松坂大輔の実家!松坂恭平が弟!両親は?父親!母親!幼少期!子供時代エピソード!中学校!鳥取!青森?

松坂大輔
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松坂大輔の両親!父親!母親!弟は松坂恭平!幼少期!子供の頃!鳥取今季限りでの現役引退を発表した西武・松坂大輔の弟が7日、SNSを更新した

今季限りでの現役引退を発表した西武・松坂大輔の弟が7日、SNSを更新した

子どもの頃の2ショット写真とともに「ついにこの日が来たかぁ」とコメント

「23年間、お疲れ様でした!」「小さい頃から投げすぎなんだよ笑」と締めた

松坂大輔の実家!松坂恭平が弟!両親は?父親!母親!幼少期!子供時代エピソード!中学校!鳥取!青森?

出身地 東京都江東区
生年月日 1980年9月13日
身長体重183 cm93 kg
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト1位
初出場NPB / 1999年4月7日
年俸 8,000万円+出来高(2019年)
経歴 横浜高等学校→西武ライオンズ (1999 – 2006)→ボストン・レッドソックス (2007 – 2012)→ニューヨーク・メッツ (2013 – 2014)→福岡ソフトバンクホークス (2015 – 2017)→中日ドラゴンズ (2018 – )

松坂大輔の両親

は北海道稚内市出身で、母は青森県東津軽郡蟹田町(現在の外ヶ浜町)出身。弟・松坂恭平がいます。

家族団らんって非常に重要ですよね、松坂家の絆の深さを感じます。

松坂大輔投手は日本球界に復帰し、福岡ソフトバンクホークスと3年12億円の大型契約を結びました。

3年間で1軍登板は僅か1試合のみで、しかも内容は最悪のものでした。

松坂大輔の幼少期!子供の頃

松坂大輔投手は4310gもあったという新生児の平均をはるかに超えていました。

当時を振り返って母親は「ハイハイしている頃から動きはすばしっこく、興味のあるものを見つけては移動し、どの行動も母子手帳に書かれている成長の目安より早かった」と明かしています。

松坂大輔投手のいつもの遊び場は、近所の公園の砂場が遊び場でした。
そこでもよっとしたエピソードですが、少しでも目を離すと、すぐにお友達にちょっかい出して泣かしてしまうありさまだったらしい。
でも、相手をいじめたりするのではなく、新しいおもちゃや珍しいモノを見つけると、「貸して」と言って好奇心がつよかったようです。

松坂投手のお父さんは北海道稚内市出身で、お母さんは青森県出身。 松坂投手の出生地は、青森県東津軽郡外ヶ浜町です。

実は5歳~小学校3年生までの間、剣道を習っていました。

野球をはじめるまでの体力、精神力作りのためのようです。

地元である江東区の「福住剣友会」に所属したそうですが、ここは、地元で有名な厳しい道場でした。

相手が子供だろうと容赦はありません。

子供たちは、泣きべそをかきながら練習していたそうです。

週に3日は夜間練習があり、日曜は試合や試験があります。

幼い頃から週に4回は道場に通っていたことになります。

松坂の忍耐力や精神力は、幼い頃に受けた、このスパルタ教育が影響していると言えそうですね。

松坂大輔の父親?

父親の名前は、松坂愉さんです。職業は運送会社に勤めていましたが、運悪く働いていた会社が倒産してしまいました。松坂投手が西武入りをした事で、愉さんにも西武グループでの仕事が回ってきました。

これぞ正(まさ)しく孝行息子ですね。

西武と言う球団は本当に温かみのある球団で、松坂大輔投手を抽選のうえ獲得しているので、是非入団して欲しいわけです。

松坂投手はおそらく

“父の面倒も見てくれるなら”

と言う条件をつけたと思います。

西武グループにしてみれば、そんなことで入団してくれるならお安い御用だったのでしょう。

松坂大輔の母親

母・由美子さんは青森県東津軽郡蟹田町(現在の外ヶ浜町)の出身で上京し、お父さんと知り合い結婚しました。

結婚・出産後も仕事を続け、保育園のお迎えも父と母が交代で行ったそうです。

子育てと仕事を両立させ、お母さんは忙しかったでしょう。できるだけ松坂少年を外に連れ出し、公園で鬼ごっこやかくれんば、ジャングルジムで遊ばせました。

さらに、松坂家の夕食の風景は、かならず家族4人で構成されていました。

松坂大輔投手の母親の名前は、由美子さんです。あまり表舞台に顔を出さないお母さんですが、

“自分のやりたいことは自分で決める”

というのが母親としての教育方針だったようです。

松坂大輔の弟は松坂恭平

国籍 日本
出身地東京都江東区
生年月日1982年11月23日
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
東京都立篠崎高等学校法政大学東京LBC愛媛マンダリンパイレーツ (2006 – 2007)東京LBC
Tokyo Bay Lusters

名前は松坂恭平(きょうへい)さん。

弟・恭平さんも、小学校1年から野球を始め、江戸川南リトル時代は投手兼遊撃手として全国3位に輝きました。

中学でも活躍した恭平さんは、強豪私立高校からの勧誘を受けますが、家庭の経済的事情により都立篠崎高校へ進学。

投手として1年生からベンチ入りを果たしますが、故障に悩まされ、甲子園出場は叶いませんでした。

大学は法政大学へ進学。1999年の夏季大会は、茶髪にツイストピンパーマの風貌で注目されます。

また、地元江戸川区対決の江戸川校戦(江戸川球場)では、三振を喫した際、判定に不服として、球審に詰め寄り、その後、球審に向かいバットを振りかざすジェスチャーをするなどわんぱくぶりを発揮でした。

六大学野球の新人戦で、投手として神宮のマウンドを踏みますが、大学でもけがに悩まされ、控えに甘んじました。

大学卒業後は、西武グループの「コクド」に入社。野球部がなかったためか、一カ月で退職し、スポーツメーカーのドームに転職しました。

2006年、愛媛マンダリンパイレーツのトライアウトに合格して入団。

2007年には、ロッテの入団テストを受け、一次テストを通過しますが、入団とはなりませんでした。

まとめ

両親も引退試合にはくるのでしょうか。弟もきになります。

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