今岡 真訪(いまおか まこと、本名及び旧登録名:今岡 誠(読み同じ)、1974年9月11日 – )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ、野球解説者です。
愛称は「マコ」、「イマハン」。妻は、ネイリストやタレントとして活動する今岡梨惠。
出身地 兵庫県宝塚市
生年月日 1974年9月11日(47歳)
身長
体重 185 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手、三塁手、遊撃手
プロ入り 1996年 ドラフト1位(逆指名)
初出場 1997年4月8日
最終出場 2011年6月5日
今岡誠は現在・今は何をしている?
2022年からは関西地方を拠点に、「今岡 真訪」という名義で日刊スポーツの野球評論家として復帰。この名義で野球解説者としての活動も再開したが、フリーランスの立場でサンテレビジョン・スカイAなどの阪神戦中継・関連番組にも登場している。
今岡 梨惠が嫁・奥さんで結婚!子供!家族!息子
今岡 梨惠のプロフィール!子供
独身時代の1998年、岩永梨恵名義で『ナイトinナイト』(朝日放送)アシスタントのテレビ公開オーディションに参加するも落選(優勝は宗政美貴)でした。
1999年に結婚した後は、ネイリストとして数々の賞を受賞し、2004年12月に自らオーナーを務めるネイルサロン「R DECO」を大阪市・北浜にオープン、ファッションセンスとネイル技術を活かしました。
現在は光文社のファッション誌『Mart』の専属モデルを務める他、テレビ出演などで活動する。夫の誠との間に息子が1人います。
生年月日 1978年12月18日
現年齢 43歳
出身地 日本の旗 日本・大阪府
血液型 A型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 157 cm / ― kg
スリーサイズ 83 – 62 – 86 cm
馴れ初めは?
人が結婚に至った馴れ初めについての言及はされていません。
そこで、彼らの馴れ初めについて調査しましたが、ネット上では詳細な情報は公表されていません。
しかし一部ネット上では、梨恵さんが短大時代に合コンで知り合ったと噂さえています。
この事について、個人ブログ『美人同盟』には以下のように掲載されています。
”最近ネイルサロンをオープンし、
若きセレブ妻として雑誌やテレビを賑わす梨恵夫人。短大時代に合コンで今岡選手と知り合い、
卒業と同時に妻の座をGET。”
同ブログの通り、上記のように掲載されています。
しかし、あくまでもネット上の噂なので馴れ初めの真相は不明です。
今岡 梨惠のインスタ
2004年12月に自らオーナーを務めるネイルサロン「R DECO」を大阪市・北浜にオープン、ファッションセンスとネイル技術を活かしたインスタを公開しています。
世帯の年収は?・年俸
ネットでみたのですが今岡誠より奥さんのほうがかせいでいるのでしょうか。
自らがオーナーを務めるネイルサロン「R DECO」を経営している事が判明しました。
この事について、梨恵さんのWikipediaには以下のように掲載されています。
今岡誠 1億8000万 今岡梨恵 2億以上
なぜ今岡誠(いまおかまこと)は改名してる?今岡 真訪
阪神タイガースの現役選手時代から、野球解説者として活動した時期をはさんで、阪神に二軍野手総合コーチとして復帰した2016年までは、本名を登録名に用いていた。
コーチ在任中の2017年から、登録名を「今岡 真訪」(名前の読み方は本名と同じ)に変更した。
この今岡さんの改名は全く情報がありません。
ネットでは謎の改名とも言われています。
そもそもコーチ時代の改名なので、選手として成績を上げたいとかでもなさそうです。
ただ、改名するという事は、自分の何かを変えたいと思っているんでしょう。
結局は本人の問題なので、今岡さんが満足していれば、この改名も正解なんだと思います。
今岡誠は阪神に監督・コーチで復帰復帰?
阪神球団は2015年10月26日に、今岡に対して、翌2016年シーズンからの二軍野手総合コーチ就任を正式に要請しました。
今岡がこの要請を受諾したため、球団は翌27日に、今岡のコーチ就任を発表しました。
阪神時代のチームメイトだった金本の一軍監督就任(同月17日)を受けての現場復帰で、「二軍打撃兼野手総合コーチ」として、打撃部門を中心に二軍を総合的に指導していました。
野村克也との仲?なぜ干された?
野村監督の今岡に対する評価です。 野村監督の本を読むと、 阪神時代の今岡の事も書かれていますよね。
「今岡は言われると黙り込む」とか・・・・・。
野村監督退任後に今岡が活躍した事を考えると、 結局、何が原因だったのでしょうか?
性格があわなかった
マスコミが印象操作したとかいう説も一応あります。
ただ、少なくとも野村は現在でも今岡の悪口を欠かさないし(「出塁すると塁上で自分の打率を計算してた」etc) 今岡の方も引退の時に「野球を終わらされかけた」と恨みを言ってた記憶があります。また著書でも「偉そうなことを言ってるが結局自分の好き嫌いでしか選手を見ていないジジイだ」みたいなことを述べてました。
野村にしてみれば今岡が自分の時代にも活躍していればもう少しマシな成績だったでしょうしかなり本気で憎み合ってることは確実でしょう
野村克也は「野球は守備・走塁から」という考え方が特に顕著な監督なので 今岡のように守備走塁が下手な選手に対しては最初から偏見を持って見てたように思います
阪神時代や楽天時代を見渡しても例えば赤星のような足の速い選手、渡辺直のような名脇役的な選手は育成しています。
今岡や楽天の銀次や枡田など打撃センスはいいが守備走塁が下手という選手に対してはあからさまに冷たい扱いをしていました。
野村は今岡を覇気がない選手、不真面目な選手と散々レッテルを貼ってマスコミにいじめさせてましたが。
野村監督は自分の好き嫌いで、選手起用する場合が多いと思います。 ヤクルト監督時代も、笘篠を干しました。
それがある程度事実な面はあるにせよ自分の考え方と合わない選手を嫌うというこの悪癖こそが野村が阪神や楽天で優勝できなかった理由だと思っています
逆に星野はこういう野村時代に燻ってた選手達をうまく乗せて爆発させる話術に非常に長けておりそれが結果に繋がったんですね
まとめ
なんだかんだ阪神に愛された選手でしたね。
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