吉川尚輝選手は当初、亜細亜大学の野球部に入部する予定でした。しかし、入学前に参加した同大学の野球部の練習に合わず、結局入部を取りやめたようです。
吉川選手は高校卒業後、最初は亜細亜大学に進学する予定だった。しかし、入学前に参加した亜細亜大学野球部の練習が合わず、入部を取りやめたそうです。
その結果、地元の中京学院大学に進学し、野球部に入部することになった。中京学院大学では1年春からリーグ戦に出場し、4年次には全日本大学野球選手権大会で優勝するなど活躍した。
吉川尚輝選手は最初は亜細亜大学の野球部入部を考えていたが、練習に合わず入部を断念し、別の大学に進学したことがわかります。
項目 | 内容 |
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名前 | 吉川 尚輝 (よしかわ なおき) |
生年月日 | 1995年2月8日 (29歳) |
出身地 | 岐阜県羽島市 |
身長/体重 | 177cm / 78kg |
投球/打席 | 右投げ左打ち |
ポジション | 二塁手、遊撃手 |
プロ入り | 2016年 ドラフト1位 |
経歴 | 中京学院大学 -> 読売ジャイアンツ (2017年~) |
背番号 | 2 |
吉川尚輝は亜細亜大学の野球部に入部してなんとすぐに退団!
吉川尚輝の亜細亜大学はきついそく退部
亜大に進学が決まり、高校3年の2月には沖縄キャンプに参加します。
だが、厳しい練習に戸惑いを隠せず、母・陽子さんに電話しました。 「飛行機のチケットを予約した。お金がないから、振り込んで」。
上京した両親に連れられ、岐阜に帰省。 心は白球から離れた。憔悴(しょうすい)していた末っ子の尚輝に両親の言葉が優しく響いた。
「尚輝は野球をやっているときが一番生き生きしている。輝ける場所があるのは、いいことだよ」
高校卒業時に入部するもすぐ亜細亜大学を退部して、その後中京学院大学へ進学します。
亜細亜大学の練習は相当厳しいそうです。
巨人に入団後、吉川選手も亜細亜大学の練習の厳しさについていけなかったと話しています。
元阪神の赤星は亜細亜大学の練習は戻りたくないと話す
元阪神の赤星は下記のように語っています。相当、練習が厳しいんでしょうね。
「何億積まれても大学時代には戻りたくない」
「あそこに入って初日から最後の日まで良かったと思った事は一度もない」
「あんな所だと最初からわかっていたら絶対入学しなかった」
「野球部のグラウンドの最寄り駅を降りると悲鳴が聞こえる」
亜細亜大学の練習とは?
グラウンドで嘔吐は日常茶飯事で、片付けたら練習再開。寮に戻れば厳しいおきての数々だ。1年生は同部屋の上級生が戻る際、正座で出迎え直ちに靴をそろえなければならない。「ドアが開いてから動いたんじゃダメ。だからずっと正座で待ってないと」
寮の外でも気が休まることはない。「1、2年はジーパン禁止。ジャンパーは腰上までで、ケツが隠れるのはダメ。電車で座るのも禁止だったが、ある日、前後の車両に先輩がいないのを確認して『よっしゃー』と座ったら、先輩が踏切に立って見張ってたんだよ! マジで怖かった。電車を降りてから寮に電話して、先にみんなに『すまん』と謝った」
失態を冒せば同級生の連帯責任。「暗幕の張られた真っ暗な部屋で正座。で、順番に…。だんだん悲鳴が近づいてくる恐怖たるや…」
まとめ:吉川尚輝は亜細亜大学の野球部に入部してなんとすぐに退団を調査
逃げるは恥だが役に立つではないですが、吉川は結果として巨人のドラフト一位に指名されるほど、注目を浴びたのです。今の世の中、精神論で活躍するとは限らないのですね。
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