こんにちは、yoshiloverです。
横浜高を経て、94年のドラフト4位で巨人へ入団。松井秀喜、高橋由伸、清水隆行と自分と同じ左打ちの強打者が居並ぶ当時の巨人においても、将来を嘱望された選手でした。
斉藤宜之の現在はヤクルトスカウト?
斉藤宜之の現在の情報は少ない
斉藤宜之氏は現在、公の場での活動が確認はあまりできます。引退後の詳細は少ないです。
提供された検索結果には、斉藤宜之氏の現在の活動や状況に関する具体的な情報が含まれていないためです。最新の情報は2009年の現役引退時点までとなっています。
斉藤宜之氏の経歴を振り返ると、1976年6月10日生まれで、プロ野球選手として読売ジャイアンツ(1995年〜2007年)と東京ヤクルトスワローズ(2008年〜2009年)でプレーしました。
外野手や内野手として活躍し、2009年に現役を引退しています。
現在はスカウトとコーチとして東京ヤクルトスワローズで活動
斉藤宜之氏は引退後、スカウトとコーチとして東京ヤクルトスワローズで活動を続けています。引退後の経歴を見ると、スカウトとコーチの職を交互に務めており、球団への貢献を継続していることがわかります。
- 2009年から2014年までスカウトとして活動し、小川泰弘、杉浦稔大、西浦直亨などの選手を担当しました。
- 2015年から2016年まで二軍打撃コーチを務めました。
- 2017年からは再びスカウトに復帰しています。
したがって、斉藤宜之氏は現役引退後も野球界に携わり続け、若手選手の発掘や育成に尽力しています。スカウトとコーチの経験を活かし、東京ヤクルトスワローズの戦力強化に貢献していると言えます。
スカウトに転身後は、目星をつけた選手の試合での様子だけでなく、練習態度も見ているようです。
故障に苦しんだ時期は気分の浮き沈みが激しくなり、練習にムラが出ていたことから「才能だけに頼らず、壁にぶつかった時に乗り越える力があるか。練習を怠らず、どんな状況でもいつも通りのプレーできるか」を重要視がコーチのスタイルのようです。
斉藤宜之の現役時代の成績は天才?巨人時代やヤクルト時代
現役時代の天才で巨人のイチロー
現役時代はセンス抜群と評された高い打撃力と俊足で「巨人のイチロー」の異名がありました。
巨人OBの青田昇は生前「巨人の将来4番を打つのは松井ではなく、斉藤かもしれん」と発言するほどでした。ただ、故障に悩まされ、レギュラー定着とはならなかったのです。
巨人時代
チームに怪我人が相次いだこともあり、シーズン後半はなんと5番ファーストに定着。200打席超で打率3割を記録。ファーストと外野を兼任します。成績は、打率.310(239-74) 本塁打5 打点37でした。
日本シリーズでは日本一を決めた第4戦で本塁打を含む3安打の活躍が評価されたが、第2戦で3安打をマークしていた松井秀喜の打率を上回っていた為に、優秀選手賞までした。
松井秀喜の抜けた外野をカバーし、故障した高橋由伸や不調の清水隆行に代わり外野の穴に収まりかける。また、この頃から三塁手としても出場するようになる。
そのあとはそこまでの成績を残すことができず、「気分の浮き沈みも激しかった。気持ちを持続できず、練習にムラも出てしまったんです」があったそうですね。
2007年に東京都内で横断歩道を横断中、タクシーに接触され腰部と右膝関節の打撲を負ってしまう。シーズンでは1軍に呼ばれることはなく、2軍でも若手が優先起用され出場機会が激減し、戦力外通告を受けてしまいました。
そのあとはヤクルトスワローズに移り、現役を引退しました。
ヤクルト時代には
2007年に戦力外を受け、トライアウトに参加、直後にヤクルトからのオファーを受け入団。2008、2009年といい結果を残せず2度目の戦力外、同年に引退します。
まとめ:【巨人】斉藤宜之の現在は?現役時代の成績は天才?ヤクルトスカウト
史上最強といわれる2002年のなかで、一時期はレギュラーをはり、高橋松井清原のスター選手軍団のなかでも活躍する姿には地味ながら魅力を感じたものです。
現在はスカウトとして、活躍をしていますが、自分の経験をいかせる仕事についており、やりがいがあるのではないでしょうか。
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