立浪和義監督の年俸!通算成績!タイトル!守備のすごさは3つのポジションでゴールデングラブ
印象に残っとるんは、
立浪和義選手は二塁手、三塁手、遊撃手の3つのポジションでゴールデングラブを取ってます
出身地 大阪府
生年月日 1969年8月19日
身長 173 cm
体重 70 kg
投球・打撃 右投左打
守備位置 二塁手、三塁手、遊撃手、外野手
プロ入り 1987年ドラフト1位
通算成績!生涯でのミスター二塁打と本塁打と長打力
通算本塁打は171本。
これは日本プロ野球界の通算安打数ベストテンに入る選手の中では最少であると共に、その中で200本塁打に到達していないのは立浪のみである。
また、シーズン20本塁打を達成したこともないのです。
このように決して長距離打者とは言えない(最後に本塁打を放った2009年4月24日の試合後にも、日刊スポーツのインタビューに対し「ボクはホームラン打者じゃない」と語っていた)が、プロ1年目から最終年まで本塁打のなかったシーズンは一度もない。
ミスター二塁打
プロ初安打もプロ最終安打も二塁打であることから、「ミスター二塁打」の異名もあり[62]、立浪本人も「ツーベースに縁があった」と振り返っている。
プロ野球最多記録で、当分破られそうもない「487二塁打」は天才打者の証しといえます。
広い本拠のドームでは、二塁打こそ「野球の華」とも言える。
本拠での現役最後の打席が二塁打だった事実は象徴的である。
1988年~2009年まで .285 171本 1037打点 135盗塁 91盗塁死 出塁率.366
年度 | 試合 | 打率 | 二塁打 | 本塁打 | 打点 | |
88 | 110 | .223 | 15 | 4 | 18 | |
89 | 30 | .235 | 6 | 2 | ||
90 | 128 | .303 | 33 | 11 | 45 | |
91 | 131 | .290 | 35 | 10 | 45 | |
92 | 98 | .301 | 16 | 5 | 42 | |
93 | 128 | .286 | 18 | 16 | ||
94 | 129 | .274 | 27 | 10 | 53 | |
95 | 126 | .301 | 25 | 11 | 53 | |
96 | 130 | .323 | 39 | 10 | 62 | |
97 | 133 | .269 | 24 | 14 | 55 | |
98 | 134 | .272 | 24 | 8 | 43 | |
99 | 123 | .266 | 32 | 4 | 53 | |
00 | 126 | .303 | 30 | 9 | ||
01 | 139 | .292 | 30 | 9 | 65 | |
02 | 137 | .302 | 34 | 16 | 92 | |
03 | 135 | .280 | 28 | 13 | 80 | |
04 | 134 | .308 | 25 | 5 | 70 | |
05 | 138 | .253 | 25 | 9 | 56 | |
06 | 113 | .263 | 10 | 1 | ||
07 | 101 | .275 | 2 | 2 | 31 | |
08 | 86 | .205 | 4 | 1 | 10 | |
09 | 77 | .318 | 5 | 1 | 17 | |
通算 | 2586 | .285 | 487 | 171 | 1037 |
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生涯の年俸の総額!年収!
年俸は総額約28億5,380万円です。
年度別年俸 | |||
---|---|---|---|
年度 | 金額 | ||
1988 | 400万円 | ||
1989 | 960万円 | ||
1990 | 840万円 | ||
1991 | 2800万円 | ||
1992 | 5000万円 | ||
1993 | 6800万円 | ||
1994 | 9500万円 | ||
1995 | 1.2億円 | ||
1996 | 1.5億円 | ||
1997 | 1.5億円 | ||
1998 | 1.5億円 | ||
1999 | 1.5億円 | ||
2000 | 1.5億円 | ||
2001 | 1.9億円 | ||
2002 | 1.9億円 | ||
2003 | 2.5億円 | ||
2004 | 2.5億円 | ||
2005 | 2.5億円 |
タイトル?
- ・1988年新人王
- ・ベストナイン:2回
- ・ゴールデングラブ賞:5回
- ・月間MVP:3回
- ・全農Go・Go賞:1回
守備は?守備位置は?すごさは3つのポジションでゴールデングラブ
日本高校野球史上、 ショートとしては歴代最高の選手です。
高校時代に、プロの守備を見て「下手やなぁ」と言ったと片岡が証言してます。
その守備範囲の広さから、 強肩、俊足、知能の高さ。 およそ、ショートとしての、すべての才能を、 高い次元で持っていた素晴らしい選手でした。
プロ入り以降遊撃手→二塁手→左翼手→二塁手→三塁手→左翼手→三塁手とメインの守備位置を変えつつあるなど、ユーティリティープレイヤーでもあった。
立浪和義選手は二塁手、三塁手、遊撃手の3つのポジションでゴールデングラブを取ってます。立浪が史上初で、その後、出た記憶はありません。
なぜ守備は固定されなかった?
最初は遊撃手でしたが右腕の故障で早期に遠投の少ない二塁手に回りました。
三塁手に回ったのは荒木に追い落とされたに近いかもしれません。山﨑の不振でゴメスが一塁に回ったついでとも言えます。
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まとめ
ミスタードラゴンズのレジェンドなわけです。
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