【阪神】掛布雅之のバッティングフォームによって選手寿命を縮めた

こんにちは、ヨシラバーです。

掛布雅之の話題です。

小柄ながら体をねじ切るようなフルスイングでホームランを量産し、3度のホームラン王に輝いた“4代目ミスター・タイガース”です。

身長は175センチと決して大きくはないのですが、あの広い甲子園でホームラン王に輝いているのはすごいですね。

当時は、チームにはバースや岡田、先輩に田淵、他球団には衣笠、山本、巨人には原辰徳やクロマティがいましたからね。

ただ、掛布は自身はホームランバッターでないと常々話しています。

松井秀喜が憧れた男なのに。。

掛布雅之のプロフィールは?

出身地 新潟県三条市
生年月日 1955年5月9日(63歳)
身長 175 cm
体重 77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手
プロ入り 1973年 ドラフト6位
初出場 1974年4月7日
最終出場 1988年10月10日

 1955年5月9日生まれ。千葉県出身。右投左打。習志野高から74年ドラフト6位で阪神入団。88年限りで現役引退。

[主なタイトル]本塁打王(79、82、84年)、打点王(82年)

掛布雅之は若手時代に中距離ヒッターを狙っていた

若手時代は中距離打者でした。

掛布自身も自分の適性はそちらにあるのではと思っていたそうです。

 しかし、1978年オフ、田淵幸一の西武移籍から、チームの看板を背負う覚悟を決め、その後、ホームランを期待するファンの声もあって長距離打者になる道を選びました。

掛布のホームランバッターとしてのバッティングフォームを確立させたのは1982年

ホームランバッターとして、ほぼ完成したのが82年といわれています。

構えでは背中を丸めるように小さくなり、すべての力をためているように見える。

 バットを顔の近くに感じるためでもあったという。右肩を微妙に開き、投手と正対気味になっている。そこから足を上げ、軸足に目いっぱい力をためる。

スイングではボールに回転を与え遠くに飛ばすため、やや下に当てることを意識したそうです。

 バットのヘッドが落ちないようにしながらV字型のスイングをしている。そこからさらに力を加えるために、悪いとされるスウェーも意識してやりました。

猛練習による肉体改造と打法の改良に取り組み、強靱な体と長距離打者としての打法を身に付けることで打球をスタンドまで叩き込んだのです。

まさにファンのためにホームランを見せる努力のバッターですね。

ランディ・バースは掛布を褒める

「バッティングは引っ張っても打てたし、流しても打てたからね。完璧だったよ。日米野球だったと思うけどジョージ・フォスター(元シンシナティ・レッズの大打者)が彼のバッティングを見て、『このチビは、なんであんなにボールを飛ばせるんだ!』って聞いてきたことがあったほどだぜ。なにしろ腰の回転が凄かった。腕力はなかったけど、下半身の回転で打つ選手でミートも上手かった。右投手も左投手も苦にしなかったね。」と評しています。

掛布のバッティングフォームは選手生命を縮めてしまった

この打法は体への負担も大きく、選手寿命を縮める一因ともなりました。

 掛布自身、「体が大きくない僕が、ホームランを30本、40本まで増やすためには肉体的にはかなりの無理をしていた」と述べています。

それでも掛布は中距離ヒッターだった

1981年には「4番として全試合出場」を目標としたため、本塁打を意識しない打撃に徹した。

その結果、フル出場を果たすとともに打率も.341という高い数字(自身の最高打率)を残したが、そのオフのイベントでファンから「もうちょっとホームランを見たい」(この年の本塁打は23本)と言われたことがきっかけで再び本塁打を意識した打撃に変更したといいます。

この1981年が「一番自分らしかったのかもしれない」と語り、「今でも自分がホームランバッターとは思っていない。(1981年のバッティングをやれれば)違うバッティング、違う掛布があったのかな、という思いが今でも強い」とはなします。

掛布の引退会見

まとめ

1985年の阪神日本一の象徴である掛布ですが、ホームランバッターになるにはファンを第一に考え、苦労を重ねた男なんですね。