内角打ちと守備の名手、坂本勇人はやはり練習を鬼のようにこなしていました。。
今となっては信じられないことですが、球場では背番号7のレプリカユニフォームを着た球団の顔である二岡のファンがショート坂本を「なんであいつなんだよ」なんて嫉妬まじりにしつこく野次るシーンにも遭遇したことがあります。
まさか球界トップになるまでの努力・練習量は想像を絶するものだったのでしょうね。線の細かった10代の少年が、酸いも甘いも噛みしめて30歳の大人になりました。
ちなみに更新をし続けますので一部の紹介です。
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坂本勇人は努力!才能!練習量! 向上心!数々の証言を紹介!
プロフィール
原監督で何度も優勝争いをしているが、メンバーが一気に代わったというのもあるが、なにより坂本がキャプテンとなり年下のV経験のない若い選手たちを引っ張るという画が新鮮
あのヤンチャな坂本がわかります?
出身地 兵庫県伊丹市生年月日 1988年12月14日 身長 186 cm 体重 83 kg 投球・打席 右投右打(左利き) ポジション 遊撃手、一塁手、二塁手 プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目 初出場 2007年7月12日
尚輝と絵になる😊
— プロ野球とエンターテイメント (@hayatocup) November 28, 2019
坂本勇人の努力
二岡智宏の後継者として一軍レギュラーに抜擢された若きショートストップは、味方であるはずの一部の巨人ファンから嫉妬にも似た怒りを買っていました。
チーム屈指の人気選手の代役。しかもポジションは内野の要。おまえで大丈夫か? そんな視線にも負けずに頑張りました。
原監督が語った
坂本勇人は規定より2年早い3年目のオフに、寮から出たそうです。ただ、球団の代表や社長は猛反対だったようでえすね。
原(辰徳)監督に『アイツはもう立派に大人です。もう寮は必要ない』と話して、出すことに決めた」との話があったとのことです。
常に「ヤンチャ」のレッテルを貼られていた坂本だが、誰よりも強いプロ意識を持っていたようです。
「勇人はとにかく吸収が早い。何でも一言指摘しただけで、あっという間に修正してしまう。入寮時にはすぐに散らかっていた部屋も、いつの間にか綺麗に保たれるようになった」
原監督は日々の体のケアも絶賛します。
「いつでも、ニュートラルでゲームに臨んでいる。もちろん疲れもあるでしょうが、早めに来てケアをしながら、疲れている体をニュートラルに戻してね。それで日々新たに、その時間の使い方はすごいなと思いますね」
原監督
内野でスーパースターを作りたい坂本勇人をドラフトで指名 pic.twitter.com/pDudpU2Qen
— プロ野球とエンターテイメント (@hayatocup) October 22, 2019
坂本勇人の向上心・柔軟性
吉村禎章打撃総合コーチ
とにかく向上心・柔軟性が旺盛だという
「春季キャンプのときから、個人練習を欠かさない。体幹を鍛えるトレーニング、ロングティーなど、確固たるルーチンを決めていて、しかも打撃やプレーに役立つと聞くと新しい練習をすぐに取り入れる柔軟さもある」
坂本勇人の同期が語った才能
2006年のドラフト同期入団の松本哲也コーチらが坂本勇人の秘密を語りました。報知さんありがとうございます!!
松本哲也コーチ「基礎体力がすごい」
松本コーチはこう語る。
「高校から入団してきたのに、体力がすごかった。大学から入った選手と比べても互角以上。ものすごい量の練習をこなすことができた」
隠善智也さん「勇人はこそこそ練習」
あれ、隠善智也は広報でしたよね?
「僕は隠れて練習したいタイプだったんですが、寮の地下(打撃練習場)ではよく勇人にバッタリ会いました」と証言
大抜打撃投手「手がボロボロ」
手のボロボロさは練習をこなしていたということですね。
「キャンプは野手の練習がすごく長くて、勇人の手はボロボロ。」
「飲んでも練習」
どんなにきつい練習をした後も坂本は夜のに繰り出し、翌日に持ち越さないそうです(東スポ)基礎体力が違うのでしょうか?
「そういえば坂本さんは、こういうキツい練習をした後でも必ず(タクシーで片道約30分かかる宮崎市内の)街まで飲みに行っていた。しかもどんなに飲んでも、次の日の練習はきっちりとこなす」
2012年の巨人日本一パレードの様子。 https://t.co/f5Je9Gi2Rl pic.twitter.com/0HVaL19p24
— プロ野球とエンターテイメント (@hayatocup) October 19, 2019
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プロ入り前の指導者の証言
伊丹市軟式少年野球連盟)昆陽里タイガース監督らの証言!
田中将大も所属した小学校の野球チーム監督もこう語っています。 https://number.bunshun.jp/articles/-/12299?page=3
5歳から壁当て
兄の影響で野球を始めた勇人少年。
「毎日飽きもせず壁当てをしていましたね。最初は左投げだったんです。5歳になった頃ですね、急に右で投げ始めて……」
伊丹シニア監督の証言も
練習に手を抜いていたという坂本勇人ですが、才能は抜きん出ていたようで他の人より器用にこなしていたそうです。
打撃練習が大好きだった
それでも打撃練習は大好きで練習を休んだことは一度もないそうです。
打撃練習だけは大好きで、毎日、30分は早く来て、黙々とティー打撃をしていた。さらに、少年野球のときと同様、ケガや病気で練習を休んだことは一度もないという。「ホンマに野球が大好きやったな」
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まとめ
努力を見せなくても、見ている人は見ているのですね!
坂本勇人のグッズや写真集はこちら
「巨人軍の伝統だったり、勝ちに対する執念とか、受け継がれてきた伝統を教えてくれたのは阿部さん。次は僕が阿部さんから受け継いだものをつないでいく」
(2019年9月25日 スポーツ報知)#阿部慎之助#坂本勇人— プロ野球とエンターテイメント (@hayatocup) October 28, 2019
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