中日ドラゴンズで活躍する板山祐太郎選手。グラウンドでの全力プレーが魅力ですが、その裏には温かい家庭の支えがあります。2018年、阪神タイガース在籍中に結婚を発表。お相手は大学時代の後輩で、野球部のマネージャーを務めていた一般女性です。
遠距離恋愛を経てゴールインした奥様は、板山選手にとってかけがえのない存在。特に精神面でのサポートは大きく、苦しい時には励まし、喜びは共に分かち合う、理想的なパートナーシップを築いています。
この記事では、板山選手の結婚と、彼を支える奥様との素敵な関係性に焦点を当ててご紹介します。
項目 | 内容 |
---|---|
氏名 | 板山 祐太郎(いたやま ゆうたろう) |
生年月日 | 1994年3月27日(31歳/2025年4月時点) |
出身地 | 神奈川県横浜市都筑区 |
身長/体重 | 180cm/88kg |
血液型 | B型 |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 内野手・外野手 |
所属 | 中日ドラゴンズ(背番号63) |
年俸 | 1,400万円(2025年) |
ドラフト | 2015年ドラフト6位(阪神タイガース) |
プロ通算年 | 10年 |
経歴 | 勝田小(横浜市)-茅ヶ崎中(中本牧シニア)-成立学園高-亜細亜大-阪神(2016~2023)-中日(2024~) |
初出場 | 2016年4月22日(対広島戦、マツダスタジアム) |
主な特徴 | 内外野を守れるユーティリティープレーヤー。2024年に育成契約から支配下復帰。守備力と器用さが持ち味。 |
最近の成績 | 2024年は自己最多65試合出場、打率.236、3本塁打を記録 |
板山祐太郎選手の結婚と奥様について

プロ野球選手として活躍する板山祐太郎選手ですが、プライベートではどのような家庭を築いているのでしょうか。ここでは、彼の結婚や奥様に関する情報をまとめました。
結婚の公式発表
板山祐太郎選手が結婚を発表したのは、阪神タイガースに在籍していた2018年12月26日のことです。当時24歳、プロ入り3年目のオフシーズンでした。球団を通じて、東京都出身の一般女性と入籍したことが正式に公表されました (参考:Full-Count)。
奥様はどんな人?
結婚相手の女性については、東京都出身の一般の方であること以外、詳細な情報は公開されていません。板山選手より2歳年下で、結婚当時は23歳だったと報じられています (参考:サンスポ, now-branch)。氏名や職業などはプライバシーを尊重し、伏せられています。メディア報道でも「妻」という表現にとどまり、個人を特定する情報は出ていません。
馴れ初めと結婚生活
二人の出会いは、板山選手が亜細亜大学の3年生だった時にさかのぼります。奥様が2学年下の後輩として野球部のマネージャーとして入部したのがきっかけでした。知り合ってから約半年後に交際に発展。
プロ入り後は遠距離恋愛となりましたが、休日などの時間を使って関係を育み、交際開始から4年が経過した2018年シーズン中に婚姻届を提出したとされています。
板山選手は自身の性格について「ネガティブで悪い結果を引きずるタイプ」と分析していますが、奥様はその性格を深く理解し、支えているようです。結果が出ずに苦しんでいる時には、彼の弱音をしっかりと聞いた上で「じゃあ、明日打って取り返せばよいじゃん!」と笑顔で励まし、逆に良い結果が出た時には満面の笑みで共に喜んでくれる、かけがえのない存在であると語っています 。
2021年の契約更改の際には、「(妻が)表情や雰囲気で感じ取ってプラス思考に持って行ってくれる」「プラス思考な言葉で支えてくれた」と、奥様への深い感謝の気持ちを述べています。
結婚当時のコメント
結婚発表に際し、板山選手は次のようにコメントしています。
「結婚を機に考え方や取り組み方を大きく変えるわけではありませんが、来季は自分にとって勝負の4年目になるので、これまで以上に強い意志と強い覚悟を持って、自分らしく全力疾走で頑張りたいと思います。
そして、来シーズンオフには家族、ファンの方々と共に喜び合えるようにこのオフからしっかり取り組んでいきたいと思います」 。
このコメントからは、結婚を機にさらなる飛躍を誓う強い決意と、家族やファンへの感謝の気持ちが伝わってきます。
板山祐太郎選手の子供と家族構成

板山選手は父親としての顔も持っています。ここでは、お子さんや家族構成について見ていきましょう。
子供の人数と性別
板山選手には、現在(2025年4月時点)お子さんが二人いることが確認されています。
- 長男: 2019年生まれと推測され、2025年春で6歳前後と考えられます (参考:日刊スポーツ, のもとけ Web版)。複数のインタビューや報道で息子さんの存在に言及されています。
- 長女: 2024年3月生まれと推測されます。板山選手自身が2024年2月のインタビューで「3月に2人目が生まれるんですよ」と明かしており (参考:猫足跡)、同年7月の報道では妻、長男、長女の家族3人が観戦していたと伝えられています (参考:中日新聞)。
これにより、板山選手は奥様、長男、長女の4人家族であることがわかります。インターネット上には娘さんに関する他の噂も見られますが、公式な情報や報道で確認できるのは上記の範囲です。
家族との心温まるエピソード
板山選手にとって家族、特に子供たちの存在は大きなモチベーションとなっているようです。
- ホームランボールの約束: 2024年7月6日の広島戦で、6年ぶりとなるプロ2号本塁打を放った際のお立ち台で、「今日のボールは息子に。『パパってホームラン打てないの?』って言われていたんで(笑) 『打ってきたよ』って渡したいと思います」と語り、スタンドで見守る息子さんとの約束を果たしました (参考:のもとけ Web版)。
- 家族の前でのサヨナラ打: 翌7月7日の広島戦では、家族(妻、長男、長女)が観戦する前で、代打で登場しプロ入り後初のサヨナラ打を放ちました。試合後のお立ち台では「今日、息子がまた見に来ているので、良い姿を見せられてうれしいです」、「その光景は一生忘れない」、「子どもたちにいい姿を見せられてうれしいです」と、喜びを噛みしめていました (参考:のもとけ Web版, 中日新聞)。
- 「パパかっこよかった」: 2025年1月の東海ラジオの番組では、サヨナラ打を決めた翌日に息子さんから「パパかっこよかった」と言われたエピソードを嬉しそうに語っています (参考:のもとけ Web版)。
- 奮起のきっかけ: 2024年7月のCBCテレビ『サンデードラゴンズ』の特集では、出場機会が少なかった時期に息子さんから「なんでパパは家にいるの?」と聞かれたことが奮起するきっかけになったと明かしています (参考:CBC web)。
- サングラス: 息子さんとお揃いのサングラスをかけている写真も公開されており、仲睦まじい様子がうかがえます (参考:板山祐太郎の嫁と結婚や子供と家族について)。
これらのエピソードから、板山選手が家族を深く愛し、その存在を力に変えてプレーしていることが伝わってきます。
家族構成と両親・祖母
板山選手は神奈川県横浜市都筑区の出身です。家族構成に関する公式プロフィールは非公開ですが、ご両親は健在で、地元から応援を続けていると2025年1月の取材で答えています (参考:CBC web)。 中日ドラゴンズで育成契約から支配下登録を勝ち取った際には、その吉報を奥様の次に両親へ電話で報告し、「どちらも喜んでくれて本当に良かった」と語っています。特にお父様からは「これからだぞ」と激励の言葉を受け、大きな力になったようです。
また、祖母の幸子さんは2019年に他界されました。復帰当初のヒーローインタビューでは、お祖母様を偲び「今日も見てくれていたかな」と涙ぐむ場面もありました (参考:nikkansports.com)。
兄弟について
板山選手に兄弟がいるかどうかについては、今回参照した資料の中では言及されておらず、情報は確認できませんでした。
出身小学校と野球の原点

横浜市立勝田小学校時代
板山選手の野球の原点は、出身地である横浜市の横浜市立勝田小学校にあります。
小学2年生の時に同校で軟式野球を始めました。当時のポジションは三塁手だったそうです。 自身のX(旧Twitter)アカウントでは、「子供の頃からの憧れ涌井さん。小学生の時投げ方真似してました」と投稿しており、少年時代から野球への熱い思いを持っていたことがうかがえます。
学歴(中学校~大学)
小学校卒業後の学歴と野球経歴は以下の通りです。
- 中学校: 横浜市立茅ヶ崎中学校に進学。在学中は硬式野球のクラブチーム「中本牧シニア(中本牧リトルシニア)」に所属していました (参考:Wikipedia)。
- 高校: 東京都北区にある成立学園高等学校に進学。1年生の夏から二塁手としてレギュラーに定着し、主将も経験しました。3年連続で東東京大会ベスト4に進出しましたが、惜しくも甲子園出場はなりませんでした (参考:Wikipedia)。
- 大学: 亜細亜大学に進学。強豪ひしめく東都大学野球リーグでプレーしました。
ポジション変遷と適応力
板山選手の野球キャリアを見ると、ポジションの変遷が特徴的です。小学校時代の三塁手、高校時代の二塁手、そして亜細亜大学進学後、2年生の秋に出場機会を求めて外野手へ転向しました。
この転向が功を奏し、3年生の春からレギュラーに定着。持ち前の打撃センスを開花させ、東都大学野球リーグでベストナインを3度受賞するなど、中心選手として活躍しました 。
大学4年生の秋にはリーグ優勝に貢献し、ドラフト指名直後に行われた第46回明治神宮野球大会でも、決勝戦で貴重な犠牲バントを決めるなど、チームの日本一に貢献しました。
小学校から大学までの間に複数のポジションを経験し、出場機会を得るために自ら変化を選択し適応してきた経験は、プロ入り後に内外野を守れるユーティリティープレイヤーとしての彼の価値を高める大きな要因となっています。
社会貢献活動「夢先生」
板山選手はプロ入り後、自身の経験を次世代に伝える活動にも参加しています。2018年1月12日には、日本サッカー協会(JFA)と日本プロ野球選手会の共同プロジェクト「こころのプロジェクト」で**「夢先生」**として、東京都多摩市立豊ヶ丘小学校を訪問。5年生の児童たちに授業を行いました 。
授業では、小学2年生で野球を始めたきっかけ、プロ野球選手を目指す中で経験した挫折、そしてそれを乗り越えることの大切さなどを自身の言葉で伝えました。「みんな夢を持っていることは本当にいいこと。上手くいかないこともあるけれど、くじけずに難があるから有り難うというのと顔が晴れて顔晴る(がんばる)というのを心に刻んで夢に向かっていってほしい」と、子供たちに熱いメッセージを送っています。
この活動は、板山選手自身が formative years (人格形成期) を振り返り、その経験を未来ある子供たちに伝えようとする姿勢の表れと言えるでしょう。
まとめ:板山祐太郎の嫁と結婚や子供と家族?小学校
板山祐太郎選手は、2018年12月に大学時代の後輩である一般女性と結婚しました。奥様は野球部の元マネージャーで、板山選手の性格を深く理解し、常にポジティブな言葉で彼を支え続けています。ネガティブになりがちな時も、奥様の明るい励ましが大きな力となっているようです。結婚を機に「これまで以上に強い意志と覚悟を持って頑張りたい」と語った板山選手。その活躍の陰には、奥様の献身的なサポートと、夫婦の深い絆があることがうかがえます。これからも家族の支えを力に変えて、更なる飛躍を期待したいですね。
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