本プロ野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんを長年支えた妻、長嶋亜希子さんについてお伝えします。
2007年に64歳で亡くなられましたが、その死因やお墓の場所、さらには一部で囁かれた万引き癖の噂など、さまざまな情報が飛び交っています。
この記事では、長嶋亜希子さんに関する気になる疑問について、公的な発表や信頼できる情報源に基づき事実と噂を丁寧に区別して解説します。
長嶋亜希子さんの人物像や生涯のエピソードも交えながら、真実に迫っていきます。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 長嶋茂雄 |
生年月日 | 1936年2月20日 |
身長 | 178cm |
体重 | 76kg |
出身地 | 千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市) |
最終学歴 | 立教大学 |
プロ入り | 1958年 |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手 |
所属チーム | 読売ジャイアンツ (1958 – 1974) |
国際大会 | 代表チーム 日本 WBC 2003 – 2004 |
通算成績 | 安打2471・本塁打444・打点1522・打率.305 |
長嶋亜希子さんの死因は何?お墓はどこ?
2007年9月18日、亜希子さんは64歳でこの世を去りました。
公式発表による死因は心不全。突然の訃報は、長嶋家をはじめプロ野球ファンにも大きな衝撃を与えました。
亡くなる数年前から体調不良が噂されていましたが、公には多くを語らず、静かに療養を続けていたといわれています。
長嶋亜希子さんの死因は何?
長嶋亜希子さんの公式な死因は「心不全」です。2007年9月18日早朝、都内の病院で亡くなられた際、報道では心不全のため死去と発表されました。
公的に公表されたのはこの「心不全」という死因ですが、実は亜希子さんは長年**膠原病(こうげんびょう)**という難病と闘っていたことが知られています。1980年代半ば頃から約20年以上にわたり療養と通院を続け、晩年には心臓や腎臓にも合併症が出ていたとも伝えられています。こうした長年の闘病による負担が蓄積し、最終的に心不全に至ったと考えるのが自然な流れでしょう。
公式発表では詳細な病名には触れられていませんが、このように背景には長い闘病生活があったのです。
自殺だったの噂は嘘
一方で、心不全と公表されたことで不穏な噂も生まれました。日本の報道において「心不全」はしばしば詳細を伏せたい場合に使われる表現であることから、「実は自殺だったのではないか」という憶測が一部で囁かれたのです。
さらに、国民的スターの妻であるにもかかわらず葬儀がご家族だけの密葬で執り行われたため、友人のデヴィ夫人が「最後のお別れができず残念」と語るなど公の場での弔問がなかったことも、このような噂に拍車をかけました。
しかし、自殺であったという確証は全くありません。首を吊ったという具体的な根拠のないデマがネット上で飛び交いましたが、信頼できる情報源からそのような事実は報じられていません。長年の闘病と家族への献身ぶりから考えても、ご本人が自ら命を絶ったというのは考えにくいでしょう。公式発表通り「心不全」であり、闘病の末の自然な最期だったと見るのが妥当です。
根拠のない噂に惑わされず、公的な発表や経緯に基づいて冷静に判断することが大切ですね。
長嶋亜希子さんのお墓の場所はどこ?:世田谷とハワイにある理由
長嶋亜希子さんのお墓は2ヶ所に存在します。一つは東京都世田谷区にある長嶋家の墓所で、もう一つがハワイに分骨されたお墓です。意外に思われるかもしれませんが、これは亜希子さんご本人の遺志によるもので、亡くなった後に遺骨を分骨してハワイにもお墓を建てたのだそうですjisin.jp
実際、長男の長嶋一茂さんは「母のお墓がハワイにあるので、いずれ自分もハワイのお墓に入りたい」と語っています
一茂さんはハワイをこよなく愛し、頻繁に訪れては必ずお母様のお墓参りをしているとのこと。この発言からも、ハワイのお墓が正式に存在していることがわかります。
では、なぜハワイにお墓が作られたのでしょうか。詳しい経緯は公には語られていませんが、亜希子さんの希望であったと報じられています。
長嶋家の先祖代々のお墓は世田谷区の浄真寺にありますが、亜希子さんはハワイにも自分だけのお墓を持つことを望んだようです。
このため長嶋茂雄さんは生前、車椅子生活になってからもひそかにハワイのお墓を訪れていたと伝えられています。
夫である茂雄さんの死後(2025年逝去)も、遺骨の一部がハワイに分骨され最愛の妻と同じ場所に納められたとの報道もありました。
ハワイという地は長嶋家にとって特別な思い出やゆかりがあるのかもしれません。亜希子さんがハワイの穏やかな地で安らかに眠りたいと願ったことが、このような形で実現したのでしょう。
長嶋亜希子さんの血液型や身長は?
長嶋亜希子さんの血液型は?
長嶋亜希子さんの血液型は、公には明確にされていません。一般的なタレントやスポーツ選手とは異なり、亜希子さんは表立った芸能活動をしていたわけではないため、公式プロフィールに血液型が載る機会がなかったのでしょう。そのためか、「長嶋亜希子 血液型」と検索する人も多いようですが、結論から言うと確かな公式情報は見当たりません。
ただし、長嶋茂雄さんやご家族の話題の中で血液型が語られたことがあり、そこから推測できる情報があります。一部の情報源によれば、亜希子さんの血液型はO型とされています。
例えば、長男・一茂さんと長嶋茂雄さんはB型ですが、亜希子さんと次女の三奈さんはO型であると紹介されたことがあります。
この内容自体は非公式なQ&Aサイトでの回答から広まったものですが、他の家族の血液型と併せて語られている点から、おそらく関係者の間では知られた事実だったのかもしれません。
以上を踏まえると、長嶋亜希子さんはO型であった可能性が高いですが、公式に発表されたものではないことを留意してください。
血液型に関してはあくまで家族情報の一端として伝わっているに過ぎず、公的な裏付けがあるわけではありません。それでも、日本では血液型が話題になりやすい文化もあり、ファンの間で興味の対象となっているようですね。
長嶋亜希子さんの身長は?
長嶋亜希子さんの身長に関する公式情報は残念ながら見つかりません。多くの有名人の場合、プロフィールに身長が記載されますが、亜希子さんは一般の方に近い立場(元実業家で長嶋茂雄さんの夫人)だったこともあり、公的に身長が公表されることはありませんでした。
ネット上でも「長嶋亜希子 身長」という検索キーワードが見られるものの、信頼できるソースで具体的な数字は確認できません。
ファンや一部のメディアが推測したり興味本位で取り上げたりするケースもありますが、亜希子さんの正確な身長は非公開と考えてよいでしょう。
写真などから推し量るしかなく、公的な場で彼女自身が語った記録もありません。長嶋茂雄さん(身長178cm)と並んだ写真から「比較的長身なのでは」という声もありますが、公式な裏付けがない以上、推測の域を出ません。
要するに、長嶋亜希子さんの身長は不明です。インターネット上のまとめサイトでも「身長については情報がありませんでした」と明記されているほどです。この点については噂や憶測ではなく、単に公表されていない事柄と理解しておくのが正確でしょう。
長嶋亜希子さんの万引き疑惑は?
長嶋亜希子さんについてインターネット上で語られる噂の中でも、「万引き癖があった」というものは衝撃的です。
具体的には、「学生時代から慢性的な万引き癖があり、結婚後も田園調布や自由が丘周辺の商店街で繰り返していた」「しかし地元では“ミスターの奥さん”ということで見て見ぬふりをされていた」――といった内容でした。
もしこれが本当なら大事件ですが、結論から言えば**この万引き噂は完全にデマ(事実無根)**です。
まず、亜希子さんが万引きで摘発されたという公式なニュースや記録は一切ありません。
もちろん具体的な目撃証言も出ていません。そもそも学生時代から慢性的に万引きをしていたというなら、当時名門校に通っていた彼女の周囲で大問題になっていたはずですが、そうした話は聞こえてきませんね。また、高校時代にはアメリカに留学していたほどの良家の令嬢ですから、万引き常習犯だったという説には無理があります。親御さんも品行方正なお嬢さんだからこそ海外留学を許したと考えるのが自然でしょう。
では、なぜこのような噂が出回ったのか。推測される理由は、長嶋茂雄さんや長嶋家に対する一部の嫉妬やアンチによる中傷です。長嶋茂雄さんほどの国民的スターには熱狂的なファンがいる一方で、少数ながらアンチも存在します。特に巨人軍監督時代、チームの成績が低迷した時期に心ない人々が家族を攻撃するデマを流した可能性が指摘されています 。亜希子さんは才色兼備で品位のある女性でしたから、妬みの対象にもなり得たでしょう。その結果生まれた根拠なき中傷が「万引き癖」という噂だったと言えます。
繰り返しますが、「長嶋亜希子さんに万引き癖があった」という話は全くの嘘です。客観的な証拠が一切なく、信頼できるメディアは取り上げていません。私たちとしては、このような噂に接したときこそ鵜呑みにせず、事実かどうか冷静に見極める必要があります。亜希子さんご本人の名誉のためにも、根も葉もないデマは払拭しておきたいですね。
長嶋亜希子さんは鹿児島生まれ?出身地の真相
実家は東京都渋谷区生まれ(両親の本籍地は鹿児島県)です。
長嶋亜希子さんについて検索すると「鹿児島」というキーワードが出てくることがあります。「鹿児島生まれなの?」と疑問に思われる方もいるようですが、これは正確ではありません。亜希子さんは1943年に東京都渋谷区で生まれています。
生粋の東京生まれであり、幼少期を過ごしたのも東京です。
ではなぜ鹿児島という地名が出るのかというと、ご両親の本籍地が鹿児島県だったためです。亜希子さんのご両親は鹿児島にルーツを持つ方で、戸籍上の本籍が鹿児島県にあったようです。実際、亜希子さんの祖父・西村辰五郎氏は鹿児島出身で明治・大正期に活躍した出版社経営者(東雲堂書店の社長)でした。
その関係で**「両親の故郷=鹿児島」という情報が独り歩き**し、まるでご本人の出身地かのように混同されてしまったのでしょう。
整理すると、長嶋亜希子さんの出身地は東京(渋谷区)です。鹿児島はあくまでルーツであり、生まれ育った土地ではありません。公式プロフィールでも「東京都渋谷区生まれ」と明記されています。インターネット上の情報を見かける際には、このように本籍地と出生地の違いにも注意する必要がありますね。長嶋家は茂雄さんが千葉県佐倉市(旧臼井町)出身、亜希子さんは東京出身と、生まれた土地は夫婦で異なります。鹿児島生まれというのは誤解ですので、正しくは東京生まれと覚えておきましょう。
亜希子さんの人柄を物語るエピソードの一つが、鹿児島県の知覧特攻平和会館への深い想いです。彼女は生前、「戦争で散っていった英霊たちはいつも喉が渇いている」と語り、お参りの際には必ずペットボトルの水を持参していました。
そして息子の一茂さんに「いつか水辺を作りなさい」と遺言を残したのです。一茂さんは母の死から13年後の2020年に突然この遺言を思い出し、知覧平和公園への噴水建設を申し出ました。2022年に「知覧・平和の水辺」として完成したこの噴水は、亜希子さんの平和への願いを永遠に伝え続けていますました。
長嶋亜希子さんの学歴は?
亜希子さんは才色兼備の才媛として知られ、その学歴も輝かしいものでした。幼少から裕福で教養ある家庭環境に育ち、中学・高校は東京の名門女子校である田園調布雙葉学園に通われました。田園調布雙葉といえばお嬢様学校として有名で、厳格なカトリック教育でも知られる学校です。亜希子さんはこの学校で基礎を培いながら、高校在学中にアメリカへ留学しています。
米国留学中は現地の高校に通い、卒業後はそのままミネソタ州にあるセントテレサ大学(St. Teresa’s College)に進学して卒業しました。
セントテレサ大学はカトリック系のリベラルアーツカレッジで、当時日本からの女子留学生も受け入れていた学校です。亜希子さんが留学していた1960年代当時、女性が海外の大学で学ぶのはまだ珍しい時代でしたが、語学力と向学心を持って積極的に海外経験を積まれたことがわかります。
この国際的な経験のおかげで、英語・フランス語・スペイン語の三ヶ国語を流暢に操ることができたとも言われています。実際、1964年の東京オリンピックではその卓越した語学力を買われて**各国の要人を接遇するコンパニオン(接待役)**を務めました。このオリンピックでの活躍が、後に夫となる長嶋茂雄さんとの運命的な出会いにつながったのです(報知新聞社主催の対談企画で出会い、茂雄さんが一目惚れして猛アタックしたというエピソードは有名ですね)。
大学卒業後、亜希子さんは結婚を機に表舞台に立つことは少なくなりましたが、夫・茂雄さんの個人事務所「株式会社オフィスエヌ」の代表取締役として経営を支えたり、環境省の審議会メンバーとして主婦の視点から提言を行ったりと、その才覚を発揮していました。高い学歴と教養、そして国際感覚を備えた亜希子さんだからこそ、内助の功に留まらない多方面で活躍できたのでしょう。
長嶋亜希子のお墓や死因?血液型や身長FAQ
まとめ:長嶋亜希子のお墓や死因?万引きや宗教?鹿児島生まれや学歴
長嶋亜希子さんについて、死因からプライベートな情報、さらに根拠のない噂まで幅広く見てきました。公式に確認できる事実としては、死因は心不全であり長年闘った膠原病が背景にあったこと、お墓は東京とハワイに分かれていること、そして信仰はカトリックであったことなどが挙げられます。血液型や身長といった細かなプロフィール情報は公には明らかでないものの、血液型はO型の可能性が高いとされています。一方、万引き癖や自殺といった噂は完全なデマであり、信頼できる証拠が一切ないことが分かりました。鹿児島出身という誤解も、実際は東京生まれであることを確認しました。
改めて振り返ると、亜希子さんは昭和・平成という時代を通じて国民的英雄を支えた陰の立役者でした。
聡明で教養豊か、語学堪能な国際派として若い頃から活躍し、結婚後は家庭と夫を支えつつ実業家としての顔も持っていました。長嶋茂雄さんが輝き続ける裏には、「うちのママは世界一」と子供たちが称えた亜希子さんの献身があったとも言われます。実際、一茂さんは「自分にとって母は全ての存在だった。長嶋茂雄という男を陰で支え、困難を決して表に出さなかった気丈な母でした」とその生涯を偲んでコメントしています。
【参考文献・情報源】長嶋亜希子さんの死去に関する時事通信の報道ja.wikinews.org、長男・一茂さんのコメント(ウィキニュース)ja.wikinews.org、女性自身による長嶋家のエピソード記事jisin.jp、長嶋亜希子さんの経歴など。
※噂や憶測に関する部分は、公的ソースがないため各種記事の内容を紹介しています。
コメント
コメント一覧 (1件)
長嶋さん 元気なお姿をテレビで拝見しとても幸せな気持になります。私も70歳を過ぎましたが、今でも大ファンです。敬遠のボールを大根切りでスタンドに運んだ場面は今でもハッキリ覚えています。連日暑さどうかどうか無理せず、またお元気なお姿を……私もガンバリます 気をつけて