こんにちは、プロ野球を愛するブログ管理人です。
今回は、元広島東洋カープ、読売ジャイアンツで活躍し、現在は読売ジャイアンツの二軍投手コーチとして若手投手の育成に励む**大竹寛(おおたけ かん)**氏について取り上げます。
現役時代は重い直球と「寛ちゃんシュート」を武器に通算102勝を挙げた名投手ですが、ファンの間ではその実績以上に**「愛すべき人柄」や「良きパパ」**としての側面が強く支持されていますよね。
- 妻・光部杏里さんとのドラマチックな「リリーフカー馴れ初め」
- 3人の子供(長男・次男・長女)のエピソードとパパの顔
- 性格が「投手陣のオアシス」と呼ばれる理由と、FA移籍時の苦悩
- 2025年現在の巨人・二軍投手コーチとしての活動
特に、奥様とのドラマのような馴れ初めや、FA移籍時の苦しい時期を乗り越えた背景には、涙なしでは語れない家族の絆がありました。
この記事では、大竹寛氏の妻である元NHKキャスター・光部杏里さんや3人のお子さんとのエピソードを中心に、彼がなぜ「投手陣のオアシス」と呼ばれるようになったのか、その真実に迫ります。
まずは、大竹寛氏の基本的なプロフィールと、プロ野球選手としての輝かしい足跡を整理しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 大竹 寛(おおたけ かん) |
| 生年月日 | 1983年5月21日(現在は40代) |
| 出身地 | 愛知県豊橋市 |
| 投打 | 右投右打 |
| 経歴 | 浦和学院高校→ 広島東洋カープ(2002-2013)→ 読売ジャイアンツ(2014-2021)→ 巨人コーチ(2022-) |
| 通算成績 | 376試合登板、102勝101敗、防御率3.77 |
| タイトル | 2025年からは二軍投手コーチ(背番号72)として指導 |
愛知県豊橋市出身の大竹氏は、浦和学院高校時代からその才能を高く評価され、ドラフト1巡目で広島に入団。 その後、FAで巨人へ移籍し、両球団で先発・中継ぎとしてフル回転しました。
特筆すべきは**「102勝101敗」**という通算成績。 勝ち越して引退できる投手はほんの一握りですが、同時に100回以上も負けたということは、それだけ長くローテーションを守り、チームのために投げ続けた「信頼の証」でもあります。
大竹寛の妻は妻は元NHKキャスター光部杏里と結婚!ドラマすぎる馴れ初め
]
大竹寛氏は、2012年1月17日、28歳の時に結婚を発表しました。 お相手は、当時NHK静岡放送局でキャスターとして活躍していた**光部杏里(みつべ あんり)**さんです。
光部杏里さん プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 光部 杏里(みつべ あんり) |
| 生年 | 1983年生まれ(大竹氏と同い年) |
| 前職 | 元NHK静岡放送局キャスター |
| 結婚発表 | 2012年1月17日 |
才色兼備のキャスターとして知られていた杏里さんですが、大竹氏との出会いは意外な場所でした。
馴れ初めは「横浜スタジアムのリリーフカー」
実は、お二人の出会いはプロ野球ファンの間でも「ドラマみたいだ」と語り草になっています。
出会いは2004年頃、大竹投手がまだ20代前半だった頃に遡ります。 当時、大学生だった杏里さんは、なんと横浜スタジアムでリリーフカーを運転するアルバイトをしていたのです。
| 役割 | 人物 | 当時の状況 |
|---|---|---|
| 運転手 | 杏里さん | 当時大学生(アルバイト) |
| 乗客 | 大竹寛 | 広島カープの若手投手 |
マウンドへ向かう緊張のひとときを共有したことがきっかけで、同い年ということもあり意気投合。 「リリーフカーの運転手と選手が結婚」なんて、野球漫画でもなかなか描かれないロマンチックな展開ですよね。
遠距離恋愛を実らせてゴールイン
大学卒業後、杏里さんはNHK静岡放送局のキャスターとなり、大竹投手は広島カープのエース格として活躍。 静岡と広島という遠距離恋愛に加え、大竹投手が右肩痛で苦しんでいた時期も重なりましたが、杏里さんは精神的な支えとなり続けました。
そして2012年、結婚を機に杏里さんはNHKを退局。プロ野球選手の妻として、夫を一番近くで支える道を選んだのです。
当時、大竹投手は怪我の影響もあり思うような投球ができない時期もありましたが、杏里さんの献身的なサポートが、その後の復活、そして100勝達成への大きな力となったことは間違いありません。
大竹寛は3児のパパ!子供の誕生とキャリアの節目

大竹家には、現在3人のお子さんがいらっしゃいます。 子供たちの誕生のタイミングが、大竹氏の野球人生の大きな節目と重なっているのが印象的です。
3人の子供たちのプロフィール
| 続柄 | 生まれ | 野球人生との重なり(エピソード) |
|---|---|---|
| 長男 | 2014年1月14日 | 巨人へのFA移籍1年目に誕生。新天地での挑戦と初めての育児が同時にスタート。 |
| 次男 | 2016年 | チーム内での役割が変化しつつあった時期。(スポニチ等の報道による) |
| 長女 | 2019年7月23日 | プロ通算100勝達成の年に誕生。36歳での待望の愛娘誕生となった。 |
娘の誕生と「100勝」への執念
特に長女が生まれた2019年は、大竹氏にとってプロ通算100勝を達成した記念すべき年でもありました。 当時、スポーツ紙(日刊スポーツなど)でも「第3子となる長女が誕生」と報じられ、大竹パパの喜びの声が掲載されています。
第三子誕生に際し、球団を通じて発表したコメントがこちら。
「3人目のかわいい子どもを無事に産んでくれた妻に心から感謝しています」
自身の喜びよりも先に、命がけで出産した妻への感謝を口にする。ここに大竹氏の誠実な人柄が表れていますよね。
また、引退セレモニー(2021年)では、ユニフォーム姿の子供たちと一緒にマウンドに立つシーンがありました。 長男がピッチャー、長女がバッターボックスに立つ始球式のような演出が行われ、その時の大竹氏の目尻は下がりっぱなし。 普段の真剣な眼差しとは違う「デレデレ」なパパの表情に、ファンからも「本当に良いお父さんなんだろうな」「見ていて幸せになる」といった温かいコメントが多く寄せられました。
大竹寛の性格が「投手陣のオアシス」と呼ばれる理由とFA移籍の苦悩

大竹寛氏といえば、**「投手陣のオアシス」**という異名が有名です。
これは巨人時代、宮本和知投手コーチが「彼は心のマッサージ師だ」と評したことから広まりましたが、彼がこれほどまでに周囲に優しくなれた背景には、想像を絶する苦労がありました。
人的補償・一岡竜司投手のブレイクと逆風
2013年オフ、広島から巨人へのFA移籍。 この時、人的補償として広島に移籍したのが、当時無名だった一岡竜司投手でした。
運命のいたずらか、翌年一岡投手は広島でセットアッパーとして大ブレイク。「カープの3連覇」に貢献するほどの活躍を見せました。 これに対し、一部のファンの間では**「大竹を獲って一岡を放出した巨人の判断はどうだったのか」「大竹より一岡の方が活躍しているのではないか」**といった比較論が巻き起こりました。
当時はSNSやネット掲示板などで、厳しい言葉が飛び交うことも少なくありませんでした。 大竹氏本人には何の非もない「ルールの結果」ですが、責任感の強い彼は誰よりも重圧を感じていたはずです。
思うような成績が出せない時期には、ファンから厳しい声が上がることもあり、精神的に追い詰められてもおかしくない状況でした。
「101敗」をネタにできる強さとラーメン愛
そんな一番苦しい時期、家庭で彼を支え、笑顔で送り出し続けたのが妻の杏里さんと子供たちでした。 家族のためにプライドを捨て、ビハインドでの登板や敗戦処理も黙々とこなした大竹氏は、いつしか巨人のブルペンになくてはならない存在へ。
若手投手へのアドバイスを惜しまず、チームの雰囲気を明るくする姿勢は、まさに「オアシス」。 そして引退会見では、自身の**「102勝101敗」という成績にかけて、報道陣にカップラーメン101個**を振る舞いました。
「101敗の懺悔(ざんげ)の気持ちを込めて、お世話になった皆様にラーメン101杯(敗)のありがとうをおくります」
あんなに苦しんだ「負け」の数や、移籍後の苦悩を、大好きなラーメンにかけて笑いに変える。 この**「強さと優しさ」**こそが、彼が「オアシス」として若手投手たちから慕われた最大の理由でしょう。
まとめ:【大竹寛】妻は元NHK光部杏里と結婚!性格3人の子供
リリーフカーでの運命的な出会いから始まった、大竹寛氏と光部杏里さんの物語。 FA移籍による逆風や怪我を家族の絆で乗り越え、積み上げた「102勝」と「101敗」は、どちらも彼にとって欠かせない勲章です。
2024年シーズン以降、大竹氏は読売ジャイアンツの二軍投手コーチとして、その経験と「オアシス」のような包容力を武器に、次世代のエースたちを育てています。 技術的な指導はもちろんですが、プロ野球選手としての「心の持ち方」を伝える上でも、大竹コーチ以上の適任者はいないかもしれません。
これからも大竹コーチ、そして大竹ファミリーを応援していきたいと思います!
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