吉川尚輝の中京高校時代や中京学院大学での逸話をお伝えします。
意外とメンタル面で気になるところもありますが、自由な学風が吉川尚輝を成長させたと感じます。
また、広島の菊池とも同じような性格なのかもしれませんね。
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高校は中京高校(中京学院大学中京高校)へ進学!父親が来たかったユニフォームで甲子園へでたいと思った
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親が進学を熱望していた中京高校(中京学院大学中京高校)へ
吉川尚輝は中京高校へ進学した理由を話しています。
「自分の父親が昔、中京で野球をやりたかったけど、寮生活だとお金もかかるので、通学圏内の市岐阜商にしたみたいです。父親が着たかったユニフォームで甲子園に出たいと思いました」
父親も吉川尚輝を中京高校へ進学を推進した
吉川尚輝が中学3年の時、野球をやめようとしました。
チームは弱いし、勉強、勉強と言われて窮屈さを感じていました。
父親は下記のように語っています。
「この時は高校野球の夏の予選を見せに行って何とか踏みとどまったんですが、今度は『中京高校に行きたい』と言い出しました(苦笑い)。寮生活だし、同じ岐阜でも遠いんです。ただ、『誰も知らない環境で野球をやりたい』って。末っ子で口数も多い方ではなくて、何を考えているのか分かりかねているところがあったんですが、初めて自分の意見を言ったので、よく覚えています」
中京高校で厳しかった寮生活
中京高校での寮生活は厳しかったです。
「中京(現・中京学院大中京)高の寮生活では、1年生のルールがいろいろありました。先輩と会う場面ではジャージの裾や首元のチャックを全部締めないといけなかったり、帽子のつばを曲げてはいけなかったり。学校の近くにある坂道は必ず走らないといけないというのもあったんですけど、急なので夏とかは最悪でした……(笑)」
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中京学院大学時代での成績
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1、日本一を経験
2016年の全日本大学選手権に初出場で優勝し、春の大学日本一に輝きました
2、タイトル
吉川尚輝の中京学院大時代の主な獲得タイトルです。
やはり首位打者は何回もとっていますね。ホームラン王も多いです。
広島の床田のライバルであったため拙者琢磨したと思います。
◇2014年[2年]=首位打者(岐阜・春)、盗塁王(岐阜・春秋)
◇2015年[3年]=首位打者(東海・秋)、盗塁王(岐阜・春)
◇2016年[4年]=首位打者(岐阜・春)、打点王(岐阜・春)、本塁打王(岐阜・秋)
※岐阜=岐阜学生野球リーグ、東海=東海地区大学野球
中京学院大学時代の苦労
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1.専用グランドがありません。
中京学院大学は野球部専用のグランドがなく、中津川市内の練習場所を転々としていました。
活動場所
苗木球場
中津川夜明け前球場
活動時間→平日:7時00分~17時00分(※授業の空き時間、もしくは授業終了後から練習)、土曜日、日曜日、祝日:9時00分~17時00分
2.授業・アルバイトと両立
中京学院大は良い意味で「自由な雰囲気」です。
専用グラウンドがなく、練習場を転々。部員同士で下宿先から乗り合いをして集合します。しかも、練習よりアルバイトが優先。生活費、用具費などをねん出するための措置でした
吉川も約2年間は学校、練習、アルバイトの3本柱を両立します。
しかし、大学2年11月の大学日本代表合宿への参加を機にアルバイトをやめ、その時間をトレーニングに割くようにした。つまり、本気でプロを目指すようになりました。
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3、タイヤ館でアルバイトも
「タイヤ館 中津川」を訪問。作業場に足を踏み入れると、「岐阜は雪が降るので、スタッドレスタイヤに換える人が多い。外したタイヤを袋詰めする作業を、エンドレスでやっていましたね」と懐かしんだ。当時、ともに作業していた従業員の安江朋大さんは「すごく真面目に働いていました」と振り返った。
4、自由な雰囲気で性格にも合っていた
逆に進学した中京学院大はすごく自由な雰囲気だったので、1年生の仕事はほぼありませんでした。
5、監督べた褒め
監督はこう証言する
「野球センスがズバぬけていて中京高校の頃から知っていました。先輩の菊池(現広島)の大学4年時と比べても、ほぼ同レベル。同じショートですが、守備は吉川の方が少し上でしょうか。
能力が高いのは親譲り。菊池の時同様、とにかく野球が嫌いにならないように、口うるさく言わないようにしました。教えるなんておこがましい。私はただ見守っただけです」
6、腰パンで中日は見送り
「練習を見にいったら、吉川尚は“腰パン”履きだった」
これで地元球団の中日は吉川尚輝の獲得をあきらめたようです。
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まとめ
菊池も吉川も華のあるプレイが魅力です。同じく自由な環境で育ったことも発想が人と違うのでしょうね。
メンタル面は気になるところではありますが、元木コーチならなんとかしてくれるでしょう。
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