元木大介の通算成績は?天才!ドラフト指名!現役時代!隠し球・くせ者など!ダイエー田淵

巨人(ジャイアンツ)
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元木はご存知ですか?清原の子分のような存在ではありましたが、甲子園では甘いマスクでアイドルとなり、落合からも天才といわれ、本当に練習していれば中日の立浪のようなレジェンドになっていた可能性はあります。

記録には残りませんでしたが、記憶に残る選手でしたよね。

20181020追記

打撃部門では、吉村総合コーチが留任するほか、OBの元木大介氏にオファーすることになりました。

巨人・元木大介の通算成績は?天才!ドラフト指名!現役時代!隠し球・くせ者など!ダイエー田淵

出身地 大阪府豊中市
生年月日 1971年12月30日(46歳)
身長 180 cm
体重 83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手、外野手
プロ入り 1990年 ドラフト1位
初出場 1992年4月8日
最終出場 2005年10月5日

小学6年生の頃、当時巨人の監督だった王貞治と対面し、一緒に記念撮影をした際、「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と激励された事に感激して以来巨人ファンになったといいます。

上宮高校

甲子園に3回出場。1989年の夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目されました。高校通算24本塁打。甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄と同数)の記録である。甲子園ではアイドルといわれ、“清原二世”をほうふつとさせたものだ。マスクもなかなかのものであったため、多くの女性ファンのハートをつかんでいました。

ただ、読売ジャイアンツの指名を希望するが、巨人は大森剛を1位指名。福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイに野球留学します。

ただ、実際にはハワイの環境では本格的な野球練習はできなかったそうです。練習環境は最悪だったらしい。

元木 大介の現役時代の通算成績は?

元木大介の通算成績は下記です。

1205試合(3397-891).26266378打点 出塁率.328長打率.369OPS.697 

1998年の成績 は立派ですね。
114試合 打率.297 9 55打点 118安打 OPS.802 







O
P
S
1992巨人3472110.186.314.220.534
199380222444.237.352.349.701
199490248614.280.349.362.711
199567219483.244.300.355.655
199691326669.229.297.378.675
1997101337889.282.317.407.724
19981144561189.297.376.426.802
1999114372756.229.306.321.627
2000114353855.274.348.377.725
20011234411149.292.356.417.773
2002121381886.257.303.350.653
200360153320.224.260.287.547
200455128292.240.276.331.607
200541120320.305.365.343.708
通算:14年1205382889166.262.328.369.697

天才でくせ者や隠し玉の実力

くせ者

当時の巨人・長嶋監督からそのプレースタイルから「くせ者」と呼ばれ、長嶋、原監督時代の巨人を支えた元木大介です。2年目の92年に1軍初出場。

内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして活躍します。

8年目(98年)にようやくレギュラーの座を奪い、2002年まで巨人の主力選手として活躍しますが、故障もあって、03年から出場機会が激減してしまいます。05年後半には、堀内恒夫監督(当時)の構想から外れ、2軍降格、戦力外通告を受けたました。14年間で成績は891安打、66本塁打と甲子園で騒がれたわりにはスターとしての成績を残せなかったイメージはありますよね。

隠し玉がうまかった

落合が、「あいつほど才能のある選手は見たことないがあいつほど練習しない選手を見たこともない」 と話しています。

また、当時を知る方々は元木大介にたしてのイメージは下記のようです。

  • ピンチで一番相手にしたくないバッター 訳わからん恐さがあった
  • 打てそうなたまをわざとタイミング合ってないふり終盤のチャンスでその玉をクリーンヒット
  • 隠し玉はうまかった
  • )広島前田が目標としてたくらいの選手やったんやで
  • 守備も下手やないんやけど、見切りが早いって言うか
    厳しい打球は最初から諦めてる感じ
  • バントのサイン無視してわざと追い込まれる スリーバントのサインも無視してホームラン ベンチで長嶋と須藤から公開お説教

ドラフト!ダイエー田淵

「巨人以外の球団に指名されたらプロへは行きません」甲子園のアンケートなどには、好きな球団として巨人、南海、西武の3球団を挙げていましたが、やっぱり巨人は特別な存在だったそうです。ドラフトが近づくにつれ、スポーツ紙の中には「巨人 元木を1位指名へ」と報道するところもあり、すっかりその気になって当日を迎えました。

ドラフト会議では読売ジャイアンツへの入団希望を公言していたが、巨人は同じく巨人入りを希望していた大森剛を1位指名します。

茫然自失のボクは会議室から監督の部屋に連れて行かれ、そこで泣きに泣きました。その後に会見をやりましたが、ほとんどなにも覚えていません。ダイエーが野茂さんの外れ1位でボクを指名したことも現実として意識できませんでした。

元木は福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイに野球留学しますマスコミの大バッシングが始まりました。自宅の集合住宅の敷地内には朝から晩まで報道陣が立っていて、どこに行ってもついてくる。通学の満員電車に乗れば、隣の車両からフラッシュがたかれるといった状態です。

実際にはハワイの環境では本格的な野球練習はできないが、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だったといわれる。

この野球留学中、学生だったベニー・アグバヤニ(後に千葉ロッテマリーンズ)とチームメイトになり、知り合いになったという。

指名したダイエーは?

野茂を外したウエーバーの5番目でした。

1つ前の阪神が一番怖かった。会場では深刻な顔をしたが、阪神が甲子園の申し子を回避した瞬間、田淵監督の表情は緩んでました。

「前の球団には“絶対に指名しないでくれ”と祈り続けてましたから」。

もちろん予定していた野茂を外し、それに代わる元木の交渉権を得たことは、まさしくラッキーという表現がピッタリです。

元木が、以前から巨人を逆指名していたのは承知の上だ。だが「野球を愛しているなら自分の力を試してもらいたい」と早速口説き文句したそうです。

1968年、当時法大のスラッガーだった田淵監督は、元木同様、巨人を逆指名していたが、19日間も悩み抜き、結局は「野球が好きだから」阪神入りしたいきさつがある

。同じ境遇を体験したものとして、自ら口説き落とすつもりだようですね。

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