高橋由伸は天才!ヤクルトだったら?全盛期!生涯・通算成績!現役時代はタイトルが無冠の帝王!

巨人(ジャイアンツ)
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高橋由伸監督は天才でした。本当の意味での走攻守三拍子揃った選手の天才です。ルックスよくて大学でも巨人でも松井秀喜や清原和博と同じくらいの人気も誇っていました。「怪我がなかったら…」と思わずにはいられない選手ナンバーワンでしたね。

天才・高橋由伸がヤクルトだったら?

由伸は六大学野球のスター選手でありメディアが注目

高橋由伸のドラフトには中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズ、広島東洋カープを除く9球団の激しい争奪戦が繰り広げられました。

高橋由伸の出身地である千葉市を本拠地とする千葉ロッテマリーンズのファンが「高橋君にロッテへの逆指名入団を」との署名運動を繰り広げ、数万人の署名を集めたりもしました。

事前の報道では、由伸はヤクルトだった

誰もがヤクルトスワローズに入団すると考え、スポーツ報知でさえも、会見当日の朝は「高橋由伸、ヤクルト入りが濃厚」と伝えていたほどです。

当時のヤクルト監督・野村克也氏は社長から聞いたが、深夜2時までヤクルトに決めたという確証があったらしいです。背番号は3で内定していたそうです。

高橋由伸が急遽ドラフトで巨人入りとなった件について

由伸は、「巨人が嫌だ。堅苦しいチームではなくのびのびやれる環境がいい」とヤクルトに行きたいという胸中を友人に漏らしていたらしいのです。

ただ、由伸は自身の父親の借金という大きな問題を抱えていました

不動産関係の損失によりなんと約60億円にのぼる借金があることが分かったそうです。巨人は父親にかなり攻め込んでいたからだとヤクルトは敗因を振り返っています。

高橋由伸がヤクルトでなく巨人へ涙の逆指名ドラフトの会見

1997年11月4日、当時慶応大学4年だった由伸は、巨人を逆指名することを会見で発表しました。

高橋が声をしぼり出すように話し、

「本日、私、高橋由伸は、読売ジャイアンツを逆指名させていただきます」

「自分の力を試すことができる、また、いちばん生かせるんじゃないかという自分の判断で、決めさせていただきました」

との話していますが、ギリギリまでヤクルトと巨人のスカウトの戦いがあったのです。

希望に満ちた喜ばしい場であるはずの会見場には重い空気が充満し、高橋の顔には悲壮感さえ漂ってました。

そして報道陣に巨人指名の理由を聞かれると、目に涙をためて数十秒間沈黙。言葉が出てこないいのがとても印象的でした。

気持ちがつたわってきますね。

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高橋由伸は天才!全盛期!生涯・通算成績!現役時代はタイトルが無冠の帝王!守備は?

高橋由伸のプロフィールは?

出身地 千葉県千葉市中央区
生年月日 1975年4月3日
身長 180 cm
体重 87 kg

投球・打席 右投左打
ポジション 外野手、一塁手
プロ入り 1997年 ドラフト1位(逆指名)
初出場 1998年4月3日
最終出場 2015年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴
桐蔭学園高等学校
慶應義塾大学
読売ジャイアンツ (1998 – 2015)

五輪 2004年

慶応大学時代の高橋由伸は?

大学時代は全試合にフルイニング出場。

本塁打王3回、打点王1回、首位打者1回。

3年時の春季リーグ戦では打率.512、5本塁打を記録して戦後8人目の三冠王を獲得します。

田淵幸一の持つ京六大学リーグ本塁打記録を更新して歴代1位となる通算23本塁打を放ち、大学史上最高の打者にまで成長するのです。

全盛期!通算成績・生涯成績

由伸の全盛期は1年目と2年目だと思ってます

プロ1年目での打率3割(規定打席到達)は史上7人目、セ・リーグでは長嶋茂雄以来40年ぶり。

新人では史上初の満塁本塁打3本を記録しました。そして、広島戦で大野豊投手から放った東京ドームのバックスクリーンへの一撃は、大野豊に引退の決意をさせるものでもありました。

1998年

入団当初より長嶋茂雄監督から「21世紀のスター」として期待されました。オールスターゲームのファン投票では新人史上最多の51万4351票で選出されたのです。

ただ、新人王候補にも名前が挙がったが、新人王は中日の川上が受賞しました。この年の川上との直接対決の成績は 22打数1安打(1本塁打)だったのです。

その他成績は以下の通りです。

打率.30019本塁打、75打点、OPS.852。
・プロ1年目での打率3割(規定打席到達)は史上7人目、セ・リーグでは長嶋茂雄以来40年ぶり。
・史上初の新人での満塁本塁打3本を放つ

1999年

4月に打率.4338本塁打、29打点を記録し月間MVPを獲得します。

開幕から5番として試合に出場してきたが、プロ2年目にして巨人第66代の4番打者に指名されます。

なんと、チームメイトの松井秀喜、ヤクルトスワローズのロベルト・ペタジーニと熾烈な本塁打王争いを展開しいたのです。

しかし、9月14日の中日戦(ナゴヤドーム)での守備の際に外野フェンスに激突し、鎖骨骨折の重傷を負ってチームから離脱してしまいました。打率.315(リーグ5位)、34本塁打(リーグ6位)、98打点(リーグ4位)を記録するのです。

ただ、この年の骨折が由伸の野球人生を狂わせてしまったようにも思えています。

無冠の帝王である理由は?

理由は、”ケガ”の多さである。外野守備は一級品でありゴールデングラブ賞を7度も獲得したほどである。しかし、その代償は大きく守備に必死になるがゆえ、外野フェンスに直撃し骨折ということは度々あったのです。
この怪我がなければ、松井秀喜よりも凄いバッターになる可能性は多々ありました。

天才と名付けたのは長嶋茂雄のお気に入りだったから!

由伸はトーク番組でバッティング披露した時にどうしたら打てるんですか?って聞かれて
「こうやってこうしたらスッと出てバーンと」みたいなこと言ってたので、長嶋茂雄に似たようなタイプだと思われていたのでしょうね。長嶋さんという超一流の指導者と出会えたことが由伸という最高の素材を超一流の選手へと導いたことは紛れもない事実

タイミングを合わせるのがうまかったから

初対戦の投手でもしっかりとタイミングを合わせることができます。ボールを一番力が伝わるタイミングでバットの芯でとらえる技術は、達人の粋に入ると思います。

まとめ

まさかの無冠の帝王でしたね。

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