長嶋茂雄は、日本プロ野球を代表する伝説的存在です。首位打者や本塁打王など数々のタイトルを獲得し、勝負強い打撃とダイナミックな守備でファンを魅了しました。
王貞治との“ON砲”によるV9達成や、華やかなスター性、天然な人柄など、多方面で話題に事欠きません。
本記事では、長嶋茂雄の何がすごいのかを深掘りし、その功績や人気の理由、性格、さらには王貞治との比較にも迫ります。初めて知る方にもわかりやすく解説しますので、ぜひ最後までお読みください。
読者の皆さまが長嶋茂雄のスケールの大きさと魅力を再発見できるよう、長嶋人気の秘密に迫ります。野球を知らない方でも楽しめる、日本スポーツ史に残る偉大な人物のストーリーをお届けします。
氏名 | 長嶋茂雄 |
生年月日 | 1936年2月20日 |
出身地 | 千葉県佐倉市 |
身長 | 178cm |
体重 | 85kg |
ポジション | 三塁手、外野手 |
投打 | 右投右打 |
長嶋茂雄の「ミスタープロ野球」と呼ばれる凄さとは

ご紹介するのも恐れ多い方です・・・
長嶋茂雄の「ミスタープロ野球」といわれる凄さ
長嶋茂雄は日本プロ野球界における象徴的存在として、「ミスタープロ野球」「ミスター・ジャイアンツ」の愛称で親しまれてきました。
その凄さは単なる成績だけでなく、野球というスポーツそのものを日本の国民的娯楽へと押し上げた影響力にあります。
長嶋茂雄の遺産と社会的影響
長嶋茂雄がプロ野球に与えた影響は計り知れません。彼の出現により、プロ野球のテレビ視聴率は上昇し、日本の国民的スポーツとしての地位を確立しました。
長嶋監督となり球界から去った後にテレビ視聴率が下がったという事実は、彼の影響力を如実に表しています。
引退後も解説者や野球評論家として人気を博し、その発言や指導は常に注目を集めました。2000年代以降も国民的英雄として健在で、2013年には国民栄誉賞を受賞、2021年には文化勲章も受章しています。
伊豆の国市では長嶋氏がかつて自主トレーニングを行っていた場所に「読売巨人軍長嶋茂雄ロード」が設置されるなど、地域貢献にも影響を与えています。
また、長嶋は引退後も野球界の発展に尽力。少年野球教室や講演会など、精力的に活動し、2005年には「長嶋茂雄ドリームプロジェクト」に特別ゲストとして参加し、子ども達への野球指導を行いました。
天才的なバッティングセンス
長嶋茂雄は、読売ジャイアンツ(巨人)の4番打者として長年活躍し、首位打者6回・本塁打王2回・打点王5回・MVP5回など、数々のタイトルを獲得しました。
特に、大卒選手として史上初めて400本塁打・2000安打を同時達成した点は、多くの専門家が「稀有の才能」と評価しています。
また、日本シリーズの通算成績(打率.343、25本塁打、66打点)は歴代トップクラスで、大舞台での勝負強さが際立っていました。実際、「日本シリーズでの長嶋のバットは、いつも以上の魔力を帯びていた」と語る解説者もおり、ファンにとっては一打席ごとに心を躍らせる存在だったようです。
「魅せる」プレーとドラマ性
長嶋は、ただ打つだけでなく、空振りさえもファンを沸かせる豪快なスイングが特徴です。
ヘルメットが飛ぶほどの振り切りや、全身で喜怒哀楽を表現する姿は、子どもやライト層のファンの心をつかみました。野球解説者の中には「凡退でさえエンターテインメントにしてしまう唯一無二の選手」と評する人もいます。
実際、1959年に昭和天皇が観戦した“天覧試合”で延長サヨナラ本塁打を打ったエピソードは、長嶋の“劇場型”の活躍を象徴する名シーンです。そうしたドラマチックな瞬間が積み重なり、多くの人に「記録だけでは計れない魅力」を強く印象づけました。
長嶋茂雄の輝かしい功績

選手としての実績
長嶋の選手としての実績は輝かしいものでした。
日本野球殿堂の記録でも「右打者としての首位打者獲得数はセ・リーグトップ」「日本シリーズMVP4回は史上最多」と評価され、打撃における安定感と勝負強さが光ります。V9(9年連続日本一)時代の主軸であったことはもちろん、試合での華麗な守備や俊足ぶりも含め、当時は“三拍子そろったスター”の代表格でした。
成績 | 記録 |
---|---|
首位打者 | 6回(セ・リーグ右打者最多) |
最多安打 | 10回(セ・リーグ最多) |
本塁打王 | 2回 |
打点王 | 5回 |
MVP | 5回 |
ベストナイン | 17年連続選出 |
通算成績 | 2471安打、444本塁打、1522打点、打率.305 |
スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「長嶋は記録よりも記憶に残る選手だった」と評しています。実際、日本シリーズでの通算成績(打率.343、25本塁打、66打点)やMVP4度受賞は、大舞台での勝負強さを物語っています。
監督としての実績
1974年に現役を引退した長嶋は、翌年から読売ジャイアンツの監督に就任しました。監督としてのキャリアは2期(1975〜1980年、1993〜2001年)にわたり、リーグ優勝5回、日本シリーズ優勝2回(1994年、2000年)を達成しています。
特に1996年には「メークドラマ」と称されるシーズン途中からの大逆転優勝を成し遂げ、2000年には「ON対決」(長嶋監督の巨人 vs 王監督のダイエーホークス)を制して有終の美を飾りました。
監督として「クリーン・ベースボール」を掲げ、若手選手を積極的に起用。松井秀喜、高橋由伸など、後のスター選手を育成した手腕も高く評価されています。
2002年には野球日本代表チームの監督に就任し、アジア選手権大会を制してオリンピック出場権を獲得。2001年からは巨人軍終身名誉監督に就任し、2013年には国民栄誉賞を受賞、2021年には文化勲章も受章しています。
長嶋茂雄と王貞治との比較…どっちがすごい?人気を比較

記録の王、記憶の長嶋
長嶋と王貞治は、ともに巨人の黄金時代を築いた「ON砲」として知られます。
成績面では、王が通算868本塁打・通算打点1967など圧倒的な数字を残しており、「世界のホームラン王」の異名を持つほどです。15度の本塁打王や2度の三冠王といった記録は、いまだに破られていません。
一方、長嶋は通算444本塁打や首位打者6回など輝かしいデータを持ちながら、王ほどの“累積記録”ではありません。しかし、殊勲打(勝ち越し・逆転など試合を決定づける打撃)の多さや日本シリーズでの活躍度から、「勝負どころでの強さ」「記憶に残るプレー」は長嶋のほうが上という声も根強いです。
長嶋茂雄と王貞治の成績の比較

純粋な成績面では、王貞治が長嶋茂雄を上回っていることは明らかです。
王は「一本足打法」で知られるように、徹底した努力と技術でホームランを量産しました。特に1977年にはハンク・アーロンの755本を抜き、当時の世界記録を樹立。「世界のホームラン王」と称される存在になりました。
長嶋茂雄 | 王貞治 | |
---|---|---|
通算本塁打 | 444本 | 868本(世界記録) |
通算安打 | 2471本 | 2786本 |
通算打点 | 1522打点 | 2170打点 |
通算打率 | .305 | .301 |
首位打者 | 6回 | 5回 |
本塁打王 | 2回 | 15回 |
打点王 | 5回 | 13回 |
MVP | 5回 | 9回 |
三冠王 | 0回 | 2回 |
プレースタイルの違い
二人のプレースタイルは対照的でした。長嶋が感性豊かで豪快なスイングの持ち主だったのに対し、王は理論派で緻密なバッティングを追求。王が「静の打者」なら、長嶋は常に全力で感情を前面に出す「動の打者」でした。
王が記録を着実に積み上げる「記録の王」だとすると、長嶋は記憶に残るプレーで観客の心を掴む「記憶の長嶋」と形容されます。
特に勝負どころでは、相手投手が王を敬遠して長嶋と対決する展開が多く、長嶋が「チャンスに強い男」と称された背景には王の存在があったとも言われています。
元プロ野球選手の落合博満氏は「長嶋さんの最大の凄さは、一人で球場を満員にする事ができた選手だということ。あんな選手は長嶋さんが最初で最後だろう」と評しています。
人気の違いとカリスマ性
当時のファン投票では、王も高い人気を誇りましたが、長嶋のほうが常に一歩リードしていました。
これは、長嶋の持つ明るさとスター性に加え、メディアでも大きく取り上げられやすいキャラクターだったことが理由とされています。王が寡黙でストイックな「職人タイプ」なら、長嶋は豪快でユーモアあふれる「エンターテイナータイプ」。
いまだに「どっちがすごい?」という議論は尽きませんが、よく言われる「記録の王、記憶の長嶋」というフレーズが両者の対照的な魅力を象徴しています。実際に王自身も「長嶋さんの存在があったからこそ、自分も高みを目指せた」と語るほど、お互いを高め合う最高のライバルだったのです。
王貞治も「世界の王」と呼ばれ国民栄誉賞第1号受賞者(1977年)となるなど、日本中から尊敬と愛情を集めた偉大なスターであったことは間違いありません。二人はまさに日本野球界の双璧と言えるでしょう。
なぜ長嶋茂雄はこれほど人気を集めた理由は?

ひとりで球場を満員にできるスター
「長嶋ひとりで満員にできる」と称されたほど、観客動員に絶大な影響力を持っていました。野球解説者の中には、落合博満氏や張本勲氏など、複数のレジェンドが「長嶋が出るだけで視聴率が跳ね上がる」と証言しており、それだけ“見たい”と思わせる華やかさが長嶋にはあったということです。
高度経済成長期にプロ野球がゴールデンタイムで毎晩中継される中、長嶋は野球に詳しくない層をも引き込む国民的スターでした。テレビの前で「今日は長嶋がどんなプレーを見せてくれるか」にワクワクした方も多かったのではないでしょうか。
場を盛り上げるムードメーカー
長嶋のインタビューやコメントは、“迷言”として今も語り継がれています。「試合は9回ツーアウトから」「巨人軍は永久に不滅です」といったフレーズは、スポーツファンなら一度は耳にしたことがあるでしょう。
ただの天然キャラというわけではなく、元々のサービス精神やファンを喜ばせたい気持ちがそうした言葉を生んでいた面も大きいとされています。「負けん気が強くて少年のような純粋さを持ち続ける人」と評するメディア関係者も多く、そうした人間味ある魅力こそが、長嶋人気の原動力だと感じます。
知名度ランキングは日本人47位?

2017年放送された水曜日のダウンタウンの「日本人知名度ランキング」では47位。松本人志さんも驚きの表情です。私もリアタイでこの放送を見ていましたが嘘だろ??と言葉を発してしまいました。
長嶋茂雄はどんな人・性格?エピソードから見る素顔

天真爛漫でユーモアあふれる一面
長嶋茂雄といえば、やはり“天然キャラ”のエピソードが有名です。打撃の反省に集中しすぎて、息子さんを球場に置き忘れて帰った話は、いまでも笑い話として語り継がれています。記者会見やインタビューでも、突拍子もない言い回しが飛び出すことがあり、それがファンの心を和ませる瞬間でした。
その一方で、誰に対しても笑顔で手を振り、サインや写真撮影にも気軽に応じる“サービス精神”を持ち合わせており、多くのファンから「ミスター」と呼ばれながら親しみを込めて見守られてきました。
強い負けず嫌いと責任感
華やかな性格だけでなく、負けず嫌いで責任感が強いという評価も多くの関係者が口にします。なかなか成績が伸び悩む若手選手には厳しいアドバイスをする一方、「口では厳しく言うが、言葉の端々に優しさを感じる」と証言する元選手も少なくありません。
現役時代はオフにも自主トレを怠らず、誰よりもバットを握り続けたと語られており、そこには「プロ野球選手としてファンを喜ばせたい」という強い責任感が見え隠れしています。派手な言動の裏で、長嶋は誰よりも努力を惜しまない職人気質だったのかもしれません。
ファンへの深い感謝
「いつも応援してくれるファンがいるからこそ、自分は結果を出さなければならない」と語る場面も多く、長嶋の言葉にはファンへ向けた感謝が常に感じられます。記念試合やイベントのたびに、必ずファンへ感謝を伝えるスピーチを行い、それがさらにファンの支持を高めてきました。
脳梗塞で倒れた後もリハビリに励み、公の場に少しでも顔を出してファンに挨拶しようとする姿勢には、長嶋流の“恩返し”が詰まっているように思えます。見ているほうも「早く元気になってほしい」「またミスターの笑顔を見たい」という気持ちになりますよね。こうした人間らしい温かさこそが、時代を超えて愛される理由だと感じます。
日本の野球史に名を刻んだレジェンド長嶋茂雄
長嶋茂雄は**「記録に残る成績」とともに、「記憶に残るスター性」**で日本の野球史に名を刻んだレジェンドです。王貞治との比較や性格、ファンを惹きつける魅力は多面的で、今なお語り継がれています。特に大舞台での勝負強さと独特のユーモアは、野球ファンならずとも心を動かされる部分ではないでしょうか。
このように、長嶋茂雄という存在を深堀りすると、単に成績のすごさだけでなく、エンターテイナーとしての才能や人間的な温かさが、国民的スターとしての偉大さを支えていると感じます。彼の歩んだ軌跡は、日本プロ野球の歴史そのものとも言われるほど。今後も「長嶋茂雄ってどんな人だったの?」と問われれば、多くのファンが笑顔で語り始めることでしょう。
まとめ:長嶋茂雄の何がすごい?功績?王貞治とどっちがすごい比較人気関係?なぜ長嶋人気?どんな人・性格
長嶋茂雄の偉大さは、首位打者や本塁打王など輝かしい成績だけでなく、勝負強さや華やかなカリスマ性にも表れています。王貞治との“ON砲”で築いたV9や、監督としてのメークドラマなど、多角的に球界を盛り上げた点が最大の魅力です。
また、天然な性格やサービス精神豊富な言動も、ファンの心をつかむ大きな要因でした。プロ野球人気を国民的なレベルに引き上げた立役者として、その影響力は今なお色褪せることがありません。
長嶋茂雄こそ“記憶に残るスター”の象徴と言えます。彼の存在がなければ、王貞治を含む巨人軍の黄金時代は地味になっていたしれません。パフォーマンスと熱い闘志は、時代を超えて野球ファンを魅了し続けています。
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