムは、4.48秒。これを左打者に換算すると4.18秒に相当。プロの基準である4.2秒とほぼ同タイムだと見て好いだろう。
ただ走塁意欲はある選手だけに、上のレベルでも足を売りにすることはなくても、隙あらば盗塁を決める場面も期待出来るかもしれない。まあプロレベルだと並~中の上ぐらいの走力だと捉えておきたい。
坂本勇人の高校時代のドラフトの評価:守備面
球界を代表するショートも高校時代は、ショートでは活躍ができず、3塁か外野になるだろうと言われていたんですね。
地肩自体は基準を満たすものがある。ただフットワーク・足の運びなどを見ると、将来的にプロの遊撃手を担えるとは考えづらい。
大型三塁手・もしくは外野と言うポジションに収まるのではないのだろうか。
タイプ的には、ぜひ三塁あたりを担える選手に育って欲しいのだが・・・。
こうやって見てみると、三拍子揃った大型内野手と言う形容は、かなりプロレベルを意識すると厳しいと言わざる得ない。
では打者として最も重視される打撃について考えて行きたい。
坂本勇人の高校時代のドラフトの評価:打撃面
中距離打者という評価は間違いっていませんが、今みるとそれほどバッティングには期待されているような感じではないですよね。ツボにはまったんでしょうね。
対応:選抜では早いカウントで打ちに来る傾向が強かったが、夏はよくボールを見ていた。
狙い球:速球でも変化球などに関係なく、アウトコースの球を打ちに行くことが多い。
打球:右にも左にも打ち返す広角打法が魅力だ。
仕掛け:「早めの仕掛け」
春同様に「早めの仕掛け」を採用。アベレージ打者が多く採用するスタイルで、本質的にはスラッガーではないことを窺わせる。
ツボにはまれば飛ぶが、現状は広角に打ち返す中距離打者だと見て好いだろう。
坂本勇人の高校時代のドラフトの評価:足の運び
内角のコースを得意とするというのは当たっていますが、記事はアウトコースばかりですね。こんなにインコースが得なバッターだとおもっていなかったのでしょうね。
早めに始動し足を引き上げ回し込んで、軸足よりもベースから離れた方向に踏み出すアウトステップを採用。アウトステップを採用すると言うことは、真ん中~内角の球を強く意識し、腰の回転で巻き込む打撃を得意としているようだ。
アウトコースに速球を投げ込まれ、身体の開きを抑えて対応しているところであるのだが・・・。
踏み込み・ステップの幅は並程度。アウトステップでも構わないのだが、野球の配球が7割はアウトコースで構成されていることを考えると、強くアウトコースの球を叩くといった観点では、このアウトステップは不利になる。
更にアウトコースでもしっかり外角の球を打ち返すには、ヘッドをしっかり最後まで残し、踏み込んだ足元がブレず、長くカベをキープすることが不可欠だ。しかし彼の場合、インパクトの際に足元がブレやすく、腰の逃げも早いことから、
どうしてもアウトコースの威力のある速球やスライダーを苦手とする傾向は強い。その辺が、青森県大会決勝戦で、好投手・野田(青森山田)のアウトコースへの配球に翻弄される要因となっている
堂上と比較して
堂上や野原を明らかに抜いていますよね。これ
堂上あたりと比べると、打撃技術に大きな開きがある。
また彼には、甘い球を逃さない天性の勝負強さを兼ね備えている。
野原あたりと比べると、総合力で差が感じられる。ただ3人の中で一番スケールがあるのは、恐らくこの坂本だろう。
そこでこの粗さをプロで改善して行けるのかが、今後の大きなポイントとなる。ただ個人的には、春からの成長に欠け・線の細さ・技術の粗さも顕著で、少々リスクの高い選手だと言う印象は、春同様に変わらなかった。
素材の良さは認めつつも、今の段階では指名リストから外すことにしたい。
なぜ巨人は堂上直倫をドラフト指名!圧倒的な活
堂上のプロフィール
国籍 | 日本 |
---|---|
出身地 | 愛知県春日井市 |
生年月日 | 1988年9月23日(33歳) |
身長 体重 | 185 cm 86 kg |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2008年8月3日 |
年俸 | 2900万円(2022年) |
愛知県名古屋市の愛工大名電高等学校に入学。1年生からレギュラーを獲得し、2年次の2005年春の甲子園(センバツ大会)では、4番に座り2本塁打を記録し優勝に貢献ししています。また、同年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、豊田大谷高校とのナゴヤドームでの決勝戦で本塁打を放っています。
同年9月には全日本高校選抜として、韓国で行われた第6回AAAアジア野球選手権大会に参加し、2本塁打で最多本塁打のタイトルを獲得。
3年次の2006年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、10四球と勝負を避けられる場面が多かったが、14打数7安打と打率5割を記録し、県大会優勝の原動力として活躍。しかし、本大会では初戦敗退を喫した。高校時代の甲子園3大会(2005年春、2005年夏、2006年夏)の通算打率は.480なのです。高校通算55本塁打を記録し、超高校級スラッガーとして注目されています。ポジションは遊撃手、選抜優勝時には三塁手として出場した。
2006年ドラフト会議にて、中日、阪神タイガース、読売ジャイアンツ(巨人)の3球団から1巡目指名を受け、中日が抽選で交渉権を獲得したため、父・兄と同じチームに入ることになった。親子3人がプロ野球選手かつ同一球団に所属することは史上初でありました。
坂本勇人を大森剛がプッシュ
2000年からは巨人の東北・関東地区担当スカウトとなった大森剛が、2007年からは北海道・東北担当スカウトとなり、光星学院の坂本勇人を高校2年生のころから密着マークしており、2006年の高校生ドラフト1位候補として積極的に球団に推薦していた。
しかし、巨人は堂上直倫を指名する結論を固めていたが、大森は坂本を猛プッシュしたことが結果として現在の活躍につながっています。
2006年9月25日に行われた高校生ドラフト会議にて、読売ジャイアンツが1巡目で堂上直倫を抽選で外したことによる再指名で坂本の交渉権が確定した。
坂本は6月の東北大会で8割強と打ちまくっており、また高校通産39本塁打のうち20本を2年の3月から放っているのですが、ドラフト1位候補ではなかったのかもしれませんね。
まとめ
原辰徳が使い続けたことがよかったのでしょうか。まさに巨人が生み出した生え抜きですね。
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