「巨人の1番といえば仁志!」という方も多いのではないでしょうか?何を隠そう、小柄な体ながらパンチ力のある打撃と堅実な守備、そして“考える野球”を体現した仁志敏久氏は、筆者(ヨシラバー)にとっても忘れられない名選手です。
2024年まではDeNAの2軍監督を務めていましたが、2025年からは西武ライオンズの1軍コーチに就任。さらに侍ジャパンの監督としても活躍するなど、その活動範囲はますます広がっています。
この記事では、G党の皆さんが気になる仁志敏久氏の2025年最新の現在を徹底的に調査します。
- 2025年より就任した西武ライオンズでのコーチ業の詳細
- 侍ジャパンU-12代表監督としての、熱い指導哲学
- 結婚した嫁・静子さんや**子供(娘)**の存在、実家・自宅のプライベート情報
- そして、G党なら誰もが抱く「巨人復帰」への素朴な疑問
仁志敏久のプロフィール【G党ならざっくりおさらい】

まずは、常総学院高から早稲田大学、そして日本生命を経て巨人に入団した“エリート街道”の仁志敏久氏の基本情報を確認しましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 仁志 敏久(にし としひさ) |
| 生年月日 | 1971年10月4日(2025年時点で54歳) |
| 出身地 | 茨城県古河市 |
| 身長・体重 | 171 cm・約75kg 前後(現役時代は80kg表記も) |
| 投打 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手(二塁がメイン) |
| ドラフト | 1995年 ドラフト2位(逆指名) |
| 主な球歴 | 巨人 $\rightarrow$ 横浜 $\rightarrow$ 米独立リーグ |
| 通算成績(NPB) | 1587試合、1591安打、154本塁打、541打点 |
| 学歴・肩書き | 筑波大学大学院 体育学修士(2016年取得)、江戸川大学 客員教授 |
“小さいけど強い1番打者”というイメージそのままの成績を残し、ゴールデングラブ賞も4年連続(1999〜2002年)で受賞。文句なしの名二塁手でした。
仁志敏久の実家と自宅、そして家族構成(嫁と娘・息子など子供)

G党の皆さんにとって、仁志敏久氏のプライベートも気になるところではないでしょうか。
実家は茨城県古河市|地元への貢献も欠かさない
仁志氏の出身地は茨城県古河市です。地元・常総学院高校に進学した経緯からも分かる通り、地元とのつながりは深く、現在は古河市出身の著名人として**「古河大使」**にも就任し、PR活動に協力しています。
お正月には必ず実家に帰省し、お母様と過ごす時間を大切にしているというエピソードからも、家族思いで地元を大切にする人柄が伺えます。
自宅にトレーニングルームを設置!引退後も衰えない筋肉へのこだわり
自宅の詳しい住所は非公開ですが、インタビューなどでトレーニングルームを設置していることを明かしています。
引退直後、「ジーパンが緩くなった」ことが一番ショックだったと語っており、これがきっかけで再び体づくりに力を入れ始めました。現在は週2回ほどの加圧トレーニングなどで、現役時代から変わらない筋肉へのこだわりを持ち続けているようです。やはり、プロの体は維持し続けているんですね。
結婚してる?嫁・静子さんと子供(娘)の存在
仁志氏はすでに結婚しており、嫁さんは静子(しずこ)さんという一般女性です。また、ご夫婦には娘さんが一人いることが判明しています。
詳細なプロフィールや顔写真は一切公表されていません。これは、成績不振などで家族に矛先が向かないよう配慮していると言われており、**「プライベートを守る=家族を守る」**という仁志氏の優しさが透けて見えるエピソードだと、筆者(ヨシラバー)は感じています。
引退後のキャリアの流れ(時系列):解説者から現場のプロへ
仁志氏の引退後のキャリアは、着実に指導者としての道を歩んでいることが分かります。
仁志氏の引退後のキャリアは、着実に指導者としての道を歩んでいることが分かります。
- 2010年:米独立リーグ・ランカスターでプレーし現役引退
- その後:野球解説者としてTV・ネット中継に出演(DAZNなど)
- 2013〜2020年:侍ジャパンの内野守備・走塁コーチやU-12代表監督を歴任
- 2016年:筑波大学大学院で体育学修士取得(指導論を学問として深掘り)
- 2021〜2023年:横浜DeNAベイスターズ二軍監督
- 2025年〜:埼玉西武ライオンズ 野手チーフ兼打撃コーチ就任
解説者だけに留まらず、学問で指導論を深掘りし、アマチュアの現場を経てプロの指導者へ戻るという、非常に計画的で説得力のあるキャリアを築いているのが印象的ですね。
ファンが望む「古巣復帰」の夢:巨人にはいつ戻ってくる?
G党の皆さんが最も気になるポイントはここですよね。「素直に野球を続けているのは嬉しいが、巨人の首脳陣には戻ってこないのだろうか」という期待は、今も根強いです。
実は、過去には巨人から指導者就任の話があったものの、仁志氏自身が「こちら側のタイミングやチームのコンセプトを聞いてからでないと就けない」と判断し、すぐには受けなかったという経緯があります。
現在は西武ライオンズという新たな現場で経験を積んでいますが、巨人OBであることに変わりはありません。仁志氏が指導者としてさらに手腕を磨き、将来的に古巣のユニフォームに袖を通す可能性は十分にあると、ヨシラバーとしては強く期待しています!
仁志敏久ここからはG党としての本音トーク【ヨシラバーの告白】
ここまでは、仁志敏久氏の実家・家族・現在の活動について事実ベースで整理してきました。
ここからは、長年巨人を追いかけてきた筆者(ヨシラバー)個人の思いとして、
「背番号8」と原辰徳さん、そして仁志敏久氏について感じてきたことを少しだけ書かせてください。
正直に言うと、筆者(ヨシラバー)にとって仁志敏久氏は、最初から素直に「大好き!」と言えた選手ではありませんでした。
常総学院から早稲田大学、日本生命を経て巨人に入団という“ザ・エリート街道”のストーリーは、野球少年だった頃の憧れそのもの。しかも何を隠そう、同じ茨城出身ということもあって、ずっと気になる存在ではありました。
ただ、巨人で背番号「8」を背負った瞬間、気持ちは一気に複雑になります。セカンドという同じポジション、そして何よりも、物心ついたときからのヨシラバーにとってのスーパースターは、原辰徳の「8番」でした。
「8番=原さん」というイメージがあまりにも強すぎて、正直、最初の頃は“原の8番”を受け継いだ仁志を、心のどこかで素直に認められない時期もありました。
そして、この「8番」の継承に加え、常総学院の先輩・後輩という間柄でもあった両者の間には、一部で「確執があったのではないか」とささやかれた時期があります。
真相は当事者のみが知るところであり、私たちファンが憶測で決めつけるべきではないのはもちろんですが、G党としては非常に複雑な感情を抱いてしまうのも事実ではないでしょうか。原辰徳氏の采配や名言について深く知りたい方は、こちらの記事もぜひご覧ください。
それでも、歳を重ねていくなかで、丸佳浩など別の選手が「8番」を背負うようになり、自分の中の“背番号8”のイメージも少しずつ変わっていきます。気づけば、**「やっぱり仁志の8番も、巨人の歴史の中では絶対に外せないよな……」と自然に思えるようになっていました。
今では、YouTubeに上がっている仁志の解説動画やインタビューは、ほとんど欠かさずチェックしています。プレーだけでなく“言葉”でも野球を語れる人として、改めて惚れ直している――それが、2025年のヨシラバーから見た仁志敏久という存在です。
まとめ:仁志敏久の実家・家族構成|嫁と娘・息子など子供
最後に、元巨人・仁志敏久氏の2025年現在のポイントを整理します。
- 現在の役職は、埼玉西武ライオンズの野手チーフ兼打撃コーチ(1軍)。
- もう一つの顔として、侍ジャパンU-12代表監督として未来の野球界を担う子どもたちの育成に尽力。
- 結婚しており、嫁さんの静子さんと娘さんの3人家族。プライベート情報は非公開。
- 実家は茨城県古河市。自宅にはトレーニングルームを設置し、引退後も体づくりを継続。
仁志敏久氏は、現役時代の輝かしい実績だけでなく、指導者として「考える野球」の哲学をプロとアマチュアの両方に伝え、野球界全体を底上げしている存在です。
ぜひ、この機会に西武ライオンズでの指導、そして侍ジャパンU-12の動向にも注目してみてくださいね!
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