斎藤 雅樹(さいとう まさき、1965年2月18日 – )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現在は野球解説者。
斎藤雅樹ははサイドスローの投球フォームで1989年から1990年代中盤まで巨人投手陣を支え、2年連続20勝、11連続完投勝利を記録し、沢村賞を3回受賞した「平成の大エース」と言われています。最強で凄すぎてた他球団から絶望の完璧なエースでした。
通算成績は、180勝96敗防御率2.77です。平成初の沢村栄治賞を受賞し、史上4人目の沢村栄治賞3回受賞も達成した。
今回の記事では【最強】斎藤雅樹の全盛期の凄さ!名球会200勝!成績?平成の大エース!球種スライダー【絶望】についてお伝えします。
出身地 埼玉県川口市
生年月日 1965年2月18日(57歳)
身長 181 cm
体重 90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト1位
初出場 1984年4月6日
最終出場 2001年9月30日(引退試合)
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【最強】斎藤雅樹の全盛期の凄さ!名球会!成績?平成の大エース!【絶望】
斎藤 雅樹の成績は?名球会200勝に達せず
サイドスローの投球フォームで1989年から1990年代中盤まで巨人投手陣を支え、2年連続20勝、11連続完投勝利を記録し、沢村賞を3回受賞した「平成の大エース」と言われています。
通算成績は、180勝96敗防御率2.77です。
年度 | 勝利 | 敗 | 防御率 |
1984 | 4 | 0 | 3.07 |
1985 | 12 | 8 | 2.96 |
1986 | 7 | 3 | 2.40 |
1987 | 0 | 0 | 18.00 |
1988 | 6 | 3 | 1.89 |
1989 | 20 | 7 | 1.62 |
1990 | 20 | 5 | 2.17 |
1991 | 11 | 11 | 3.38 |
1992 | 17 | 6 | 2.59 |
1993 | 9 | 11 | 3.19 |
1994 | 14 | 8 | 2.53 |
1995 | 18 | 10 | 2.70 |
1996 | 16 | 4 | 2.36 |
1997 | 6 | 8 | 4.11 |
1998 | 10 | 7 | 3.08 |
1999 | 5 | 2 | 4.66 |
2000 | 3 | 1 | 2.10 |
2001 | 2 | 2 | 4.32 |
通算:18年 | 180 | 96 | 2.77 |
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タイトルを見れば平成の大エースといわれるのがわかります。
タイトル
- 最多勝利:5回 (1989年、1990年、1992年、1995年、1996年)
- 最優秀防御率:3回 (1989年、1990年、1996年)
- 最多奪三振:1回 (1995年)
- 最高勝率:3回 (1990年、1992年、1996年) ※当時連盟表彰なし
また、93年から97年まで5年連続開幕投手も務め、3年連続開幕戦完封勝利をあげています。
斎藤 雅樹は元藤田監督に育てられる
89年に藤田元司が2度目の監督就任をしてから、中継ぎ投手として38試合に登板しました。
6勝3敗、防御率1.89とそれなりの数字を残したが、メンタルの弱さを度々指摘され、伸び悩んでいる若手投手の1人という印象でした。
藤田監督は斎藤が入団した1983年当時も監督を務めており、斎藤をオーバースローからサイドスローに転向させた経緯がありました。
【最強】斎藤雅樹の球種スライダーが11試合連続完投勝利が全盛期【絶望】
斎藤雅樹の球種スライダーが11試合連続完投勝利が全盛期?
斎藤を語る上で欠かせないのが1989年に達成した11試合連続完投勝利です。それは「斎藤のスライダーは日本一のスライダー」といわれるからです。
サイドスローからの140km/h超の威力あるストレート、鋭いカーブ(スライダーという評論家もいるが本人はカーブと言っている)とシンカーを武器に、3試合連続完封勝利を含む11試合連続完投勝利の日本記録を達成しています。
5月10日の大洋戦から、斎藤は一気にブレイクし、7月8日の大洋戦では、鈴木啓示(元近鉄)が1978年に達成したプロ野球記録の10試合連続完投勝利に並ぶ。
そして7月15日のヤクルト戦で完封。新記録となる11試合連続完投勝利を成し遂げました。11試合連続完投のうち、完封が4度、1-2失点が6度という圧倒的な内容でした。
名球会入りできず
それが7年目の89年、斎藤雅樹は突如覚醒します。
30試合に先発すると、いきなり20勝を挙げ、プロ野球新記録となる破竹の11連続完投勝利をします。
巨人8年ぶりの日本一に貢献し、自身初の沢村賞にも輝いた。
翌90年には、背番号11に変更した翌90年にも2年連続の20勝でMVPを受賞します。
ただ、通算180勝です。晩年は故障もあって、名球会の入会基準である200勝には届きませんでした。
それでも、最多勝5回、最優秀防御率3回、最多奪三振1回、沢村賞3回というタイトル数は、斎藤氏がどれだけ圧倒的な投手であったかを証明している。最多勝5回はヴィクトル・スタルヒン氏(60年殿堂入り)に次ぐ歴代2位です。
まとめ
巨人は、四番かエースでしか監督になれないと言われていますが、斎藤も監督候補に選ばれてもおかしくはないのです。
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