湯浅 京己(ゆあさ あつき、1999年7月17日 – )は、三重県尾鷲市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。
阪神・湯浅京己のドラフト評価?高校時代!怪我から覚醒?結婚や嫁もについてお伝えします。
出身地 三重県尾鷲市
生年月日 1999年7月17日(22歳)
身長 183 cm
体重 81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り NPB / 2018年 ドラフト6位
初出場 NPB / 2021年6月3日
年俸 500万円(2022年)
湯浅京己のドラフトの評価は6位?聖光学院高校時代
聖光学院高校時代!ケガに苦しむ
1年の冬に突如、野球ができなくなった。これまで肩肘どころか、一度も大きなケガをしたことがない丈夫な体が悲鳴を上げた。
中学3年から急激に身長が伸びた影響で、腰が耐えられなくなっていた。いつ治るかも分からない成長痛。野球ができないどころか、ひどいときには歩けないこともあった。
地元・三重を離れ、甲子園出場を目指して進んだ福島の地。痛みと共に日に日に不安もたまっていく。チームメートの前では気丈に振る舞っていたが、「帰りたい。何のためにここにいるのか分からない」と両親に電話で本音をこぼすこともあった。
だが、ずっとくよくよしているわけにはいかない。次の日には「弱音を吐いてゴメン」とメールを入れて再びプレーできる日を待った。
野球ができない時期も、プロになるという夢を諦めることはなかった。体を大きくするためには寮の食事だけでは足りず、精肉店を営む実家から2週間に1度、14食分の捕食を送ってもらうようにお願いした。メニューはステーキやハンバーグ、しょうが焼き、牛丼などで、母・衣子さんが調理。電子レンジで温めればすぐに食べられるように真空パックで届けてもらった。
甲子園には
実戦経験が浅いということもあり、残念ながら甲子園メンバーからは漏れた。悔しかった。
2年秋に投手として選手に復帰し11月の練習試合で初登板、3年春の県大会で公式戦デビューを果たし、同大会決勝戦での先発にも抜擢されました。
3年夏の県大会では背番号18を背負い、ストレートの球速が最速145km/hを記録するほどに成長を見せるも、甲子園大会本戦ではベンチ入りメンバーから外れました。
大学進学の勧めもあった中で、独立リーグ挑戦を決意しました。
BC富山時代
2018年には、春先から投球フォームの修正や基礎体力の養成に専念。
5月にリーグ戦への初登板を果たしてからは、先発ローテーションの一角に定着。15試合の登板で3勝7敗、防御率5.72という成績を残しました。
ドラフト評価は?
2018年シーズン終了後のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから6巡目で指名。契約金2000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団しました。
背番号は65です。
富山球団から支配下登録選手扱いでの指名を経てNPBの球団と契約した選手は湯浅が初めてとなった。
球速や最速・球種は?
躍動感のあるフォームから投げ下ろす最速153km/hのストレートを武器としています。
スライダー、カーブ、チェンジアップ、フォーク、スプリット、カットボール
ストレートについては、富山時代に球速が急上昇。当時の監督・伊藤智仁の指導によるトレーニングが功を奏して、福井ミラクルエレファンツとの地区シリーズでは151km/hを記録。
阪神への入団後に、最高球速を153km/hまで更新しました。
阪神入団時の担当スカウトの筒井和也は、湯浅の投手としての魅力として「まずハート。2番目は球威・投げっぷり。3番目に技術。変化球を投げられる基礎も持っているが、それ以上に投げっぷりと、なんといっても度胸・ハートが素晴らしい」と評価しています。
湯浅京己は結婚してる?嫁・彼女は?
まだまだお若いですし、結婚はもう少し先かもしれませんね。
しかし、彼女はいるかもしれません。
いるという話は出ていませんが、いたとしても不思議はないです。
実際はどうなのでしょうか?
好きなタイプは足立佳奈さんだそうです。
まとめ
スアレスがいないなかで岩崎とささえていってほしいですね。
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