落合博満監督の凄さについて、その監督成績とチーム作りの観点から見ていきましょう。
落合博満氏は2004年から2011年まで中日ドラゴンズの監督を務めました。
その8年間の成績は驚異的で、全てのシーズンでAクラス入りを果たしています。
具体的には、4度のリーグ優勝(2004年、2006年、2010年、2011年)、3度の2位、1度の3位を記録しました。特筆すべきは、2010年と2011年に球団史上初となる2年連続リーグ優勝を達成したことです。また、2007年には53年ぶりの日本一も果たしています。
出身地 | 秋田県南秋田郡潟西村(現:男鹿市) |
生年月日 | 1953年12月9日(68歳) |
身長体重 | 178 cm 82 kg |
【落合博満の監督時代の成績】中日 なぜ強かった?
監督としての実績は中日ドラゴンズで監督を務めた8年間のみだが、監督在任期間中は全ての年でAクラス入りを果たし、リーグ優勝4度(うち2010年と2011年にセ・リーグ連覇)、日本一1回の実績を残した。
就任一年目に優勝しており、日本一が1回リーグ優勝4回、2位が2回、3位が1回です。
凄まじい記録です。間違いなく名将ですね。評価も高いのですが日本ハムとの日本シリーズ第5戦で、球団として53年ぶりの日本一を成し遂げた。
その一方で8回表まで完全試合投球を続けていた先発の山井大介を、9回表に岩瀬仁紀へ交代させた采配には、賛否両論が巻き起こりました。
年 | 順位 | 勝率 | 備考 |
---|---|---|---|
2004 | 優勝 | .585 | |
2005 | 2名 | .545 | |
2006 | 優勝 | .617 | |
2007 | 2名 | .549 | 日本一 |
2008 | 3人 | .511 | |
2009 | 2名 | .566 | |
2010 | 優勝 | .560 | |
2011 | 優勝 | .560 |
特に注目すべきは、2006年の.617という高い勝率と、2007年に2位ながら日本一に輝いたことです。また、最後の2年間は連続でリーグ優勝を果たし、落合監督時代を有終の美で飾りました。
落合博満監督で成功できた理由は頭いいチーム作り
ヘッドコーチの森繁和に任せて一切口出ししない
落合は三冠王を3回とっており、プロ野球史上でも長嶋茂雄や王貞治でも達成できなかった記録です。それでも中日をFAに頼らず、優勝させ日本一にもなっており、名将といわれています。
2004年監督就任1年目の春季キャンプ初日から紅白戦を実施。また、キャンプ中はペナントシーズンでの日程を考慮して、移動日にあたる月曜日をオフにした6勤1休制のキャンプを実施した。
投手起用に関しては、自身が野手だったことから、信用を置いているヘッドコーチの森繁和に任せて一切口出ししませんでした。
「(下手に口を出すと)大抵それで失敗する」と発言している。
攻撃面ではサインはほとんどなく、基本は選手のやりやすいようにやらせていたという。甘い球や狙い球ならどんどん打っていけ、という考え方で、「狙いがあるなら、全員が初球打ちで3球でチェンジになっても構わない」とも言っていたとされる
選択する手の自主性と成長を重視
落合監督は、選手が自ら考え、成長する環境作りを重視しました。特に守備力の向上に力を入れ、選手たちに自主的な練習を促しました。これにより、選手たちは自信を持ってプレーできるようになり、チーム全体の守備力が向上しました。
データ分析に基づく戦略的采配
試合中の状況や選手のデータを綿密に分析し、それに基づいて柔軟な采配を行いました。勝利を最大のファンサービスと考え、常に勝利を追求する姿勢を貫きました。この戦略的アプローチにより、チームの勝率が向上しました。
チームの団結力強化
選手間のコミュニケーションを促進し、チーム全体に一体感を持たせることで、パフォーマンスの向上を図りました。個々の選手の能力を最大限に引き出しつつ、チームとしての強さを追求しました。
若手育成と戦力の最適化
若手選手の育成に力を入れつつ、ベテラン選手の経験も活かすバランスの取れた采配を心がけました。チーム全体の戦力を最適化することで、安定した成績を残すことができました。
落合博満の監督しての評価は?
山本昌は引退後、名球会の公式YouTubeチャンネルの動画で落合を「予言者」とはなしていました。
2003年の日本シリーズ前に「両チームがホームで全勝して、ダイエーが勝つ」と予想して当てる、2004年に補強を凍結して優勝する公約を達成するなど、洞察力に定評があったとしている
2007年11月13日、中日球団からは初となる、正力松太郎賞を選考委員会の満場一致で受賞した。その際、座長であった川上哲治は「強い信念と、選手の上手い育て方。自分の野球観を持って強いチームを作った。立派な功績」とコメントがありました。
落合博満の監督復帰はないのか?
巨人の次期監督ともいわれる落合博満
ナベツネさんと落合の関係や良好のようです。
以前は星野仙一を監督にしようとして、直前まで決定していたものの、OBの反感が大きく原辰徳二次政権が生まれた経緯があります。
阪神の次期監督ともいわれる落合博満
落合博満がテレビ番組などマスコミへの出演が増えています。
また関西ローカルの阪神タイガース系の番組にも出演し、
外様でも人気が有名人にしてでも、阪神フロントは監督にしたいとの考えもあるようですね。
中日復帰を願うファン多し落合博満
中日ドラゴンズは森監督の続投が白紙となりました。
次期監督候補として期待が寄せられる上、本人も著書にて将来的に中日で監督を務めることに意欲を示している一方、白井文吾オーナーや落合博満GMとの不仲説やが監督就任を妨げているといわれています。
落合監督はファンサービスが悪い
監督在任中の末期はナゴヤドームの観客数が減少しており、ファンサービスの足りなさや落合野球のつまらなさが観客数減少の原因としてマスコミやメディアに度々指摘されていました。
マスコミや球団内からは「ファンサービスが足りない」と批判を受けていた。こうした批判に対し、落合は「勝てばファンはついてくる」と口にしているひとも多かったです。
監督に在任した8年間の間に名古屋の街事情が様変わりしたことが観客数減少に大きく影響しているといわれています。
2008年当時の応援団の出禁処分やWBCボイコット事件で球団に対するネガティブなイメージが定着したことに加えて、ほぼ同時期に起きたリーマンショックやトヨタショックに代表される不況が観客数減少もあったといわれています。つまりは落合博満の「勝てばファンはついてくる」はあたっていたのですね。
まとめ落合博満監督の凄さ監督成績?頭いいチーム作り?なぜ強かった?中日の時期監督復帰
いかがでしょうか。
【落合博満の監督時代の成績】中日 ?監督復帰についてお伝えしました。
落合博満の人生を学ぶと名選手でも人生は苦労しないといけないと思います。決して天才ではないのですね。
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