こんにちは、ヨシラバーです。
阪神の井川慶と能見って同じ歳なんですよね。能見はまだ阪神でなんとか開幕ローテーションで頑張っていますが、阪神が2000年代に優勝したのは、井川慶がいたからだと思っています。
早熟だったのですが、松坂大輔とともにメジャーに挑戦したのが大きな話題となりましたが、活躍ができませんでした。
なぜなのでしょうか。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 井川慶 |
生年月日 | 1979年7月13日(44歳) |
出身地 | 茨城県東茨城郡大洗町 |
身長/体重 | 186cm / 93kg |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト2位 |
初出場 | NPB / 1999年5月2日, MLB / 2007年4月7日 |
【井川慶はなぜメジャーで失敗?】なぜ通用しない?
メジャーで井川のピッチングは変わった?ブルペンキャッチャーが驚き
ブルペンキャッチャーは、井川がまともな投球が全くできていないことに驚いたそうです。
「受けた25球中ストライクは3球だけ。決め球と聞いていたチェンジアップ、それにカーブやスライダーも大リーグレベルとは程遠い。とにかくコントロールが悪すぎる。どこか怪我でもしてるんじゃないか?」と思ったそうです。
チェンジアップで投球を悪くした
日本にいた05、06年からチェンジアップが良くありませんでした。
そのままアメリカに来ても、やはりまともには使えないままでした。
チェンジアップの浮き球は日本人はけっこうミスしてくれるんだけど、メジャーの選手には良い確率でホームランに持っていかれてしまったのです。
井川はチェンジアップを下記のように
”チェンジアップは阪神の最後のころから切れが悪くなっていた。ヤンキースに来ても改善せず、すこしでも球が浮くと簡単に芯に当てられた。カーブは曲がりが大きすぎて打者に簡単に見逃された。
井川 慶のコミュニケーション下手
井川投手の不振については、マイナー時代のコミニュケーション不足も大きな原因とはなしています。
ヤンキースのチームメイトと映っている写真は1枚はりませんし、会話は常に通訳に頼りっきりで英語を覚えようという気もなかったようです。
また、マイナー生活で英語を話さないのは致命的で、それでいてサラリーは他のマイナー選手の100倍以上もらっているとあっては、自分から積極的に若い選手となじむ努力もなかったのでしょう。
ファンの声は?
結構厳しい声が多いですね。阪神ファンもそんなにメジャーに行きたいのであれば、早くいってしまえと冷たい声が多かったと思います。たしかに2002年のころにメジャーに行っていれば活躍していたかもしれませんが、結果論となってしまいますね。。。
人の話を聞かない奴が成功できるほどメジャーは甘くない
急速がメジャーにしては遅めでチェンジアップが生きなかったから
日本でもすでにピーク過ぎてたからなぁ
日本に戻っても通用しなかったんだから、単に劣化だろ
メジャー行く前も、日本でそこそこ打たれ始めてたし井川のピークは2002年やし
超早熟やったわ
年々劣化してたわ2002年の井川なら通用してたと思う
まとめ:【井川慶はなぜメジャーで失敗?】なぜ通用しない?
シーズン 井川投手は特に変化球でいわゆる「イップス(原因不明のノーコン病)」にかかったのではないでしょうか。とにかく制球力がわるかったです。
ただ、今の井川は、「アメリカ野球をメジャーだけでなくマイナーまで知ることができたのは大きかった」とポジティブに語っています。
まだ現役ではありますが、普段感じることが出来ない経験をすることは、とても重要だと思いますね。
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