野村克也の前妻!夫人!野村沙知代と不倫・再婚?団野村との関係!息子の現在?陽一!克則!昔!アメリカ!南海との確執

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野村克也の前妻!野村沙知代と不倫・再婚?団野村との関係!息子の現在?陽一!克則!昔!アメリカ!南海との確執

2017年12月8日に死去したサッチーこと野村沙知代さんと、夫で元プロ野球監督の野村克也氏(享年84)は、1978年に入籍していますが、W不倫の末での結婚だったそうです。前妻もいたそうですが、団野村です。南海との確執はあるのでしょうか。なぜでしょうか。

野村克也の前妻!野村沙知代と不倫・再婚?団野村との関係!息子の現在?陽一!克則!昔!アメリカ!南海との確執

野村克也のプロフィールは?

出身地 京都府竹野郡網野町
生年月日 1935年6月29日(83歳)
身長175 cm
体重 85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1954年
初出場 1954年6月17日
最終出場 1980年10月4日

野村克也氏の選手時代

野村克也氏は、野球に対する情熱が誰よりあり、ONに勝つことだけを目的に野球した人間です

長嶋茂雄は東京六大学のスターであり、王貞治は甲子園のスターでありました。

野村克也氏は、そのような華やかな入団ではなく、ドラフト外で入団しています。
ONは、雲の上の存在であるにも関わらず、ライバル心を抱くことでさえ、無謀なのに、奇人ゆえの発想なのでしょうか。

野村克也氏は、プロ野球1年目は9試合で11打数無安打で終わり、シーズンオフにマネージャーから戦力外通告を受けます。

「もしここでクビになるようなら生きていけません。南海電鉄に飛び込んで自殺します」と辛抱強く交渉し、何とか残りました。

結果としては、通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、8年連続本塁打王(通算9回)、6年連続打点王(通算7回)、捕手として史上初の三冠王などを記録し、通算出場試合・安打・本塁打・打点・塁打数歴代2位という多大な実績を残した大打者となりました。

600号本塁打達成時の「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」という発言は、そのまま野村の代名詞となっています。

野村克也の前妻!南海の社長令嬢との出会い

野村克也は1960年に結婚します。

翌年の1961年に長男が生まれました。

お相手の名前は正子(まさこ)さんといい、南海電鉄の社長令嬢だったそうです。

南海電鉄と言えば、前身である大阪堺間鉄道が1884年に設立されて以来、実に130年以上の歴史を誇る大手私鉄です。

そんな大きな企業の社長の娘さんと結婚していました。

前夫人の正子さんですが美人さんですよね。

実際、前夫人の正子さんと結婚して以降の、野村克也さんの活躍っぷりは凄いものがありました。

結婚した翌年の1961年以降の成績は以下の通りです。

・6年連続で打点王のタイトル獲得(1962~1967)
・8年連続でホームラン王のタイトル獲得(1961~1968)
・戦後初の三冠王(打率・打点・ホームラン)を獲得(1965)

どれも凄いことなのですが、特に注目していただきたいのは1965年に達成した三冠王です。戦後初の三冠王!この偉業を達成したのは野村克也だったんですね。

野村沙知代との出会い!南海との確執!ダブル不倫

1970年に野村沙知代さんと都内の中華料理屋で相席になった事がキッカケで交際に発展します。

当時沙知代さんはホステスをしていたそうですが、互いに惹かれ合い愛人関係になったとされています。

克也さんと沙知代さんはダブル不倫の関係だったとされていますが、
野村克也さん側からは別の主張が

「奥さんに浮気されちゃって。それで頭に来て”出てけ!”ってなったんですよ。知らぬは亭主ばかり。お手伝いさんが2人いたんですけど、後で聞いたら彼女らは知っていたんですよ。私が遠征に行くと、30分ぐらいすると必ず来てたらしいんですよ、男が。沙知代さんと知り合ったから前の奥さんを捨てたという風に言われているけど、全然逆なんですよ」

克也さんと正子さんの離婚が成立したのは1978年でした。

相手が南海電鉄の社長令嬢だからあまり言えなかったのか男から妻の不品行をあからさまに詰ることはできないという武士の情けなのかその辺りは良く分かりません。

妻側の問題もあり夫婦不仲になりサッチーと出会う前から前妻とは別居していたようでした。

ノムさんは自分の球団の親会社の社長令嬢と結婚して当初は別れようとは思っていなかったんじゃないですか。

息子さんまで生まれていたしね。

しかし生まれ育ちの違いを感じたり妻に不倫(?)までされては別居するのも仕方なかったのかも知れませんね。

ただし別居後に出会ったサッチーも当時は米国人の夫がいたので今でいう「ダブル不倫」という形になってしまいました。

サッチーに惹かれたのはどうもノムさんの母親とサッチーがそっくりだったからのようです。(性格、容貌ともに)

沙知代と再婚!南海ホークスを解任・確執!

1977年秋、克也氏は、南海監督を解任されました。

当時42歳であった。原因は、後に結婚する沙知代さんとの交際問題が原因だといいます。

オーナーに「野球を取るか、女を取るか。はっきりせい!」と迫られたとのこと。

野村さんは、「女を取ります。仕事は、いくらでもあるが、沙知代という女は、世界に一人しかいない」と話すほどの惚れっぷりだったとのこと。

それほど大切していた女性がなくなったとき、男は同時に亡くなってしまうこともよくあると聞く。まさにそのとおりでした。

いつもは、マスコミの前ではあれほどの強気な姿をみせていたのですが。

なにもできない夫が、妻を亡くしたら (PHP新書)

2017年末、最愛の妻・沙知代さんが85歳で逝った。
普段は財布も持たず、料理もしない「なにもできない夫」が、妻を亡くしたらどうすれば良いのか――。
「その日」はどんな夫婦にもやってくる。
大切なのは、それまでに「ふたりのルール」を作っておくこと。
野村家で言えば、それは「死ぬまで働く」「我慢はしない」「どんな時も『大丈夫』の心意気を持つ」などである。

世界にたった一人の妻のこと、45年ぶりに訪れたひとり暮らし……。球界きっての「智将」が、老いと孤独を生きる極意を赤裸々に語る。

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野村克也の息子・子供は?陽一!克則には申し訳ないことをした

・野村克則(野村克也・野村沙知代との子供)

則さんが生まれたのが離婚が成立する前の1973年7月であることは明らかになっているので離婚前に克也さんと沙知代さんがそういう関係であったということは間違いないです。

・野村陽一(前妻の正子さんとの子供)

離婚成立の際に親権は正子さん側に渡り、引き取られたそうです。

その為、ほとんど現在に関する情報はなくテレビやメディア出演もない模様で一般人として生活されているものと予想されます。

団野村との仲?前夫アメリカ人と野村沙知代の子ども

沙知代さんと前夫である東欧ユダヤ系アメリカ人のアルヴィンエンゲルさんが結婚されたのが1957年でした。

沙知代さんが24歳の時でした。

同年1957年にダンこと団野村さん。
1959年には次男のケニーこと野村克彦さんが誕生しております。

当時から自由奔放な性格だったという沙知代さん。

結婚もし、子供も生まれたことで落ち着きを見せるかと思いきや夜遊びや外泊が続いいてそうです。

その結果、夫婦関係はかなり悪化することとなり野村克也さんとの関係、そして二人の間に子供産まれたことから

1976年にアルヴィンさんと離婚が成立しました。

1978年に野村克也さんと沙知代さんが再婚したことをキッカケに団野村さんと野村克彦さんは継子として野村家へ…となりました。

まとめ

2018年は出版された本が特に多いと言われています。

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