原辰徳監督の性格はわがまま?病気も!怪我は職務放棄!ポップフライ!アキレス腱など!

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原 辰徳(はら たつのり、1958年7月22日- )は、日本の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)。プロ野球監督、解説者。

原辰徳は現役時代は怪我ばかりでした。ただ、監督では選手に職場放棄というためわがままといわれるようです。

ヨシラバー
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原辰徳はわがままなのでしょうか。現役時代の反省があると思いまうs。原監督は「まただまされちゃうかもしれないけど……」と言うほど吉川尚に惚れ込み、能力だけなら「(坂本)勇人クラス」と認めていています。

原辰徳といえば「怪我は職務放棄」と言い切ってしまうほど選手の怪我を嫌っていますが、何故なのでしょうか?

出身地 神奈川県相模原市

生年月日 1958年7月22日

身長 181 cm

体重 88 kg

投球・打席 右投右打

ポジション 三塁手、外野手、一塁手

プロ入り 1980年 ドラフト1位

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原辰徳監督に性格はわがままな理由は怪我の職務放棄!

若い頃もスター選手でした。

原辰徳の怪我は「職場放棄」

公式発言でも原辰徳は職場放棄(職務放棄?)という言葉をよく使っています。

「プロたる者、常にグラウンドで練習、戦うことができる。コンディションに関してはしっかりとやってほしい。極端な話、野球ができない状況であれば、社会人的に言うならば職場放棄である、と」(2018年秋季キャンプ)

これは選手にいつも言うんですが、しっかり練習することは正しい、何も否定しない。しかし、むしゃらに練習してケガをしました、というのは話にならない。(中略)野球選手のケガは、言ってみれば会社なら職場放棄だと。だからケガした選手に対して僕はものすごく叱りますよ。「自分の体をしっかり守って、いつでもファイティングポーズを取れる選手であってほしい」と伝えてます。(江夏豊との対談)

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原辰徳は松井秀喜に「怪我をされたら困る」

コーチ時代には松井秀喜とも衝突。

原氏はレガーズを手に持って戻ってきた。「慣れてくれ。お前にケガをされたら困るんだ」とひと言。年配のコーチがわざわざベンチまで取りに戻ってチームの決め事を守らせようとする姿に、松井氏も従うしかなかった。

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原辰徳は現役時代は故障続き?

そんな怪我嫌いの原辰徳ですが、現役時代は怪我との戦いでした。

津田恒美からファウルボール

これほど怪我が嫌いなのは自身の苦い経験から。故・津田恒美さんとの勝負で選手生命を脅かす怪我をします。

1986年9月の広島戦で、津田恒美投手のストレートをファウルした時に左手首を骨折。

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アキレス腱の故障・落合に4番を奪われる

また、キャリア中盤から晩年にかけてはアキレス腱痛に悩まされており、キャリア晩年には部分断裂を起こし、移籍してきた落合博満が4番打者に定着してしまいます。そして原辰徳は二軍生活。これは苦い思い出です。

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原辰徳の病気ではポップフライ?

原監督の打法はパワーでボールを「叩く」のではなく「バットに乗せ」て高い放物線を描いてスタンドに届かせる(いわゆる「ホームラン『アーチ』スト」)ものでした。

 こういうタイプの打者(現役なら江藤選手など)は「安打の延長がHR」とはならず「甘い球はHRを打つための打法でHRにする」形になりますので「打ち損じ=ポップフライ」は半ば宿命でした。

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原辰徳の第一次政権・第二次政権で苦い思い出

前監督時代に怪我をする選手での苦い思い出がありました。

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原辰徳は吉川尚輝にも苦言

能力に体がついていかない。原監督は先月の秋季練習中、「尚輝か~。(すぐにケガをして)職場放棄するからな~。戦う以前の問題だよ」と歯がゆそうに話しています。

 腰の負担を軽減するため、二軍戦で外野にも挑戦していたが、来季は二塁手でのレギュラー争いを原監督は期待しています。

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まとめ

怪我嫌いは自身の辛い経験からなのでしょうね。

少し言葉はきついかもしれませんが、徹底的に怪我を嫌うことで選手が気をつける行動を取るかもしれません。

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