横田慎太郎の現在・今?嫁は?結婚!病気は?金本との関係!父は横田真之!母!妹!引退試合!家族の構成?

阪神タイガース
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横田慎太郎の現在・今?嫁は?結婚!病気は?金本との関係!父は横田真之!母!妹!引退試合!家族の構成?

鹿児島県内の整形外科で検査を受けたところ、脊髄に腫瘍が生じていることが判明したため、関西地方の病院へ6か月間にわたって入院しました。

抗がん剤の投与や放射線治療によって腫瘍が完全に消滅したことから、退院後の2021年4月26日に「川藤部屋」から配信された動画で、退院までの経緯を初めて公表した。

  • 現在・今は?
  • 金本との関係
  • 嫁や奥さんは?結婚!子供
  • 父は横田真之
  • 姉は美人
  • 母?横田まなみ
  • 引退試合

阪神タイガース・横田慎太郎の現在・今?嫁は?結婚!病気は?金本との関係!父は横田真之!母!妹!家族の構成?

基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地鹿児島県日置市
生年月日1995年6月9日(26歳)
身長
体重
187 cm
94 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り2013年 ドラフト2位
初出場2016年3月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
  • 鹿児島実業高等学校
  • 阪神タイガース (2014 – 2019)

現在・今は?

引退の際に阪神から「阪神タイガースアカデミーベースボールスクール」コーチへの就任を要請されましたが、脳腫瘍で死力が残る状態で小中学生にやきゅうを教えるのは困難という理由で断っています。

ただ、「今は(脳腫瘍の影響で)視力に不安が残るので、小中学生に野球を教える仕事に就くことは厳しい」という理由で要請を固辞しました。

育成選手契約期間の満了を機に阪神を退団したうえで、出身地の鹿児島県へ帰郷した。

帰郷後は、「誰の手も借りずに1人で生活することに一度挑戦したい」との意向から、鹿児島県内で単身生活を送りながら講演やコラム執筆などの活動を展開。

2020年の8月下旬からは、阪神OB会長(元・外野手)の川藤幸三がYouTube上に開設している「川藤部屋」というチャンネルへ「プロデューサー」という肩書で参画するとともに、自身(または川藤と共同)の動画を定期的に配信しています。

2021年5月12日には、阪神入団までの道のりや、脳腫瘍を発症してからの苦悩などを綴った自身初の著書『奇跡のバックホーム』が幻冬舎から発売された。

その一方で、2020年の7月頃からは、足や腰の強い痛みに見舞われていた。

鹿児島県内の整形外科で検査を受けたところ、脊髄に腫瘍が生じていることが判明したため、関西地方の病院へ6か月間にわたって入院。抗がん剤の投与や放射線治療によって腫瘍が完全に消滅したことから、退院後の2021年4月26日に「川藤部屋」から配信された動画で、退院までの経緯を初めて公表した

横田慎太郎の現在についてですが、出身地である鹿児島に帰郷して誰の手も借りずに一人で生活することに挑戦中とのこと。

金本との関係

金本から「別格の守備範囲」と評されるほどの守備力の持ち主で、高校時代に投手としての出場機会も多かったことから、遠投105メートルの地肩の強さも持ちます。

また、50メートル走で6秒1を記録するほどの脚力で、高校時代にも対外試合で重盗や本盗を成功させていました。

 このように潜在能力が高いことから、金本は2015年10月19日の一軍監督就任会見で、横田を「期待できる若手選手」の1人に挙げていました。脳腫瘍の入院加療中には、近親者に対して、相当な金額の治療費を援助していたといいます。

嫁や奥さんは?結婚!子供

現在、横田慎太郎選手は結婚していませんまだまだお若いですから、結婚はもう少し先かもしれませんね。独身のままのようです。付き合っている女性の情報もでてきませんでした。

子供についてですが、阪神時代は結婚していなかったので恐らくまだ未婚の可能性が高いです。

脳腫瘍の治療と一人での生活に今は結婚を考えている余裕はないと思います。

別の道を見つけて良い伴侶を見つけてほしいですね

引退試合のバックホーム

ここでは、横田慎太郎氏の著書『 奇跡のバックホーム 』(幻冬舎)の一部を抜粋。引退試合で走者を刺殺した“奇跡のバックホーム”の舞台裏がのっています。

「横田慎太郎」という存在を知らなくても「奇跡のバックホーム」というワードを耳にした人はいるかもしれません。

引退試合として行われた9月26日のウエスタンリーグ・ソフトバンク戦。

守備から途中出場し、8回2死二塁からセンター前へ飛んだ打球を処理すると、そのままバックホームして本塁刺殺というビッグプレーをやってのけた。

1人の外野手として見れば、それ以下でも以上でもない「好守」でも、その瞬間を目の当たりにした人たちの誰もが、「野球の神様」の存在を信じたはずだ。

17年春に患った脳腫瘍の後遺症に苦しみ続けていた。半年の闘病を経て同年9月に退院しプレーヤーとしてのリハビリを開始したものの、大きな壁になったのが、視力の低下がありました。

ノックの飛球は二重に見え、角度によってはボールも消失してしまう。安全面を考慮して打席に立つことは最後まで叶わなかった。

「見えない」ことが、引退決断の最大の理由。実際、最後のプレーも、ボールは見えていなかった。

父は横田真之

横田 真之(よこた まさし、1962年11月26日 – )は、高知県南国市出身の元プロ野球選手(外野手)です。横田慎太郎のお父さんは横田真之という方でロッテなどで活躍したプロ野球選手です。

新人ながら打率3割を記録し、通算の打率も.279を誇る巧打者ですね。ホームランは二桁を記録したことがないのでアベレージヒッターといったところでしょうか。

さらに俊足でシーズンで最多26盗塁を記録しています。

この横田慎太郎のお父さんですが、真之ですが脳の治療のため髪が抜けた横田慎太郎さんを思い自分も丸坊主にしたそうです。

本当に涙が出そうになるエピソードですね。現在57歳で当時も50代で丸坊主にするというのはかなり抵抗があると思います。

息子のためを思って坊主にするとは本当にできたお父さんと言えるでしょう。

現役からの引退後は、鹿児島商業高校硬式野球部のコーチを経て、2019年12月から監督を務めています。

姉は美人

ネットでは美人と話題になっているようですよ

お姉さんも凄い人だったようですよ!

学生時代バレーボールでインターハイで全国2位になったことがあるんです。

全国で2位ですよ!甲子園でいうところの準優勝ですからね!さ

しかも、大学はバレーボールで名門と呼ばれる鹿屋体育大学。

現在は、地元の地方局の人気情報番組を支えるスタッフとして活躍しているようです。

ちなみにですが、2016年の今シーズン、横田選手は、「2番・センター」として、開幕スタメンに名を連ねました。

母?横田まなみ

そして横田慎太郎の母親は横田まなみさんという方で元ミス鹿児島の経歴をもっています。さすがプロ野球選手の奥さんはこういう美しい方が多いですね(^^

兄弟はお姉さんがおり、横田真子さんという名前です。

スポニチに手記を出しています。

慎太郎、6年間の現役生活、本当にお疲れさま。つらく、大変だったと思うけど一切、弱音を吐かずに戦ってきた経験は、必ず次の人生に生きると思うよ。家族として夢を見させてくれてありがとう。

 17年の2月、仕事中に慎太郎から電話がかかってきて“体調が悪いから病院に行ったら脳腫瘍だった”って聞いて…。最初は意味が分からなくて、もう一回聞き直したら“脳腫瘍だって。お母さん、大丈夫?”って私を心配してくれてね。その場で仕事を辞めた。

入院してからは、主治医の先生、お父さんと3人で何十回も話し合いを重ねた。手術の直前、お父さんとは“もう野球はいらないよね?生きてくれればいいよね”と確認し合って。でも慎太郎が当日、先生に“神経1本傷つけないでください”と言って手術室に1人で歩いて入っていったのを見て、本当に野球がやりたいんだって。その言葉を聞いて、野球ができる体にしてほしいと強く願った。

計2回、2度目は18時間に及ぶ大手術が終わって、最初は全く目が見えなくて。口も大きく開けることができないから、食事は子どもに食べさせるように、ご飯をラップに小さく2センチぐらいに包んで食べさせてあげた。無意識に手術の傷口を手で触れば、菌が入って、また手術をやり直さないといけない。先生には“お母さん絶対に寝ないでくださいよ”と言われててね。慎太郎と私の手に、小さな鈴を付けて分かるようにしていた。

私が屋上に連れて行って夜景も見たよね。4月で、万博の方は夜桜がきれいで。慎太郎には“絶対に見えるようになるからね。桜が散るまでには絶対に見えるようになる”と声をかけて信じていた。

目も見えるようになって、回復は本当に早かった。抗がん剤、放射線治療でも大きなトラブルが一度もなかった。普通は嘔吐(おうと)もするみたいだけど“大丈夫です”と一度も吐かなかった。髪の毛も全部抜けたんだけど生えるまでも早かった。カツラの予約もしたんだけど全く必要なかった。先生も“こんな人はいない”と驚いてたぐらいだから。

治療が終わって、体を動かせるようになってからは毎日、お重にお弁当を作って朝6時に慎太郎と病院の1階で待ち合わせして。そこから1時間、病院の大きな庭園でキャッチボール。2人で汗だくになって病室に帰ってくると毎回、看護師さんが苦笑いを浮かべていた。慎太郎は6時より前に1階に降りて壁にボールを当てて練習していたよね。実は警備の方に“大きな音を立てられると困るけど私は知らないふりをしてます”と話をされたことがあった。午後からは日に当たって、良い空気を吸う時間を大切にして、看護師さんに“日サロに行ってきます”と言ってたね。

退院してからは、近くのアパートで1カ月間、2人で生活した。朝早く起きて散歩して、神社で手を合わせて。公園でキャッチボールをして、軽く走って、バドミントンをして、すべての時間が幸せだった。本当に、入院してから1度も落ち込んだことはなかった。慎太郎が前向きだったから病室はいつも明るくて、一日中笑ってた記憶が今もあるから。

でも、一度だけ泣いたことがあった。退院前日“お母さんは今日は早く帰って部屋の掃除もして明日迎えにくるから”と言って振り返ると、慎太郎は泣いて、泣いて…。良い日が来たねって。今日は一晩中、泣いてなさいと言って病室を出た。

病気が分かって、鹿児島に帰って治療することも可能だったけど、甲子園から離れたところっていうのが気になって、関西に残って闘病することを決めた。入院中はチームメートの方もたくさん来ていただいて。慎太郎から“松田さん(松田遼馬)が消灯するまで帰らない”と電話があったり。高山さんが、ドッグフードを差し入れしてくれた時は家族で大爆笑。北條さんも甘い物をいっぱい持ってきてくれて。本当に阪神タイガース球団、関係者の方々に多大なサポートをいただいて、慎太郎、家族ともども感謝しかありません。

最後に、6年という期間だったけど1軍の試合にも出させていただいて慎太郎も自分の子供ができた時に現役生活のことを話せるんじゃないかな。引退試合という形で試合にも出させていただいて、私たち家族はしっかりと目に焼き付けました。本当にお疲れさま。

スポニチ

まとめ

長男の横田慎太郎も元プロ野球選手(外野手)でした。

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