日韓の野球ファンから愛され続ける「アジアの大砲」、それが**イスンヨプ(李承燁)**さんです。
現役時代は千葉ロッテマリーンズ、読売ジャイアンツ、オリックス・バファローズでその美しい放物線を描き、私たちを熱狂させてくれました。韓国では「国民的打者」として英雄視されていますが、日本でも彼を悪く言う人はほとんどいません。
それどころか、インターネット上やファンの間では**「ぐう聖(ぐうの音も出ないほどの聖人)」**と呼ばれるほど、その人格が絶賛されていることをご存知でしょうか。
そんな彼の輝かしいキャリアを陰ながら、しかし強力に支え続けたのが、妻であるイ・ソンジョン(李松正)さんと、ウンヒョク、ウンジュン、ガンユという3人の愛息子たちです。 今回は、私が徹底的にリサーチしたイスンヨプさんの美しすぎる奥様とのまるでドラマのような馴れ初めから、3人の息子さんたちとの心温まるエピソード、そして彼が**「聖人」と呼ばれる決定的な理由**まで、具体的な名前と共に余すところなく深掘りしてご紹介します。
イスンヨプ(李承燁)の嫁・奥さんは元ミスコリアのイ・ソンジョン(李松正)!
イスンヨプさんの奥様のお名前は、**イ・ソンジョン(李松正/Lee Song-jung)**さんといいます。 彼女は単に「有名な野球選手の妻」という枠には収まりきらない、圧倒的な美貌と物語を持った女性です。まずは、多くの人々を魅了した二人の出会いから紐解いていきましょう。
ドラマのような出会い:アンドレ・キムのファッションショー
二人の出会いは1999年、まさに韓流ドラマのワンシーンのようなシチュエーションでした。
舞台となったのは、韓国ファッション界の巨匠として知られる故アンドレ・キム氏のファッションショーです。アンドレ・キム氏のショーといえば、トップスターたちが幻想的な衣装を身にまとい、優雅な物語を表現することで有名です。
当時、23歳ですでに韓国プロ野球(KBO)のスーパースターだったイスンヨプさんと、当時まだ高校3年生だったイ・ソンジョンさんが、メインモデルとしてランウェイで共演することになったのです。
ソンジョンさんは1982年生まれ。当時からその美しさは際立っており、ミスコリア大会に出場するほどの美貌を誇っていました。純白のウェディングドレス風の衣装を身にまとった彼女を見た瞬間、イスンヨプさんは恋に落ちたといいます。
「初めて会った時、あまりの美しさに言葉を失いました」
後に彼がそう語るほど、そのインパクトは強烈でした。彼はすぐに彼女の連絡先を聞き出し、猛アタックを開始したのです。ファッションショーという非日常的な空間での出会いが、その後の国民的カップルの誕生につながったという事実は、彼らのロマンスに特別な輝きを与えています。
20歳での結婚決断と反対を押し切った愛
当時、ソンジョンさんはモデルとしてのキャリアを歩み始めたばかりで、女優としての将来も嘱望されていました。また、彼女は中央大学に進学したばかりの女子大生でもありました。
周囲、特にソンジョンさんのご両親からは「まだ若すぎる」「芸能活動や学業はどうするのか」と結婚に反対する声も上がったそうです。確かに、これからの可能性に満ちた娘を、早くに家庭に入れてしまうことへの親としての心配は想像に難くありません。
しかし、イスンヨプさんの熱意と、何よりソンジョンさん自身の彼への深い愛情がその壁を乗り越えました。 決め手となったのは、イスンヨプさんのこの言葉だったと言われています。
「結婚したら、一緒にアメリカ(メジャーリーグ)へ行こう」
当時、メジャー挑戦を夢見ていた彼と共に海外で暮らすという夢がありました。
結局、行先はアメリカではなく日本となりましたが、「この人と共に歩みたい」という彼女の決意は揺るぎませんでした。 こうして2002年1月、ソンジョンさんは**わずか20歳(満19歳)**という若さで、国民的英雄の妻となる道を選んだのです。
中央日報:李承燁の妻イ・ソンジョン「夫が好きで結婚、後悔はない」
異国の地・日本での苦悩と内助の功
結婚直後の2004年、イスンヨプさんは千葉ロッテマリーンズに入団し、日本での生活をスタートさせます。 まだ20代前半だったソンジョンさんにとって、言葉も通じない異国での生活、そして夫が背負う「韓国の英雄」としての重圧は、並大抵のものではありませんでした。
特に読売ジャイアンツ時代(2006年〜2010年)、第70代4番打者として期待されたイスンヨプさんがスランプに陥った時、彼女はスタンドで手を組み、祈るように試合を見つめていました。
その姿は日本のテレビ中継でも度々映し出され、「あまりにも健気で美しい」「まさに内助の功だ」と、日本のファンの心をも掴みました。
彼女はメディアに対して多くを語りませんが、夫が不振で苦しんでいる時こそ、家庭内では明るく振る舞い、美味しい韓国料理を作って精神的な支えになり続けました。彼女の存在なくして、日本通算159本塁打という記録は生まれなかったと私は確信しています。
韓国メディアも彼女を「内助の女王」と称賛しており、引退試合で夫に花束を渡す際に見せた涙や、「明日も主人が野球場に出勤しそうな気がする」と語った寂しげな笑顔からは、長年野球一筋だった夫へのねぎらいと労いの気持ちが伝わってきました。
「夫としては80点」愛ある夫婦のエピソード
そんな完璧に見える夫婦ですが、家庭内でのイスンヨプさんはどのような顔を見せているのでしょうか。 以前、韓国のトーク番組に出演した際、ソンジョンさんはユーモアたっぷりにこう語っています。
「野球選手としても父親としても100点満点です。でも、夫としては80点ですね」
これは決して不満ではなく、「野球にストイックすぎて、たまに家庭のことがおろそかになる」という、愛情のこもったジョークです。 また、「来世でもイスンヨプと結婚しますか?」という質問には、笑いながら「いいえ、次は別の男性とも付き合ってみたいです(笑)」と答えるなど、若くして結婚した彼女らしいお茶目な一面も見せています。
こうした飾らない人柄も、彼女が長年愛され続ける理由の一つでしょう。
イスンヨプの子供は息子3人!名前はウンヒョク・ウンジュン・ガンユで娘はいない?
「イスンヨプさんに娘さんはいるの?」という疑問を持つ方も多いようですが、私が調査したところ、お二人の間にお子さんは3人いらっしゃいますが、全員男の子です。 長男ウンヒョク、次男ウンジュン、三男ガンユと名付けられた息子たちは、それぞれがイスンヨプさんのキャリアの節目に成長しており、家族の歴史そのものと言えます。
長男:イ・ウンヒョク(李恩赫)君は父を尊敬する好青年
長男の**イ・ウンヒョク(李恩赫)**君は、イスンヨプさんが千葉ロッテで日本一に輝いた2005年頃に誕生しました。 幼少期を日本で過ごしたため、日本語にも触れる環境で育ちました。
2017年に行われたイスンヨプさんの引退試合では、当時中学生だった彼が始球式に登場しました。父・承燁がキャッチャーミットを構え、息子が投げるという感動的なシーンが実現しました。 その後のインタビューでウンヒョク君はこう語っています。
「お父さんがホームランを打てば僕も嬉しい。打てない日でも、やっぱり自慢のお父さんです」
偉大な父を持つプレッシャーに潰されることなく、純粋に父をリスペクトする素晴らしい青年に育っていることがわかります。彼は専門的なプロ野球選手の道へは進まず、学業に励んでいるようですが、父から受け継いだ体格と運動神経は確かなもののようです。
次男:イ・ウンジュン(李恩俊)君と野球の関係
次男の**イ・ウンジュン(李恩俊)**君は、2011年生まれです。ちょうどイスンヨプさんがオリックス・バファローズに在籍していた時期に誕生しました。 彼もまた、兄と共に父の引退セレモニーに参加しています。長男とは6歳の年齢差があり、現在は中学生〜高校生の多感な時期を迎えているはずです。 イスンヨプさんは子供たちに野球を強制することはありませんでしたが、キャッチボールをする姿などは目撃されており、野球というスポーツを通じて親子の絆を深めてきたことは間違いありません。
三男:イ・ガンユ(李強兪)君は引退後の「晩生(ヌッドゥンイ)」
そして驚くべきは、三男の存在です。 2021年1月4日、イスンヨプさんが45歳の時に三男・イ・ガンユ(李強兪)君が誕生しました。 長男とは実に16歳差、次男とも10歳差という、いわゆる**「晩生(ヌッドゥンイ)」**です。韓国では、年を取ってから生まれた子供は「目に入れても痛くない」ほど可愛がられると言いますが、イスンヨプさんも例外ではありません。
自身のInstagramで三男の誕生を報告した際、彼はこう綴りました。
「三人の息子の父になりました。より責任感を持って、健康に生きていきます」
45歳にして再び育児に奮闘するパパとなったイスンヨプさん。現在幼児であるガンユ君は、まさに一家のアイドル的存在でしょう。 引退後の穏やかな生活の中で授かった新しい命は、彼にとって何よりの宝物となったはずです。
イスンヨプはなぜ「ぐう聖」と呼ばれるのか
ネット掲示板やSNSで、イスンヨプさんは頻繁に**「ぐう聖(ぐうの音も出ないほどの聖人)」と呼ばれます。 スポーツ選手としての実力だけでなく、なぜこれほどまでに人格が評価されているのでしょうか? そこには、国境を超えた「義理人情」と「誠実さ」**がありました。
東日本大震災での「1億ウォン」寄付という男気
私が最も心を打たれたエピソードは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の時の行動です。 当時、オリックス・バファローズに所属していたイスンヨプさんは、震災発生直後に私財から1億ウォン(当時のレートで約700万円以上)を被災地への義援金として寄付しました。
日韓関係が歴史的・政治的にデリケートな問題を含む中、彼は迷うことなくこう言い切りました。
「私は日本でプレーさせてもらい、日本のファンに愛された。日本が大変な時に助けるのは当然のことだ」
単なるパフォーマンスではなく、心からの感謝と痛み分けを行動で示したのです。このニュースは日本中で報じられ、多くの野球ファンが涙しました。彼が「助っ人外国人」という枠を超え、**「日本の家族」**として受け入れられた瞬間でもありました。 彼は常々「日本でプレーさせてもらっている恩義」を口にしており、困窮する隣人に対する純粋な人道支援を行ったのです。
ファンサービスと謙虚な人柄
現役時代の彼は、どんなに試合で疲れていても、ファンへのサインや写真撮影を断らないことで有名でした。 彼にはある信念がありました。
「プロ野球選手にとってサインはただの作業かもしれないが、ファンにとっては一生の宝物になる。子供の夢を壊してはいけない」
また、ホームランを打っても派手なガッツポーズを控えたり、相手投手への敬意を忘れない姿勢も一貫していました。スキャンダルとも無縁で、金銭トラブルや女性問題の噂すら立ったことがありません。 23年間の現役生活を**「クリーン」**に全うしたその姿勢こそが、彼を「聖人」足らしめているのです。
社会貢献活動とAED寄付
彼は引退後、「李承燁野球奨学財団」を設立し、次世代の選手育成に尽力しています。また、心停止による事故を防ぐため、AED(自動体外式除細動器)を学校や野球チームに寄付する活動も積極的に行っています。 これは、単に技術を教えるだけでなく、命を守る環境整備にまで目を向けている証拠であり、視野の広い「聖人」的な行動と言えるでしょう。 韓国カトリック医療財団・ソウル聖母病院の臓器移植患者支援基金に多額の寄付を行ったこともあり、「ご縁があって僅かながら分かち合いを実践でき嬉しい」とコメントするなど、常に社会への還元を忘れません。
まとめ:イスンヨプ(李承燁)の嫁イ・ソンジョンと息子3人(ウンヒョク・ウンジュン・ガンユ)の名前や現在!ぐう聖と呼ばれる理由
イスンヨプさんの魅力は、ホームランの数だけではありません。 家族を愛し、ファンを大切にし、国境を超えて「恩」を返すその生き様こそが、彼をレジェンドたらしめています。
本記事のポイント
- 奥様は? 元ミスコリアの**イ・ソンジョン(李松正)**さん。美貌と献身的な愛で夫を支える「内助の女王」です。
- お子さんは? 長男ウンヒョク、次男ウンジュン、三男ガンユの3人の息子です。娘さんはいません。
- ぐう聖の理由は? 震災時の1億ウォン寄付や、ファンを大切にする姿勢、そしてクリーンな私生活です。
イスンヨプさんは、単にホームランを打つだけの選手ではありませんでした。彼は、異国での孤独、国民の期待という重圧を、イ・ソンジョンさんという伴侶と共に、そして3人の息子たちという希望と共に乗り越えてきた人物です。 その物語は、記録以上に記憶に残る「ぐう聖」の伝説として、これからも日韓のファンの間で語り継がれていくことでしょう。
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