井口資仁の年俸?評価!なぜソフトバンクホークスに戻らなかった理由は?メジャー成績!
ロッテての井口監督はなぜソフバンに戻らなかったのでしょうか。
ホークスをいかにして退団したかを考えればホークスが獲得に乗り出すとは考えられないし、井口本人も戻れるとは思ってなかったでしょう。
井口資仁の年俸?メジャー成績がよくなぜソフトバンクホークスに戻らなかった理由は?評価
出身地東京都西東京市(旧田無市)
生年月日1974年12月4日
身長178
体重91
投球・打席右投右打ポジション二塁手、
遊撃手、一塁手
プロ入り1996年 ドラフト1位
井口がソフトバンクに入団した理由はメジャー
井口がロッテに入団した時の球団交渉役が瀬戸山球団社長と石川球団副代表でした。
この2人、実は井口がドラフトでダイエーを逆指名した時のダイエーの球団代表と担当スカウトなのです。
この時に2人と井口との間で交わされた約束が、将来のメジャー移籍でした。
井口が入団時の会見でダイエーを選んだ理由に「グローバルな感覚を持った球団だから」と言ったのはこの裏約束のことだと思われる。
その後、瀬戸山球団社長と石川球団副代表は退団しています。
ソフトバンクとメジャーへの覚書を交わしていた!ファンには裏切り行為!
井口は入団当初はソフトバンクで成績を残せませんでした。
だか活躍した頃には、色々と策にでます。政治力ですね。
メジャー移籍を諦めきれない井口は当時の球団オーナーとオーナー代行に経緯を説明し新たな約束を取り付けました。
契約更改では「オーナーの中内正の経営体制が刷新した場合、または高塚猛がオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚え書きを交わしたました。
覚書の存在など知らなかった球団とファンに対してほとんど裏切り行為でした。
ソフトバンクは居心地が悪かったんですね。
委員会秘蔵のフィルムより😉
1996年のドラフト会議後の記者会見❗️
右からダイエードラフト1位指名の井口資仁選手。
ロッテ1位指名の清水将海捕手(現ソフトバンク1軍バッテリーコーチ)
広島1位指名の澤崎俊和投手(現広島2軍投手コーチ)
1位指名が3人もいる凄い時代でした😊 pic.twitter.com/v8n3TZkIwN— 青山学院大学卒業アルバム委員会 (@agualbum) September 24, 2017
井口はメジャー帰りにソフトバンクホークスは選べず千葉ロッテへ
この騙し打ち(球団内では誰も知らなかった約束事)のような移籍騒動があった為にメジャー帰りの井口にホークス球団が手を挙げる事はありえなかったそうです。
当時複数のメジャーチームから三塁手としてのオファーがあったが、家族の生活環境と二塁手としてのオファーを優先しロッテへの入団を決めたといいます。
ただ、裏では入団時瀬戸山球団社長に誘われたからです。
この方はダイエー時代の球団代表ですし旧知の間柄です。
かなり良い条件を提示されたのでしょう。
井口の年俸!メジャーや巨人の提示した額
年度 | 年俸(万) | 差額 | 年齢 | 球団 |
2017 | 13500 | -4500 | 43歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2016 | 18000 | 0 | 42歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2015 | 18000 | 0 | 41歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2014 | 18000 | 0 | 40歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2013 | 18000 | 0 | 39歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2012 | 18000 | 0 | 38歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2011 | 18000 | 0 | 37歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2010 | 18000 | 0 | 36歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2009 | 18000 | 0 | 35歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2004 | 24000 | 16000 | 30歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2003 | 8000 | -2000 | 29歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2002 | 10000 | 5900 | 28歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2001 | 4100 | 100 | 27歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2000 | 4000 | 700 | 26歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
1999 | 3300 | 1800 | 25歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
1998 | 1500 | 200 | 24歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
1997 | 1300 | 0 | 23歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
巨人移籍金
井口監督が08年オフにメジャーから日本球界に復帰した際、巨人とロッテが獲得に乗り出しそうです。
当時を知る関係者は、
「巨人の年俸提示は4億円、ロッテのそれは2億円だった」と言う。
金銭面だけなら巨人が優勢だったが、当時のロッテ首脳は井口選手のそれまでの実績とともに、指導者の資質の高さにも着目した。
メジャーの評価は?
ホワイトソックスは当時長打力頼みの豪快な野球がチームカラーでした。そこで、就任2年目のギーエン監督は自ら「スマート・ベースボール」と名付け、小技や機動力を織り交ぜたスタイルを目指し、改革に着手しました。
その象徴的な存在が、井口だった。
日本で常に中軸を担っていた井口は、戸惑いを覚えながらも強力打線の中で「つなぎ役」に徹しました。
粘り強く待球し、右打ちで進塁打を重ね、点を線につなげる役割を果たし続けた。地区優勝を達成後、同監督が「今年のMVPは井口」と言い切るほど、自己犠牲の精神に基づく貢献度は絶大だったのです。
まとめ
井口のロッテての入団を調べると黒いところがありますね。
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