廣田 浩章(ひろた ひろあき、1964年2月26日 – )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手(投手)。旧登録名は広田 浩章。2021年より九州アジアリーグの大分B-リングスで指導者(2021年は初代監督)を務める。
昔の巨人は斎藤雅樹・桑田真澄・槇原などの3本柱がすごく、完投型のピッチャーばかりでしたが、そんななか鹿取が抑えてして奮闘していました。
その鹿取から抑えのポジションを奪った広田浩章を覚えていますか
出身地 山口県萩市
生年月日 1964年2月26日(58歳)
身長
体重 175 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト2位
初出場 1987年6月6日
最終出場 2000年8月25日
[ad2]
廣田 浩章のプロフィールは
出身地 山口県萩市
生年月日 1964年2月26日
身長175 cm
体重 89 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト2位
廣田 浩章の経歴は?
山口県立萩商業高等学校
NTT中国
読売ジャイアンツ (1986 – 1994)
福岡ダイエーホークス (1995 – 1996)
ヤクルトスワローズ (1997 – 1999)
大阪近鉄バファローズ (2000)
[ad2]
広田浩章の現在?引退後?
引退後はダイエー(2005年よりソフトバンク)で打撃投手(2001年 – 2011年)・スコアラー(2012年 – 2020年)を務めました。
2020年12月1日、2021年より発足する九州アジアリーグに加入する大分B-リングスの監督に就任することが発表されました。
1シーズン務め、シーズン終了後の10月21日に2022年シーズンはGM兼投手コーチに変更となることが発表された
[ad2]
巨人・ヤクルトでの活躍・成績は
巨人での活躍・成績
1985年に読売ジャイアンツから2位指名を受けて入団します。
2年目から中継ぎとして起用され、同年は30試合に登板。150km/h近い快速球を投げるのにもかかわらずコントロールも良いということまり、なんと鹿取義隆に代わって抑えで活躍もしました。
ヤクルトでの活躍・成績?
1997年、野村克也監督の再生工場の元、中継ぎとして復活し、リーグ優勝に貢献したのです。
投法もそれまでの担ぐようなオーバースローからサイドスロー気味のスリークォーターに変え、野村から指摘され、シュートが活躍のきっかけになりました。
1998年も52試合に登板して、前年を上回る防御率2.56を記録します。
前年の抑え・伊藤智仁の先発復帰、抑えの高津臣吾の不調により、抑え投手としても起用されるようにもなりました。
ただ、1999年オフ、結果は残したもののチームの若返りのため三度目の戦力外通告を受けたてしまいます。近鉄のテストに合格し、入団したがヤクルト時代のような活躍はできず翌2000年オフに4度目の戦力外通告を受け現役を引退しました。
[ad2]
広田浩章の投球フォームや球種・球速は?
投球フォーム・・・右オーバースロー「ノーワインド・アップ」
球種・・・ストレートのMAXは140キロ程度。カーブ、スライダー、ナックル、決め球はシンカー
まとめ
速球も早くコントロールの良いピッチャーで故障さえしなければジャイアンツでもっと活躍できたのでしょうね。成績はよかったのですが、何となく地味でもありました。
[ad2]
コメント