井口資仁の年俸?評価!なぜソフトバンクホークスに戻らなかった理由は?メジャー成績!
ロッテての井口監督はなぜソフバンに戻らなかったのでしょうか。
ホークスをいかにして退団したかを考えればホークスが獲得に乗り出すとは考えられないし、井口本人も戻れるとは思ってなかったでしょう。
井口選手は1974年12月4日生まれの48歳です。内野のユーティリティプレイヤーとして活躍し、日本とMLBを渡り歩いた経歴が特徴です。
1996年のドラフト1位指名を受け、即戦力として活躍。2001年と2003年に盗塁王を獲得。2009年からロッテに移籍し、2013年には日米通算250本塁打を達成するなど、長く活躍しました。
項目 | 内容 |
---|---|
氏名 | 井口 資仁 |
生年月日 | 1974年12月4日(48歳) |
ポジション | 二塁手、遊撃手、一塁手 |
投打 | 右投右打 |
身長/体重 | 178cm/91kg |
出身地 | 東京都 |
経歴 | 国学院久我山高 – 青山学院大 – 福岡ダイエー(1997-2004) – MLBのシカゴ・ホワイトソックス(2005-2007) 等 – 千葉ロッテ(2009-2017) |
【井口資仁のダイエー 退団 理由?】ソフトバンクホークス監督
井口資仁のダイエー 退団 理由?
井口がロッテに入団した時の球団交渉役が瀬戸山球団社長と石川球団副代表でした。
この2人、実は井口がドラフトでダイエーを逆指名した時のダイエーの球団代表と担当スカウトなのです。
この時に2人と井口との間で交わされた約束が、将来のメジャー移籍でした。
井口が入団時の会見でダイエーを選んだ理由に「グローバルな感覚を持った球団だから」と言ったのはこの裏約束のことだと思われる。
その後、瀬戸山球団社長と石川球団副代表は退団しています。
ソフトバンクとメジャーへの覚書を交わしていた!ファンには裏切り行為!
井口は入団当初はソフトバンクで成績を残せませんでした。
だか活躍した頃には、色々と策にでます。政治力ですね。
メジャー移籍を諦めきれない井口は当時の球団オーナーとオーナー代行に経緯を説明し新たな約束を取り付けました。
契約更改では「オーナーの中内正の経営体制が刷新した場合、または高塚猛がオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚え書きを交わしたました。
覚書の存在など知らなかった球団とファンに対してほとんど裏切り行為でした。
ソフトバンクは居心地が悪かったんですね。
井口はメジャー帰りにソフトバンクホークスは選ばず千葉ロッテへ
この騙し打ち(球団内では誰も知らなかった約束事)のような移籍騒動があった為にメジャー帰りの井口にホークス球団が手を挙げる事はありえなかったそうです。
当時複数のメジャーチームから三塁手としてのオファーがあったが、家族の生活環境と二塁手としてのオファーを優先しロッテへの入団を決めたといいます。
ただ、裏では入団時瀬戸山球団社長に誘われたからです。
この方はダイエー時代の球団代表ですし旧知の間柄です。
かなり良い条件を提示されたのでしょう。
ソフトバンクホークスの監督は?
ソフトバンクホークスの将来の監督候補のこえもありますが、難しいところもあるのでしょうね。
井口の年俸!メジャー年俸や評価?
年俸は?
2004年には年俸2億4000万円と高額契約を結んでいます。
年度 | 年俸(万) | 差額 | 年齢 | 球団 |
2017 | 13500 | -4500 | 43歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2016 | 18000 | 0 | 42歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2015 | 18000 | 0 | 41歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2014 | 18000 | 0 | 40歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2013 | 18000 | 0 | 39歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2012 | 18000 | 0 | 38歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2011 | 18000 | 0 | 37歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2010 | 18000 | 0 | 36歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2009 | 18000 | 0 | 35歳 | 千葉ロッテマリーンズ |
2004 | 24000 | 16000 | 30歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2003 | 8000 | -2000 | 29歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2002 | 10000 | 5900 | 28歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2001 | 4100 | 100 | 27歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
2000 | 4000 | 700 | 26歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
1999 | 3300 | 1800 | 25歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
1998 | 1500 | 200 | 24歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
1997 | 1300 | 0 | 23歳 | 福岡ソフトバンクホークス |
メジャーでの年俸総額は?
井口資仁のメジャーリーグでの年俸総額は、1185万ドル(1ドル100円換算で推定11億8500万円)です。
メジャーでの最高年俸は、2008年にサンディエゴ・パドレスおよびフィラデルフィア・フィリーズ所属時に385万ドル(約4億2400万円)でした
評価は?
井口選手のメジャーリーグでの所属は以下の通りです。
優勝は?
2005年にシカゴ・ホワイトソックスでワールドシリーズ優勝を経験しています。
打って走って守れるオールラウンドプレイヤーとして高い評価を受けていました。。数字だけではなく、野球センスの高さが特徴です。
2005年から3年間メジャーリーグに挑戦しました。メジャー通算成績は振るわなかったが、日本人選手のMLB挑戦を後押ししとなりました。
2009年からロッテに移籍し、2013年には日米通算250本塁打を達成するなど、長く活躍しました。
巨人移籍金
井口監督が08年オフにメジャーから日本球界に復帰した際、巨人とロッテが獲得に乗り出しそうです。
当時を知る関係者は、
「巨人の年俸提示は4億円、ロッテのそれは2億円だった」と言う。
金銭面だけなら巨人が優勢だったが、当時のロッテ首脳は井口選手のそれまでの実績とともに、指導者の資質の高さにも着目した。
井口資仁のメジャーの評価は?優勝?移籍
メジャー評価は?
井口選手のメジャーリーグでの所属は以下の通りです。
ホワイトソックスは当時長打力頼みの豪快な野球がチームカラーでした。
そこで、就任2年目のギーエン監督は自ら「スマート・ベースボール」と名付け、小技や機動力を織り交ぜたスタイルを目指し、改革に着手しました。
井口がつなぎ役で貢献
その象徴的な存在が、井口だった。日本で常に中軸を担っていた井口は、戸惑いを覚えながらも強力打線の中で「つなぎ役」に徹しました。
粘り強く待球し、右打ちで進塁打を重ね、点を線につなげる役割を果たし続けた。地区優勝を達成後、同監督が「今年のMVPは井口」と言い切るほど、自己犠牲の精神に基づく貢献度は絶大だったのです。
評価は?
井口選手のメジャーリーグでの所属は以下の通りです。
優勝は?
2005年にシカゴ・ホワイトソックスでワールドシリーズ優勝を経験しています。
打って走って守れるオールラウンドプレイヤーとして高い評価を受けていました。。数字だけではなく、野球センスの高さが特徴です。
2005年から3年間メジャーリーグに挑戦しました。メジャー通算成績は振るわなかったが、日本人選手のMLB挑戦を後押ししとなりました。
2009年からロッテに移籍し、
まとめ:【井口資仁のダイエー退団理由?】メジャー年俸や評価・優勝・移籍?ソフトバンクホークス監督は?
いかがでしょうか。
【井口資仁のダイエー退団理由?】メジャー年俸や評価・優勝・移籍?ソフトバンクホークス監督は?についてお伝えしました。
井口のロッテての入団を調べると黒いところがありますね。
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