髙橋 宏斗(たかはし ひろと、2002年8月9日 – )は、愛知県尾張旭市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。
2021年は開幕を二軍で迎え、3月27日のウエスタン・リーグ対阪神タイガース戦で公式戦デビューを果たした。しかし2/3回を4安打3失点と打ち込まれ、予定されていた1回を投げきれず降板しています。
最終的に二軍で14試合に登板し34.2回を投げて防御率7.01、0勝5敗、23奪三振の成績を残した。オフに200万円減の1400万円で契約更改となりました。
その高橋宏斗の彼女!兄や家族構成!父と母!慶応大学!ドラフトの評価にちてお伝えします。
出身地 愛知県尾張旭市
生年月日 2002年8月9日(19歳)
身長 185 cm
体重 85 kg
高橋宏斗(たかはし ひろと)の彼女はいる?
ドラフト会議2020で大注目の高橋宏斗選手。
全国的に有名なのでファンは多数いると思いますが、調査したところ高橋宏斗選手の彼女についての有益な情報はまだ出ていませんでした。
高橋宏斗投手の彼女について調べてみましたが、情報が見つかりませんでした。
しかし、高橋投手に彼女がいないはずがないと思います。
高橋投手のTwitterに記載のインスタグラムのアカウントが既に削除されているこ
と、Twitterのつぶやきや返信が削除されていることからです。
何かしら過去に公にはしたくないことが書かれていた可能性もありますし、探られ
たくないことがあるのかもしれません。
それに高橋投手には女性ファンも多いでしょうし、高校の女子も放っておかないですよね。
高橋宏斗の家族構成や両親や父と母について!
高橋宏斗の家族構成
高橋宏斗の家族構成の4人家族です。
お父さん名前は秀夫さん(52歳)
お母さんの名前は尚美さん(54歳)
お兄さんの伶介さん(24歳)
高橋宏斗の父は?
愛知県尾張旭市出身です。
お父さんの秀夫さんは、野球を続ける息子2人をサポートを一生懸命されたそうです。
グラウンドへの送り迎えをはじめ、休みの日には練習を手伝ったり、
東京の試合でも愛知県から駆け付けるほどでした。
秀夫さんも野球をしていたそうで、大学時代はキャッチャー経験者らしく、
その年の世代№1投手とも言われる宏斗投手の変化球や150㌔の速球もバンバンとれる腕前とのこと(゚Д゚;)
高橋宏斗の母は?
食事面で野球を頑張る息子2人をサポートしてくれたそうです。
勉強や生活態度にも厳しく接し、兄の伶介さんが慶応に進学できたのも
尚美さんのおかげだったと言っています。
やっぱり両親のサポートは子供にとってとても重要なことですよね(~_~)
ご両親も、自分のこどもが一つの事に頑張ってる姿は、
親にとってはかけがえのないものと感じていらっしゃったのではないでしょうか(^^)/
お互いにその存在に感謝しないといけないですよね
高橋宏斗の兄は慶応大学?豊田シニアのエースで慶応義塾大学
高橋宏斗投手は5歳上のお兄さんの伶介さんの影響で、小学2年生から野球を始めています。
正確には、高橋宏斗投手は4歳の時から野球に親しんでいました。
お兄さんの付き添いで家族と共に、高橋宏斗投手は2歳の頃には野球場に通っていました。
家の中では、新聞紙をセロハンテープで丸め、兄が投げたボールを、プラスチックバットで力いっぱいかっ飛ばすから、部屋の電球を割る等もしばしばあったそうです
そして、
兄・伶介さんと同じように野球の道を辿っていきます。
小学生時は三郷(さんごう)ファイターズ、
中学時は地元の強豪・豊田シニアへ進みます。
兄に憧れて始めた野球
幼少の頃からお兄ちゃんと呼ばず、『伶介』と呼び捨てにされながらも、決して怒ることのない優しい伶介さん。
その当時から、速い球を投げたり、力強い打撃をする、自分では出来ない事が出来てしまう兄・伶介さんは
高橋宏斗投手にとって、憧れであり、目標のお兄さんだったそうです
豊田シニアのエース
高橋宏斗投手が小学4年生の時、伶介さんが豊田シニアのエースとして、リトルシニアの全国大会で優勝という快挙を成し遂げます
オマケに最優秀選手(大会MVP)と投手でベストナインのダブル受賞というから、今大会一番の大活躍だったというのが分かりますよね(^ω^)
テレビでしか観たことがなかった神宮球場で、堂々と投げる、兄・伶介さんの姿にとても感動した高橋宏斗投手は、いつか自分もここで投げて、兄を越えてみせると決心し、野球の練習の励みにしたそうです
慶慶応義塾大学
その後、学業も優秀だった伶介さんは、慶応義塾高校から慶応義塾大学へと進学しています。
高橋宏斗のドラフトの評価は?中京大中京高校時代!慶応
中京大中京時代
中京大中京では1年時夏(県ベスト8)からベンチ入りしました。愛知大会準々・至学館戦に救援として登板し、満塁ピンチを凌いで1回0封の夏デビューを飾りました。
同秋の東海大会全3戦で救援を務め、最速146㌔(計7回7K5失点)をマーク。準々決・菰野戦で3.1回0封の好救援を演じ、4対3サヨナラ勝ちでのベスト4進出に貢献しました。
2年生の春から主戦を担うも夏の県大会は誉に6.1回5失点で敗れ4強で敗退。プロ注目・上田と対戦した準々決・愛産三河戦で最速147㌔&9回初完封を記録している。
慶応にいきたかった
慶大志望ながらプロからも注目され、2年生の秋に神宮初V(愛知1位)を達成します。県大会中に行ったフォーム修正で球威を増し、計75回で72三振、防1.68の好成績を残します。
東邦、名電、明徳を完封で破るなど、登板12試合(先8)で8完投5完封を記録します。
神宮初戦・明徳戦で150㌔(プロ計測)を出し、敵将・馬淵監督から直球の力を絶賛された。
その後、慶應義塾のAO入試に挑むも、ドラフト前の10月初めに不合格が判明。もう一つの希望であったプロ入りへと進路を変え、憧れの球団である中日から1位指名を受けました。
まとめ:中山礼都との関係がきになる
高校時代は中山礼都とチームメイトでした。ライバル関係になりそうですね。
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