プロ野球・福岡ソフトバンクホークスで活躍する嶺井博希選手。
力強いプレーとキャッチャーとしての存在感でファンを魅了していますが、その活躍を支えるプライベートな一面は、意外と知られていないかもしれません。「奥様はどんな人?」「子供はいるの?」「”嶺井一族”って聞いたことあるけど、一体何?」そんな疑問を持ったことはありませんか?
特に、400人を超えるという大規模な親族「嶺井一族」や、4年に一度開催されるという伝説の「ミネリンピック」は気になるところです。この記事では、謎に包まれた嶺井選手の家族構成――奥様やお子さん、ご両親や兄弟、そして壮大な「嶺井一族」の全貌、母親である嶺井邦子さんのエピソードまで、詳しく深掘りしていきます。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 嶺井 博希(みねい ひろき) |
生年月日 | 1991年6月4日(33歳、2025年5月現在) |
出身地 | 沖縄県島尻郡玉城村(現:南城市) |
身長/体重 | 176cm/87kg |
血液型 | B型 |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
所属 | 福岡ソフトバンクホークス(背番号12) |
経歴 | 沖縄尚学高-亜細亜大-横浜DeNAベイスターズ(2014~2022)-福岡ソフトバンクホークス(2023~) |
ドラフト | 2013年ドラフト3位(横浜DeNAベイスターズ) |
プロ初出場 | 2014年4月15日 |
年俸(2025年) | 7500万円 |
主な実績 | 高校2年春センバツ優勝、大学日本代表(日米大学野球選手権正捕手)、明治神宮野球大会優勝など |
嶺井博希選手を支える家族の絆:奥様、両親、兄弟嶺井邦子ついて

プロ野球選手として活躍する嶺井博希選手。その力強いプレーの源泉には、温かい家族の存在があります。ここでは、嶺井選手を支えるご家族、特に奥様やお子さん、ご両親、そして兄弟について、現在までに判明している情報を詳しく見ていきましょう。
公表情報は限定的?奥様と息子さんについて
嶺井選手はご結婚されており、奥様がいらっしゃいます。報道やファンコミュニティの情報によると、嶺井選手が横浜DeNAベイスターズに在籍していた2017年12月頃、沖縄県内のリゾートホテルで結婚式を挙げられたようです。式には当時のチームメイトも出席し、祝福ムードに包まれたと伝えられています。
奥様は一般の方であり、お名前や職業、馴れ初めといった詳細なプロフィールは、ご本人のプライバシーを尊重する意向から公表されていません。
いくつかの情報源では「とても美人」「笑顔がチャーミングな和装姿」などと評されていますが、これらは結婚式の写真などを見た限られた人の感想であり、公式な情報ではありません。嶺井選手ご自身も、インタビューなどで家族について触れる際には「妻と子どもに感謝している」といった一般的な表現にとどめており、プライベートを大切にされている姿勢がうかがえます。
また、嶺井選手ご夫妻の間には、2016年10月11日に誕生した長男がいらっしゃいます。
2025年5月現在、息子さんは8歳になられている計算です。2017年のクライマックスシリーズでは、奥様と息子さんが試合観戦に訪れた様子も報じられており、家族で応援する姿があったようです。しかし、お子さんに関しても、お名前などの詳しい情報は公開されていません。
プロ野球選手という注目される立場でありながら、ご家族のプライバシーを守ることを重視されているため、今後も奥様やお子さんに関する詳細な情報が公になる可能性は低いと考えられます。
厳しくも温かい応援団長:父・博敏さん
嶺井選手のお父様は、嶺井博敏(ひろとし)さんです。博敏さんは、沖縄県南城市玉城で電気工事会社「ミネイ電工」を経営されています。
従業員約40名を抱え、県知事の許可も受けて公共工事なども手掛ける、地元に根差した会社の社長さんです。
博敏さんは、息子である博希選手の「最強のサポーター」としても知られています。
報道によると、会社の社員旅行の日程を博希選手の試合日程に合わせて計画し、社員や親戚一同で応援に駆けつけることもあるそうです。2013年のドラフト会議で博希選手が横浜DeNAベイスターズから3位指名を受けた際には、ご自宅で指名の瞬間を見守り、喜びを分かち合いました。
プロ入り後の息子の成長について、「受け答えとか色々、やっぱりプロですからそういうことも大事だと思うし、そういった面が大人になったかな」「俺の息子だと、うふふ」と、目を細めながら誇らしげに語る様子が伝えられています。厳しさの中にも深い愛情を持って、息子の活躍を温かく見守り、力強く応援し続けるお父様です。
ドラフト指名時の涙が印象的:母・邦子さん
お母様は、嶺井邦子(くにこ)さんです。邦子さんもまた、博希選手にとってかけがえのない存在です。
2013年のドラフト会議当日、嶺井家では指名を心待ちに、手作りのくす玉やごちそうを用意していました。
そして、指名が告げられた瞬間、邦子さんは電話口で感極まった声で「あっ、博希おめでとうね。良く頑張りましたね〜」と息子を祝福。その涙ながらの喜びの姿は、地元のテレビ局でも放送され、多くの人の感動を呼びました。インタビューでは「小さいころから一生懸命頑張ってきた。本当によかった」と語り、息子の努力が実を結んだことへの深い安堵と、母親としての誇りを滲ませていました。
邦子さんは、厳格な教育方針を持ちつつも、常に博希選手を深く応援してきたと言います。
博希選手自身も母親への感謝の言葉を度々口にしており、特に邦子さんの手料理である「ポーク卵」は大好物だと公言しています。2025年の母の日には、博希選手が1試合2本塁打7打点の大活躍を見せ、ヒーローインタビューで「丈夫な体に生んでくれた母に感謝したい」と、特別な思いを語りました。
この時、邦子さんから贈られたピンク色のバッティンググローブを使用していたことも話題となり、母子の強い絆を感じさせるエピソードとなりました。
兄の影響で野球の道へ?兄弟について
嶺井博希選手には、お兄様が二人いらっしゃることが分かっています。博希選手は三人兄弟の末っ子にあたります。お兄様方のお名前や年齢、職業などの詳しい情報は公表されていません。
しかし、博希選手が野球を始めたきっかけには、お兄様方の影響があったようです。本人のインタビューやSNSでの発信によると、幼い頃は毎日のようにお兄様方とキャッチボールをしたり、「プーカーボール」と呼ばれる沖縄独自の三角ベースのような遊びに興じたりしていたそうです。
お兄様方は、博希選手が学生時代にも、休日には練習相手を務めてくれるなど、弟の野球人生をサポートしてきました。こうした幼少期の経験が、捕手としての優れた反射神経や野球への情熱を育む土台となったのかもしれません。
また、お兄様方のご家族も、博希選手の応援に熱心なようです。ファンクラブのイベントや、遠征先の試合にも駆けつけ、家族ぐるみで応援する姿が目撃されています。例えば、2014年の春季キャンプで行われた紅白戦には、親族約70人が応援に駆けつけたと報じられていますが、その中にはお兄様方のご家族も含まれていたと考えられます。
北海道での試合に合わせて応援ツアーを企画し、試合観戦と合わせて小樽観光などを楽しむ様子が、観戦記ブログなどで伝えられています。
沖縄に根付く壮大なルーツ「嶺井一族」とは?

嶺井博希選手を語る上で欠かせないのが、沖縄に根付く「嶺井一族」の存在です。単なる親戚の集まりという規模を超えた、結束の固い大家族として知られています。
400人超!?驚きの一族の規模
嶺井一族のルーツは、故・嶺井藤八(とうはち)さんとウシさんご夫妻に遡ります。このご夫妻には7人のお子さんがおり、そこから枝分かれするように子孫が広がっていきました。
現在では、6世代にわたり、直系だけでも約300人、配偶者を含めるとその数はなんと400人を超えると言われています。沖縄県内でも屈指の規模を誇る大家族であり、その家系図は広げると7メートル以上にもなるとか。この数字だけでも、一族の繁栄ぶりと結束の強さがうかがえます。
一族は、曽祖父にあたる藤八さんが得意としたサバニ船(沖縄の伝統的な小型漁船)の建造技術を受け継いだり、地元の漁業組合で重要な役割を担ったりするなど、沖縄県南城市の奥武島(おうじま)を中心に、地域の産業や文化とも深く結びついています。
4年に一度の熱狂!「ミネリンピック(嶺井オリンピック)」
嶺井一族の強い絆を象徴するのが、4年に一度、夏季オリンピックが開催される年に合わせて行われる大規模な親族運動会「嶺井藤八・ウシ記念オリンピック」、通称「ミネリンピック」です。このユニークなイベントは、「先祖の教えを忘れないように」「親族間の交流を深めよう」という目的で、1996年に当時の孫世代が中心となって企画・開始されました。
開催場所は、一族ゆかりの地である沖縄県南城市の奥武島。毎回、一族の約300人から310人もの人々が全国各地、時には海外からも集結します。
2024年10月に行われた第7回大会では、生後数か月の赤ちゃんから最高齢96歳の方まで、実に5世代にわたる親族が一堂に会しました。
ミネリンピックでは、参加者は藤八・ウシ夫妻の7人の子供たちの系統ごとに色分けされたTシャツを着用し、チーム対抗で様々な競技に臨みます。競技種目もユニークで、「みーとぅんだーリレー(夫婦リレー)」や「島ぞうり飛ばし」、「魚網を使った玉入れ」など、沖縄の文化や方言を取り入れたものが多く、世代を超えて楽しめるように工夫されています。
会場では、一族の漁師が獲った新鮮な魚が振る舞われるなど、和気あいあいとした雰囲気の中で親睦を深めます。
嶺井博希選手自身も、子供の頃にこのミネリンピックに参加した経験があるそうです。このような大規模なイベントを定期的に開催・運営できること自体が、嶺井一族の驚くべき組織力と結束力の高さを物語っています。親族の間では、ミネリンピックに参加するために「オリンピックに出るので会社休みます」という休暇申請が、半ば公然と認められているというエピソードもあるほどです。
一族の結束を示す応援スタイル
嶺井一族の結束力は、ミネリンピックだけでなく、博希選手の応援スタイルにも表れています。プロ入り当初から、一族はしばしば「応援団」として球場に駆けつけてきました。
2014年の春季キャンプでは、沖縄本島内の球場へ、なんと貸し切りバスで約70人の親族が応援に訪れました。バスの車中では応援歌の練習をするなど、その熱の入れようは相当なものです。
応援席では、手作りの応援グッズやボードを掲げ、「ズンドコひろき!」といった独特のコールで選手に声援を送る姿が、地元メディアによって報じられました。
横浜DeNAベイスターズ時代には、本拠地・横浜スタジアムでの試合にも、首都圏在住の親族が集結。当時、嶺井選手の背番号「39」のレプリカユニフォームが飛ぶように売れ、一時期品切れ状態になったことがありましたが、これは「嶺井一族が応援のために買い占めたからだ」という逸話がファンの間で語り草になっています(真偽のほどは定かではありませんが、一族の応援熱を象徴するエピソードと言えるでしょう)。
現在、福岡ソフトバンクホークスに在籍する嶺井選手ですが、九州での試合はもちろん、遠征先の試合にも、お父様の会社の社員旅行と兼ねたり、お兄様方がツアーを企画したりして、数十人規模の応援団が駆けつけているようです。
嶺井博希の奥さん?嶺井一族や家族や兄や嶺井邦子
嶺井博希選手の野球人生を紐解くと、そこには常に温かく、そして力強い家族の絆がありました。プライバシーを大切にされている奥様と息子さん、愛情深いご両親(父・博敏さん、母・邦子さん)、そして野球の原点ともなったお兄様方。
その中でも特筆すべきは、沖縄に根差す400人超の「嶺井一族」の存在と、4年に一度開催される「ミネリンピック」という壮大な親族行事です。この強固なコミュニティからの熱い応援は、間違いなく嶺井選手の大きな力となっているでしょう。「ハマのシーサー」「博多のシーサー」の愛称で親しまれる彼の活躍の裏には、こうした揺るぎないルーツと家族の支えがあるのです。この記事を通して、嶺井選手の新たな一面を知っていただけたのではないでしょうか。
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