柳裕也選手は、小学6年生の時に父親を交通事故で亡くし、母親の薫さんと二人三脚で野球人生を歩んできました。
母親は仕事で忙しい中でも、毎日の送り迎えを欠かさず、野球用具の購入にも惜しみなく支援してくれました
。母・薫さんは、裕也という名前に「優しさを持って生きてほしい」という願いを込めて命名しました。幼少期から体格が良く、運動会では負けず嫌いな一面を見せながらも、母親の願い通り優しい心を持ち続けた少年でした。
高校時代、地元宮崎から横浜高校に進学した際も、母親は県大会からほぼ毎試合、宮崎から神奈川まで応援に駆けつけ、息子を支え続けました。
柳選手は母への感謝の気持ちを込めて、グラブに「母への恩返し」と刻み、プロ野球選手になることを誓いました
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 柳 裕也 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1994年4月22日 |
年齢 | 30歳(2024年11月現在) |
出身地 | 宮崎県都城市 |
血液型 | 不明 |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
所属チーム | 中日ドラゴンズ |
背番号 | 17 |
ドラフト | 2016年ドラフト1位 |
初出場 | 2017年5月23日 |
年俸 | 1億4800万円(2024年) |
出身高校 | 横浜高校 |
出身大学 | 明治大学 |
通算成績 | 83試合登板、25勝23敗、3完封、2セーブ、519回2/3、494奪三振、防御率3.51 |
柳裕也の父親は柳博美や交通事故を調査
柳裕也の父親は柳博美
柳裕也選手の父親の名前は柳博美さん。
柳裕也選手が小学校3年生で野球を始めたとき、野球未経験でも入門書片手に野球を教えてあげた優しい父親です。
仕事が終わると毎日一緒に練習を繰り返してきたそう。
そして素振り用のバットを手作りしてくれたそうですよ。
父は柳博美は野球経験がないのに野球を教えてくれた
練習場への送り迎えだけでなく、野球経験がないのに、入門書を片手に、柳に野球の基礎を教えたそうです。
ある日、試合で打たれて泣いて帰ってきた柳に、博美さんはこう言いました。
「お父さんだってなぁ、悔しいことはいっぱいある。でもな、裕也、男の子はどんなにつらくても、泣いちゃダメだ! お母さんが心配するだろ! 約束だぞ!」
柳裕也選手の父親、柳博美さんは交通事故で無くなる
柳裕也選手の父親、柳博美さんは2006年8月20日に交通事故で亡くなりました。
柳選手は当時小学6年生であり、父親の葬儀では喪主を務めました。
彼は葬儀の際に「お父さん。僕、プロ野球選手になって家族を守る」と誓ったことが知られています。この言葉は彼の人生において大きな意味を持ち、以降の彼の野球キャリアに影響を与えました
以来、つらいことがあっても泣かないと誓った柳。しかし、小学6年生のとき、その博美さんが交通事故に遭い、急逝してしまいます。
告別式で、ショックで打ちひしがれる喪主のお母さんに代わって挨拶したのが、柳でした。
「お父さん、ぼく、プロ野球選手になってお母さんと妹を守ります。だから安心してください!」
と、泣かずに挨拶した
「ウイニングボールは、お父さんの仏壇に置こうと思っています」
2024年には愛知県警察交通安全大使に就任し、自身の経験を活かして交通安全を呼びかける活動も行っています。
と語り、自身が経験した悲しみを少しでも減らすために努力しています
小学6年時に父を交通事故愛知県警交通安全大使」に就任(西スポ)
柳裕也の母親は柳薫!お母さんありがとうや妹を調査
柳裕也の母親は柳薫!
柳裕也投手は小学校6年生の時から母・薫さんのもと女手一つで育ちます。
女手一つで柳裕也投手を中学、高校、大学へと進学させた母・薫さんの息子への想いは本当に強かったんだと思います。
柳裕也選手は地元の中学校に進学し、学校の野球部ではなくシニアリーグのチーム「都城リトルシニア」に所属。
その後、中学校を卒業すると地元宮崎を離れ、憧れの松坂大輔選手の母校でもある野球名門校、横浜高校へと進学します。
お母さんありがとうで特番
母親が女手一つで育ててきたということで番組で紹介されていました。小6の時に交通事故で世を去った父博美さんにささげるプロ初勝利を挙げていました。
次は、たくましく育ててくれた薫さんへの恩返しの番。今も日々の連絡は欠かさない、カーネーションも贈った。そして何より白星。最高のタイミングを待っていた。
高校野球の第93回全国選手権大会で、神奈川代表の横浜高は3回戦敗退。3年ぶりのベスト8進出はならなかった。神奈川大会からチームを支え、2年生ながら名門の大黒柱となった柳裕也投手の母・薫さん(41)は、三塁側応援席で声をからした。
柳裕也の妹は?
妹は可愛いと評判でした。
まとめ:柳裕也のお母さんありがとう?父親を母親や妹を調査
柳裕也選手は小学6年生の時に父親を交通事故で亡くし、母親の薫さんと妹の幸奈さんと共に歩んできました。父との「男は泣かない」という約束を守り、12歳で喪主を務め、「プロ野球選手になってお母さんと幸奈を守ります」と誓いました1。母・薫さんは仕事をしながらも野球用具の購入や送り迎えを欠かさず支援し、息子の夢を支え続けました
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